フリーアナ・神田愛花さん 入浴「週1」で挑んだ中学受験 小学校〝お受験〟不合格をバネに

私の受験時代

(安元雄太撮影)
(安元雄太撮影)

失敗した経験は次に力を発揮する原動力になるのかもしれない。フリーアナウンサーの神田愛花さん(44)が中学受験に挑んだのは、小学校受験に落ちた悔しさを乗り越えるためだった。夏休みも外で遊ばず、入浴を週1回に制限して勉強に打ち込んだ日々を「つらいことも楽しむようにした」と振り返る。

面接に「ゴキブリ!」と答えて失敗

失敗した-。小学校受験ではっきりと覚えているのは両親と一緒に臨んだ私立小学校の面接試験です。面接官から「好きな昆虫」を聞かれ、最も嫌いな「ゴキブリ!」と答えてしまったんです。極度に緊張していたからだと思います。

面接後、塾の先生から「ゴキブリが身近にいる家庭環境だと思われた可能性がある。それが原因とは限らないが合格は難しいかも」と言われ、案の定、落ちました。国立小学校も抽選で落ち、神奈川県内の公立小学校に進みました。

(安元雄太撮影)
(安元雄太撮影)

「落ちた結果、ここにいる」。その気持ちが拭えずに、はい上がるために中学受験したい。そう心に決めました。

ただ、私の場合は小学1年生から勉強を始めても集中力が続かないと思ったんです。習っていた絵画にも力を注ぎたかったし、兄や弟の進路も考える両親に負担をかけたくなかった。

そこで母と相談し、進学塾の夏期講習に参加しつつ、本格的に受験勉強を始めるのは小学5年生になる頃からにしようと決めました。

通ったのは受験塾「日能研」です。行われるテストの結果でクラス替えと席替えがあり、勉強をゲーム感覚で楽しめました。

同じ目標を持つ友達がいて話が合う。電車で通塾する友達は駅で買ってきた食べ物を分けてくれる。塾に通うと、自分の世界が広がるような気がしていました。

勉強では算数や理科にワクワクしました。答えがはっきりとする科目に興味が湧きやすかったんだと思います。算数では、示された複数の角度を手がかりに、伏せられている角度を導き出す図形の問題が大好きでした。

夏休みは結構、頑張ったと思います。朝から夏期講習に通い、帰宅してからも復習をしていました。住んでいたマンションの外から他の子の遊ぶ声が聞こえても、自分だけ違うことをしているのがかっこいいと思っていました。

その頃、テレビの視聴は30分にすると決めていました。好きなバラエティー番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」は1時間ほどの放送時間でしたが、30分で切り上げて消しました。

小学6年生の頃は入浴に時間を費やすことさえもったいないと感じました。体を洗うことが勉強の役に立つのだろうか、と。一時期、入浴を週1回にしていたら、両親に「いいかげんに風呂に入りなさい」と言われました。小学校で後ろの席の男子から「頭が臭い」と言われても、心の中で「臭いのは百も承知。勉強しているからなんだよ」と思いながら苦情を聞き流していましたね。それほど勉強に打ち込んでいました。

憧れの都会とセーラー服を目指して

神奈川県内に住んでいましたが、第1、2志望校はいずれも東京都内の中学でした。理由は「都会に憧れていたから」です。

小学3年生の頃、歯の矯正のために新宿まで通い、大きな交差点で背の高い大人が押し寄せてくるのを、すり抜けて歩くのが面白かった。東京出身の母から都会の様子を聞いて興味をもち、実際に歯科矯正で通うようになったら、ますます都会の妙味を知ってしまい…。

志望校選びのポイントのもう一つは、制服でした。セーラー服に革靴、革のカバンを合わせたかったんです。

セーラー服が制服の大妻中学(東京都千代田区)を見学したのは、6年生のとき。ビルの合間にひょっこりと建つ校舎に魅了されました。都心に憧れがある私は「ここがいい!」と思いました。

(安元雄太撮影)
(安元雄太撮影)

母と一緒に泣きながら喜ぶ

2月に入ると立て続けに受験に臨みました。最初に受けた第1志望の問題は難しかったけれど、ギリギリで受かったのではないかと手応えがありました。翌日は第2志望の大妻中学の試験。気持ちを切り替え、大妻の試験に向けて時間を惜しんで勉強に励みました。

第1、2志望の合格発表を見に行ってくれたのは父です。小学校受験のときに見にいった母は「縁起」を担いで行かないことにし、一緒に父の知らせを待ちました。父の電話で第1志望校の不合格と第2志望の大妻中学の合格を知り、母と一緒に「受かった」と泣きながら喜びましたね。

ところが涙が出たとたんに、それまでになかった感情がよぎったんです。楽しく勉強してきたつもりでしたが、つらかったのかもしれない、と。

受験すると自分で決めたから、つらさに蓋(ふた)をしていたのかもしれません。本当は遊びたいときも、きついと感じるときもあった。でも状況を受け入れるために、楽しもうと頑張っていたんだと思うんです。その蓋が涙で外されたような気がしました。

そんなふうに何とか楽しさを見いだしそうとした受験の経験は、社会人になってもいかされています。

今、昼の生放送のバラエティー番組「ぽかぽか」(フジテレビ系)のMCを務めていますが、当初は準備が通用しないバラエティー番組には苦手意識を持っていたんです。始まって最初の1カ月は自分の不器用さを思い知り、悩みましたが、楽しめる要素を見つけようと切り替えました。

そう切り替えてから、生放送中に目の前で起こることを瞬時に把握して言葉で表現するのは、ニュースを伝えることと同じ、と考えるようにしました。苦手意識がある場面でも、自分の得意なことに重ねればいいと思うようになりました。番組のお役に立てているかもしれない、と感じるようになってから、ようやく居場所を見つけられた気がしてきました。

(安元雄太撮影)
(安元雄太撮影)

どんなときも楽しみ続けて

実は中学受験で不合格だった第1志望は、ある大学の付属校で、大学受験で合格し、雪辱を果たしました。そこには進学せずに、学習院大理学部に進みました。

子供時代のトラウマともいえる受験の失敗を語れるようになったのは、大人になってからです。アニメ「シティーハンター」の劇場版が公開された頃に、アニメの魅力について語る仕事を引き受けたのがきっかけでした。アニメについて話していたら、子供時代の記憶もよみがえってきたんです。過去を振り返るのを避けてきたけれど、振り返るのも意外と楽しいものだなと思いました。それ以降は躊躇(ちゅうちょ)なく思い出を語っています。7月には、自分の過去を振り返りながらつづったエッセー本も出版しました。

今、一生懸命、勉強している受験生に伝えたいのは、どんなときも楽しみを見つけながら、続けることを大事にしてほしいということ。受験を乗り越えて、その先の長い人生も楽しみ続けていってくださいね。

プロフィル

<かんだ・あいか>昭和55年、神奈川県生まれ。学習院大理学部卒。平成15年、NHKに入局。24年、NHKを退職してフリーアナウンサーに。令和5年からフジテレビ系の昼の帯番組「ぽかぽか」のMCを務める。近著はエッセー本『王道っていう道、どこに通ってますか?』(講談社・1650円)。

神田愛花さんが初めて出したエッセー本『王道っていう道、どこに通ってますか?』
神田愛花さんが初めて出したエッセー本『王道っていう道、どこに通ってますか?』

会員限定記事

会員サービス詳細