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万博で黄櫨染御袍の着用について(私は「お好きにしたら」の人)

現代の位袍事情

現代(明治から令和の現在まで)の位袍について、「大阪万博で黄櫨染御袍の着用実例をした衣紋の団体がありそれを見た装束愛好家が良い、悪いを呟いていた」ので考えるきっかけとなったのですこし自分の勉強した成果を基にあーだこーだを記録してみたのがこのノート。

まず私のスタンス(というかこのノートの結論)は皇室儀礼じゃないのならば着用したければすれば、となる。

ちなみに私も黒・緋色袍を数点、所有しているが着用して出歩いたりはしない。着用目的ではなく単純な資料としての物品。また皇室尊崇の念がものすごく強くあるわけではなく、伝統文化の継承者のトップ(元締め的な)としての皇室の存続は必要だと考えていて、装束やその周辺の背景という文化に興味が尽きないだけのサラリーマン。なので「尊崇の念で黄櫨染はNG、だけどコスプレで四位以上の黒袍はOK」はちょっと違うのではと思っている人。

ノートのきっかけ

衣紋団体が大阪万博のデモンストレーションで黄櫨染御袍の着用をしたことについて賛否両論がでている。
一部の装束愛好家は「天皇のみが着用する物なのでこのような場所でデモンストレーションでも着用すべきではない」という論調だ。しかし、本当にそうなのだろうか。確かに禁色なので時代が異なれば習慣法によって処罰される。しかしよく考えてほしいとも思う。かりに黄櫨染の束帯を着用した人を見て「あ、天皇だ」と認識するのだろうか。また、愛好家が自分の装束好みにおいて輪無唐草や轡唐草の黒や緋色の位袍を着用していることには違和感を持たないのだろうか。これらの黒袍や緋色袍も当然、時代が時代であれば習慣法によって処罰対象となる。

位袍を着用するということはそのようなことなのに、黄櫨染のみを特別視し、黒袍や緋色袍は特別視しないということは成り立つのだろうか。

私はこれはダブルスタンダードだと思う。黄櫨染も黒も緋色の束帯や衣冠は「位」によって適切に着用されるべき装束であり、下位や無位の者が着用することはなかった。しかし、現代は黒袍や緋色袍を着用して娯楽や結婚式などに参加もする。だけど、黄櫨染はNGというのはそれがダブルスタンダード以外ではなく、黄櫨染のみを特別視している理由は果たしてなんであろうか。

検討するにあたってまずは近現代の位階について確認し、天皇が黄櫨染御袍を着用される「即位式」について少し検討を加え、無位者が黒袍や緋色袍を着用すること、また「黄櫨染のみを着用すべきではない」と言えないということを確認してみたい。

位階事情

明治維新以降から令和の現在に至るまで日本にも変容しながらではあるが、律令時代からの位階制が引き継がれてきた。明治2年には位階の上下(正四位上や従五位下などの上下)をなくし、その時点の位階をその後も用いることになった(明治2年太政官第620号) *1 。その後、法制化が進み明治20年5月6日勅令第10号として『叙位条例』 *2 が定められ、爵位と位階が相当する。またこの『叙位条例』には下記の様に定められた。
 従四位以上 勅授
 正五位以下 奏授
となった。ここで勅授や奏授の区別が発生していることもポイント。なお『叙位条例』が停止されるのは大正15年10月21日勅令第325号の『位階令』 *3 による(附則部分で叙位条例を廃止ししている)。この『位階令』は現行法であり平成28年に刑法改定による政令によって改定をされている。

位階令について

ここで現行法の『位階令』を見てみると存命、死亡にかかわらず位階を授けることができる(第2条と第3条)となっているが、現行の場合には生存者は叙勲はされるが叙位はされない運用になっている。それは昭和21年5月3日 閣議決定 *4 により生存者へ叙勲と叙位を停止する運用が開始され、その後に昭和38年7月12日 閣議決定 *5 による生存者に対しては叙勲を再開するという運用が定められたが、叙位はこの閣議決定からは省かれているため、未だ「昭和21年5月3日 閣議決定」が有効になっていると解釈され、生存者への叙階は運用が再開されていない。そのため、『位階令』の第3条による「前条ニ掲クル者死亡シタル場合ニ於テハ特旨ヲ以テ其ノ死亡ノ日ニ遡リ位ヲ追賜スルコトアルヘシ」という条文が現法制上では有効になっており、叙階は死者のみに対して行われることになった。ということは、昭和21年5月2日までに位階を授けられていない場合には、生存者の中には位階を保有している日本国民は存在しない、ということになる。なお、位階を授けられる年齢についての法的根拠はないが通常、華族家督を継承したもののほか、何らかの官公庁において業務を遂行したために正五位以下を叙階されるものがあり、業務遂行によって叙階される人のほうが圧倒的に多くなる。そこから考えると現在、正五位以下の位階(判任官程度)を保有しているのは、昭和21年5月(1946年5月)までに少なくとも21歳以上であったと仮定することができ、現在ならばおおよそ100歳前後となるだろう。

まとめると、
 明治2年 江戸時代の位階をそのまま継承することが許可される
 明治20年 近代的な叙階条例が制定
 大正15年 叙階条例を廃止し位階令を制定
 昭和21年 勲位及び位階の停止
 昭和38年 存命中は勲位のみを授ける運用にする。叙階は停止中
 令和7年 昭和38年の閣議決定を運用中
となるため、黒袍を着用できるような高い位階を持った人は実際のところ、死者のみとなる。

服飾関係

つぎに位階と切っても切れない衣服関係について。
明治政府は海外の文化を積極的に受け入れるため洋風化を推進し、通常の儀式時には束帯などの伝統的な衣服令をほとんど廃止し、洋装化を定めるための「大礼服」を定めるに至った(明治5年太政官第339号) *6 。大礼服はヨーロッパをモデルに作成された洋装で、大きな帽子と金糸を使った豪華な刺繍が施されている燕尾服状の礼服になる。礼服着用についても大礼服を定めた明治5年の法に記載されていて、勅任官、奏任官、判任官の3つの種別によって着用すべき刺繍や刺繍糸、ボタンが異なることとなった。当然、大礼服以外にも即位式など伝統的な行事には束帯が引き続き採用もされている。私の研究材料である男性官人の装束(束帯など)に関して検討してみたい。

まず、勅任官、奏任官、判任官について少しだけ補足。
明治2年7月11日太政官640号 *7 によって区別が明確にされている。
 勅任官は四位以上
 奏任官は六位以上
 判任官は七位以下
となる。

この区別を『叙階条例』の記載にあてはめると、
 勅任官は勅授(従四位以上)
 奏任官は奏授(正五位以下だが、明治2年には従六位だった)
となり、判任官は『叙階条例』には記載されていないものの七位以下という規定がある。

では続いて今回、近代の天皇即位式については大正及び昭和、平成を検討する。

明治の即位式(除外)

近現代以降の天皇は明治天皇以降となるが、明治天皇は慶應年間に即位式を挙行しているため関係した予算書などの公文書が現在のところ公開されていない。しかし、絵画史料 *8 から確認する限りは黄櫨染御袍着用の上で京都御所において挙行されている。なお高御座に着座する際には先代の孝明天皇までは袞冕十二章(手前みそ)着用だったが明治天皇即位時には用いられていない。これは国内外の様々な圧力や意識的な変化に伴い、唐風の装束を否定したからだ。

大正の即位式の検討

明治天皇即位後の明治42年に『登極令』 *9 が発布されており、即位式に関して2つの装束が用いられることになった。1つは維新後に策定された大礼服、2つ目が伝統的な束帯をはじめとする装束となる。さて、大正天皇即位式の概算書 *10 から、「勅任官」及び「奏任官」の束帯に関する予算計上がされている。
 勅任官 20組(合計10,017円、単価500円85銭)
 奏任官 32組(合計12,811円、単価400円35銭)
このように一部の儀式においては洋装ではなく伝統的な装束を着用するための予算処置が行われており、着用に関する規定もここから確認できる。また、勅任官は「従四位以上」となるため「黒袍」となり、奏任官は「正五位以下」なので「緋色袍」となる。この着用する色に関しては平安後期からの伝統に沿うもので平安後期から変更はされておらず大正天皇の即位式にも援用されているものと考えるのが妥当だ。さらに即位する本人である大正天皇の位袍である「黄櫨染」についても予算が計上されている。

昭和の即位式の検討

大正天皇のような予算書 *11 が公開されており(官人装束に関しては126ページ)、そこから必要な情報を抜き出すと次のようになる。
 勅任官 22組(合計17,664円、単価768円)
 奏任官 44組(合計29,286円、単価665円60銭)
 判任官 54組(合計21,529円、単価398円70銭)
また、侍従の手記 *12 (この手記は一般公開ではなく国立国会図書館デジタルコレクションの「送信サービスで閲覧可能」な限定史料のため閲覧する場合には登録をお願いします)によると昭和天皇の即位式にも大正天皇と同じく登極令に沿って大礼服と束帯という2つの装束が用いられており、しかしながら装束に関する問題提起がされていることが確認できた。

平成の即位式の検討

現在の上皇の即位式には明治、大正、昭和の先例及び書陵部の記録から様々な勘案を行い検討されたことが鎌田純一氏の『即位礼・大嘗祭 平成大礼要話』に詳しい。しかしながら昭和22年5月2日に登極令を含む皇室令は廃止 *13されており、上述したように位階の授与に関しても生存者には行われない状況において、どのように着用事例を検討していたのだろうか。基本的には各官庁より人員を募り、先例に沿ってその儀式に必要な装束を着用することになった。そのため、位階に関係なく業務自体に付随することになった。例えば皇宮警察官で威儀役になった場合には配置される場所にふさわしい装束を着用することのようなものだ。これは、警察官が警察官制服を着用するのと同じもので、位階によらず職業に沿ったユニフォームを着用することと同じとなる。

即位式に関するまとめ

大正天皇及び昭和天皇の即位式で束帯を着用する人々はこの当時の位階を保有している。そしてその位階に沿った色を着用している。なので伯爵位(従二位相当)を持っているが「緋色」が好きだから「緋色袍」を着用したい、といったことはできず、身分制度によるものだった。平成の即位式では位階制が廃止されているため、業務に付随した着用規定になった。

現在の神職衣冠

人そのものの身分ではなく、業務に必要な着用事例と言えば、神職になるだろう。
現在、最も束帯や衣冠を着用する頻度か高いのが神職で、神職も身分によって下記のような着用色の区別が行われている。
 特級 黒袍
 一級 黒袍
 二級(上) 緋(赤)色袍
 二級 緋(赤)色袍
 三級 緑袍
 四級 緑袍
このように、神職も神社を統括する教団内の規則に沿って着用を行っている。

まとめ

上述してきたように、束帯に関する規定は実のところ昭和22年までは有効な法規制があったものと考えられる。戦後の即位式は2例しかなく令和の即位式は平成の即位式を踏襲することが大礼委員会で決まった。よって、参考になる即位式は大正、昭和、平成の3つとなる。その中でも律令時代から変遷はしているものの位階による身分制があった大正、昭和においては勅任官、奏任官、判任官で位階が定められており、当然、着用すべき位袍の色が決定されていた。しかし、平成の際には位階による身分性が存在していないため、身分によっての位袍色は定められずに、参加する儀式の職掌によって着用することになった。

ここから令和においても、「皇室の儀式」の際にはいまだに位袍の着用規定があるものと解されるが、皇室の儀式ではないデモンストレーションやコスプレや娯楽、結婚式などにおいては位袍の制約を受けないものと考えられる。そのため、今回の大阪万博の束帯・十二単の着用デモンストレーションでも黄櫨染を着用することは問題ないと考えることができる。
逆に言うならば「皇室の儀式ではない」場合においても黄櫨染の着用が認められないならば、なんらかの職掌を持たずにコスプレや娯楽として黒袍などの位袍を好みで着用することも控えるべきではなかろうか。

歴史を追って法的な解釈はこのようになるが、皇室尊崇の念から「黄櫨染はNG」と言われてしまえばそれまでである。しかしながら、そもそも位袍は歴史的に見て皇室に関係するもののため、皇室尊崇しているのならば、なおさら、なんら職掌を持たない者が「自分の黒袍や緋色袍はOK」とも言えないのではないだろうか。

おしまい

参考資料
*1 : 『法令全書』明治2年,内閣官報局,明20-45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/787949 (参照 2025-04-29)
*2 :『法令全書』明治20年 上巻,内閣官報局,明20-45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/787970 (参照 2025-04-29)
*3 :大蔵省印刷局 [編]『官報』1926年10月21日,日本マイクロ写真 ,大正15年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2956399 (参照 2025-04-29)
*4 :昭和前半期閣議決定等収載資料及び本文 官吏任用叙級令施行に伴ふ官吏に対する叙位及び叙勲並びに貴族院及び衆議院の議長、副議長、議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件, リサーチナビ, https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/db/cabinet/s21_22/bib00720 (参照 2025-04-29)
*5 :昭和前半期閣議決定等収載資料及び本文 生存者叙勲の開始について, リサーチナビ, https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/db/cabinet/s34_38/bib01429 (参照 2025-04-29)
*6 :『法令全書』明治5年,内閣官報局,明20-45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/787952 (参照 2025-04-29)
*7 :『法令全書』明治2年,内閣官報局,明20-45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/787949 (参照 2025-04-29)
*8 :歴史の教科書に載っていた、あの絵画がここに, TOKYO WALKING, https://www.tokyowalking.com/news/pg751150.html (参照 2025-04-29)
*9 :大蔵省印刷局 [編]『官報』1909年02月11日,日本マイクロ写真 ,明治42年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2951035 (参照 2025-04-29)
*10 :長崎省吾関係文書>2. 国内関係>2-9. 大正天皇即位 第三部 予算書類, 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10214395/1/7 (参照 2025-04-29)
*11 :昭和財政史資料第2号第1冊 昭和2、3年度大礼費予算内訳明細書, 国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/img/1272564 (参照 2025-04-29)
*12 :<限定公開>木下道雄 著『宮中見聞録 : 忘れぬために』,新小説社,1968. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2983727 (参照 2025-04-29)
*13 :大蔵省印刷局 [編]『官報』1947年05月02日,日本マイクロ写真 ,昭和22年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2962601 (参照 2025-04-29)

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