「俺は何者なんだ」在日のモヤモヤを生きて… 同じ悩みを持つ後輩たちに伝えたい「名前は矢印だ」の意味は

2025年5月2日 06時00分 会員限定記事
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<あしたの轍 第2部>②
 戦後80年の今、国際秩序や平和の仕組みが揺らいでいる。自由や民主主義の旗手とされた大国が力を振りかざし、権威主義の色彩すら漂わせる。だからこそ過去に向き合い、未来につなげようとする姿はいっそう価値を持つ。あしたへと歩みを進める人々を再び追う。
   ◇
 「俺は何者なんだ」と迷い続けていた。物心ついたころから、ずっと。

◆通名使う自分は「差別されない側にいる」

 横浜市で生まれ育った韓国籍の兪在浩(ユジェホ=27)。家庭の方針から通名を名乗っており、高校までは市内の公立校に通った。両親も日本の学校出身だったが、幼少期に連れて行かれたことがある父方の親族の祭祀(チェサ)では、聞き慣れない言葉が飛び交っていた。少し年月がたって、それが民族名や朝鮮語のあいさつだったと知った。

在日韓国・朝鮮人の就職相談に乗る兪在浩さん=横浜市で(坂本亜由理撮影)

 小学5年のころ、母親に「あなたは韓国人だよ」と告げられた。周りの友達と自分は違う。そのときは「隠さなきゃ」と自身に言い聞かせた。中高生時代は「部活のサッカー、友達との遊びばかりで、ほとんど勉強しない一般的な男子」だった。それでも、両親の知人の在日同胞に誘われ、朝鮮半島にルーツを持つ少年少女が交流する「サマースクール」に足を運んだ。年1回、互いを本名で呼び合う数日間は「違わない」ことにほっとした。
 高校1年の夏。通名を持たない「金(キム)」という同い年の女の子が、日本人と名前が違うだけで、聞くに堪えない暴言を吐かれた体験談を語った。ヘイトスピーチという単語が社会にあふれ始めていた。彼女に心を寄せると同時に、自分自身が「差別されない側にいる」と認識した。憤りと悲しみを帯びた目に何も声をかけられなかった。
 本名と通名。同じ在日なのに彼女と違う。この夏を境にして、通名の自分に「何者だ」と問いかける日が増えていった。たまに、腹の底から「ひきょう者」と跳ね返ってきた。

◆同世代のほとんどが「在日」の存在知らず

 駒沢大に進学。初対面の学友には「ユ・ジェホ」と自己紹介した。反応は決まって同じだった。「韓国語を話せるんだ?」「どこから来たの?」。ずっと日本にいるし、日本語以外は全くしゃべれない。同世代のほとんどは「在日」の存在を知らなかった。

在日朝鮮人の生きづらさを語る大学時代の兪在浩さん(右から2人目)=東京都千代田区で(本人提供)

 「質問には悪気はない」とも感じた。でも、どうして在日韓国・朝鮮人が母国語を話せると、みんな思い込んでいるのか。説明するのが面倒になり、「とにかくモヤモヤしていた」ころにサマースクールの知人のつながりで、在日本朝鮮留学生同盟(留学同)の勉強会に誘われた。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の団体で、同年代の仲間がいた。民族の歴史や言葉を学び、サークルみたいに毎週のように飲み会が開かれた。「ここは何の説明もいらない。無条件にルーツを肯定してくれる」と初めて思えた。
 いら立ちが消えたのは、愉快な学友と過ごせたからだけではない。戦前・戦中の創氏改名の内実を知り、通名の使用を「日本の植民地支配の名残」と理解し、「自分の生き方の矛盾に正しく気付けた」のも大きかったという。
 そんなある日、財布の中の学生証を偶然、女性の先輩が見つけた。氏名欄には「三山稔希(みやまとしき)」。まだ差別にさらされる不安を拭えなかった入学時、これまでの通名を大学に届け出ていた。

◆学生証の氏名欄「本名にできませんか」

 「ジェホ、通名なんだ」というさりげないひと言が胸に刺さった。踏み出さないといけない、と思った。
 「本名にできませんか」
 意を決した。カウンター越しの職員に語りかけた。2017年5月、2年生に進級した兪は大学の教務部を訪れた。「怖い」。震えそうな手で通名が記載された学生証を握った。
 職員が示したのは、兪が1年前に提出した「通称名使用願」だった。注意書きとして「中途において変更することは認めない」とされていた。職員は相手にしてくれなかった。

◆「本名を名乗るのに、なぜおわびが必要?」

 そこから「なにクソ根性でやると腹をくくった」。教務部長に直談判し、在日朝鮮人の教授を介して副学長に掛け合うと、3年生の進級時にようやく本名への変更が認められた。大学が準備した「本名使用願」に「名前は自らのアイデンティティを確立する上で大切なこと」と書いた。

日本の学校に通う在日中高生に経験を伝える兪在浩さん(左)=2022年12月、さいたま市の埼玉朝鮮初中級学校で(本人提供)

 ただ、変更後に一つ気になった点があった。用意されたひな型に「2年後にこうしたお願いをすることについて、深くおわび申し上げます」と記されていた。確かにルールは犯したし、名前を戻すという一心で、深く考えずにそのまま提出してしまったが、「民族的マイノリティーの学生が本名を名乗るのに、なぜおわびが必要なのか」という不信感が募った。
 「親が離婚し、姓が変わったなら、即座に変更が認められる。何が違うのか。そもそも、通名と本名の葛藤を人生で迫られるのは、そのほとんどが...

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