撮影/川島悠輝

母と同居することに

少し話が逸れるけど、その時期は両親が離婚に向けて別居を始めたタイミングでもあった。僕は長年苦しんできた母を支えたくて、帰国時に自分が暮らしていた東京の家に呼ぶことにした。兄も姉も結婚して家族がいるし、独身の僕が支えてあげるしかないと思った。つまり自分の意思で母と同居したものの、正直に言うと最初は息苦しくて……(笑)。

まだゲイであることを隠していたから、アメリカにいて遠距離恋愛中だったカーターとビデオ通話していても「I LOVE YOU」と言えない。ステイホームで外に出られないストレスも重なって、精神的に不安定になりそうな日もあった。

なかなか出口が見えない日々の中でも、カミングアウト後を見据えて少しずつ活動の方向性をシフトしておきたいと思った。ゲイであることを明かさなくても、ロサンゼルス留学を機に身につけた前向きな考え方をファンにシェアすることはできる。そこで、全国12都市でトークショーを開催したり、『with』のウェブサイトで人生相談の連載(2022年8月に刊行した書籍『すべての生き方は正解で不正解』の土台になった)を始めるなど、自分の経験を語る場を作ってもらった。もともとおしゃべりな僕にとって、トークショーは特に楽しかった。

Photo :Yuki Kawashima
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アメリカで自分らしく生きる大切さを学んだ

14歳で芸能界に入り、他者と比べられ続けて精神的に疲弊していた僕が、アメリカで自分らしく生きることの大切さを学んだ。ゲイであることを伏せていても、僕の経験談に共感してくれるファンが多かった。

2021年の11月には、某企業が実施したアンケート調査の「成人式で“自分たちに向けたスピーチをしてほしい”と思う著名人」というランキングで、明石家さんまさんや大谷翔平選手など錚々たる方々と共にランクインして5位になったことも。驚いたけれど本当に嬉しかった。

公表方法を慎重に考え、しかるべきタイミングでカミングアウトしたら、自分らしく生きることが難しい世界を変えることができるかもしれない。そんな願望が、少しずつ現実味を帯びてきた。

一方で、「カミングアウトをしたらファンが離れてしまう」という不安を拭うことは難しい。AAAの活動もソロのアーティスト活動も休止して、その上カミングアウトもしたら、芸能界で居場所がなくなってもおかしくない。自分が表に出られなくなっても生きていけるように、20代から始めていた資産運用に一層力を入れ始めた。この時期は人生のいろんなパターンを想像して、あらゆる可能性を探ったが、「やっぱりカミングアウトを諦める」という選択肢は自分の中にはなかった。

撮影/川島悠輝 スタイリスト/SUGI (FINEST) ヘアメイク/佐藤真希

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