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外様の雇われ社長が、全方位に詰んだ話

投資会社に送り込まれる形で、あるスタートアップの社長を務めていました。 最初は「社員も会社も、正しく成長する戦略を実行すれば、自然と成功につながる」と思っていました。でも実際は、組織の土台そのものが脆く、そもそも誰も変化を求めていない状態でした。

社長在任期間4ヶ月という短期間でなぜ辞任に至ったのか。何を学び、今どう考えているのか。守秘義務に抵触しない範囲で、自分の言葉で残しておこうと思います。

なぜ引き受けたのか

マーケティングとプロダクトを掌握する本部長を務めていた前職カーシェアのAnycaがサービス終了することが決まり、今後のキャリアを迷っている中でした。自分自身、ナンバーツー気質と認識していましたが、 それでも「もう一段、責任のある立場で挑戦してみたい」という気持ちが湧いていた時期でもありました。

そんな中、ヘッドハンター経由で「投資会社がある会社の次期代表を探している」とオファーを受けました。聞いたことのない会社を任せられる怖さもあり、事前にPLやBSも確認させてもらっていました。詳細は伏せますが、音楽関連で驚くほどの利益構造がある一方で、ビジネス上のリスクが複数存在し早期の改革が必要な状態でした。

また会社の仕組みもまだまだ未整備と聞いていて、「ここから伸ばしていくのは自分の腕次第」と思えたのが魅力でした。


中に入って見えたもの

11月に取締役として入社、1月に正式に社長に就任、前代表の退任もあわせて社内に共有されました。 そのタイミングで、大きな方向転換を目指す「改革戦略」も発表しました。 これは投資会社とも密に連携をとった上で進めたものでした。ただ、着手してすぐにわかったのは、それを支える土台が思っていた以上に脆く、計画の実行どころか戦略そのものが根付く事が不可能だったということでした。

これまでは戦略というものが存在しておらず、 とにかく「数を打てば当たる」的な発想で、打ち手はあるが意図や優先順位がない、そんな現場でした。 営業管理の基本であるSFAのような仕組みも導入されておらず、受注や失注の理由もデータでは残らない。 日々の行動の積み上げが、どこにもつながっていない短距離走を走っている感覚がありました。

「社員に多くを求めてはいけない」と投資会社からは言われていました。 でも、それを軽く見ていました。今思えば、それは構造の「前提」だったのだと思います。社員を信頼していると伝え、多くを任せ給与増に取り組む約束をし、取り組みを進めました。
投資会社からは当初から信頼を受けていたと思います。けれども同時に、社内での問題が起こるたびにこうも言われました。

"これはライアーゲームだと思って進めてくれ"

いま考えると、戦略を正しく機能させるためには見えない社内政治を司る必要があるということだったのだと思います。


崩れていった日々

それからは自分の目で確かめた現場の課題を潰していこうとしました。 でも、動くたびに“反発”が生まれました。

個別の事情を優先して考える事しかできず、感情的に憤り社内の和を乱す人物たちがいても、それを許す空気がありました。気づけば、社員の半分以上がそういった人物たちに飲まれて「変化=悪」と捉えている状態でした。 社内の“癌”への対処に苦戦しました。

特に、自分の前では非常に理解のある表情を見せていたマネージャーが、実は裏ではその“癌”に媚びへつらう振る舞いしていたりと、結果的に状況をさらに悪化させていたことも、後から知ることになりました。
徐々に問題が悪化していったタイミングで体調を崩し、一時的にリモートワークを導入しました。直接向き合うことから逃げるような判断でした。
しかしその後、改めてその“癌”と正面から向き合おうと試みました。 ただ社内政治が大好きなその人物たちは、むしろ自らの影響力を強めていきました。 結果的に、私の立場はより不安定になり、組織としての緊張感も高まっていったのです。

ある種、学園ドラマのようでした。 嘘をつく人間。陰口で支配する人間。外様の私を排除する空気を作る集団。
そのうち、組織は自壊に近い形で崩れました。 改革の手応えがないどころか、抵抗の方が強くなる一方。

そんな中でも、「この状況を一緒に変えたい」と名乗り出てくれる社員もわずかですが存在していました。 その存在が、当時の自分にとっては唯一の希望でした。


最後の判断と、その後

着任初期、信頼できる友人たちにも声をかけて、面接に臨んでもらっていました。結果的に入社に至った方はいなかったものの、今思えば「もし巻き込んでしまっていたら」と思うと申し訳ない気持ちがあります。
また、前職でのつながりでさまざまな面で助けてくれた方々にも、十分に恩を返せないまま終わってしまったことに対して、同じように申し訳なさを感じています。

心身ともに限界を感じ、適応障害と診断されました。 「何かを間違えた」とはっきり思いました。 でも、それは意思の弱さではなく、構造の前提を読み違えていたのだと思います。

辞任を決めてから、体調はみるみる回復し現在は全快し、今はもう新しい道に再スタートを切っています。


もしもう一度やり直せるとしたら

正直何度やっても同じ結果になるように感じています。 だけど、これはやるかもしれない。

・半年は何も変えず、現場でとことん学ぶ
・現場をしきる信頼できる右腕をできるだけ早く入社させる
・株主との意向の違いがあったとしても、“癌”になっている人物がいれば、即座に手を打つ

あのときは、「変えること」が使命だと思っていました。 でも、今なら「何を変えないか」から始める方が、本質に近づける気がしています。


ここにはかけない壮絶なストーリーが実はもっと存在します。外様の雇われ社長が現場に入ったとき、何が起きるのか。 そのリアルな一例として、どこかで役立つことがあれば嬉しいです。

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外様の雇われ社長が、全方位に詰んだ話|新宅暁
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