嵐と凪ぎと


    
太陽暦455年、マクドール将軍家嫡男・ナギ、帝都より出奔。
その数ヶ月後、帝国領土の中心に鎮座するトラン湖を長らく覆っていた霧が晴れた。
第二期解放軍の始動である。

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――再会の記憶はまるで夢のよう。
思い出すだけで足元がふわふわして、何だかそこだけ地面が無いみたい。
師の後に続いて現れたわたしにナギがその黒い瞳を少しだけみはる、そんなささいなことにさえ胸が高鳴った。
しゃあしゃあと「仕方ないから手伝ってあげる」なんて言いながら、内心はびくびくしていた。
レックナート様がお連れ下さったのだから、まさか「帰れ」とは言われないだろうと思っていたけれど、それにしたってナギが迷惑に思わないかどうかなんて分からない。役に立つのだということを示したかったけれど(何しろこの間はあっさりと彼にやり込められてしまったのだから)、まさか真の紋章を持っているんだと威張るわけにもいかない。
どうしよう?どうしたらいい?
役に立たない思考ばかりが、少女の頭の中をぐるぐると回っていた。
時にルック、12歳の夏。
初めて「世間」に下りた彼女にとって、行く手には試練とも呼べるとびきり騒々しい日々が待ち受けていた。

…そんな少女のごく個人的な不安をよそに、第二期解放軍の旗揚げの状況はまずまずと言って良いようだった。
長い間その姿を隠していた薄暗い霧が失せ、現れた湖上の城へカクから次々と食料や雑多な日用品が運びこまれている。さらに湖岸に面するいくつかの村や町から伝えられた協力の意が、まだ数少ない軍の面々の意気を上げていた。
日が落ちないうちに部屋割りだけでも全部決めてしまおうと幹部の指示で皆がばたばた動き回る中、ルックは比較的人が少ない上の方の階に石板を運んでもらい、そのそばに自室をもらって早速片付けに入った。
もともと大した荷物があるわけでもないし、だだっぴろい塔の掃除を一人でまかなっていたルックだから、さほどの時間もかけずに作業は済んでしまう。こぢんまりと整った部屋の中、ベッドに腰掛けてドア越しの喧騒を聞いていると、片付けに専念している間は忘れていた不安がまた頭をもたげてきた。
(…邪魔、とか思われないよね。大丈夫だよね)
宿星としての自分がいる意義はルックにそれなりの自信を与えていたが、それも星見の価値を理解しない者たち(大抵の人間はこちらに入るのだ、残念ながら)には意味が無い。レックナート様の威光にすがるのではなく、自分の実力を示して、ここでの居場所を確立しなくては。
もっともルックの場合、周囲と言うよりは単にナギに邪魔だと思われさえしなければそれで良かったのだが。
何だかこんなところで一人で考えているとどんどん沈みこんでいってしまいそうだ。
そう考えて、少女は気分を変える必要性を感じた。
こういう時は空の見える場所で空気を吸うのがいい。
よし、と気合を入れてドアを開けるとそこはある意味、既に戦場だった。

「おおい!その木材はそっちじゃねえって!」
「ええ?2階の奥へ運べって言われたんだぜ!?」
「ここは3階だろーが、アホ!」
「ちょっと!それじゃこっちに来るはずの分はまだなの?ようやく届いたと思ったのに」
「でかい材から順次運んでるからさ、この階で使う基礎分はもう来てるはずだぜ」
「来てないから言ってるんだよ!」

あちらこちらで怒鳴り声がひっきりなしに飛び交う。
男も女も関係なく声を張り上げ、その間に滑り込むように荷物を置いたり材木を積み上げたりする騒音が混じる。
どすんばたんというその音が響くたび頑丈な石造りのはずの床が揺れる。
あまりの騒々しさにルックは開いたドアの前でそのままぴきり、と固まってしまった。
(な、何で…いちいち叫ぶ必要があるのよ…?)
おざなりに造られているように見えた部屋の扉は実は随分しっかりしたものだったらしい。部屋の中にいる間は、外から漏れてくる本来の騒音がこれほどのものだとは思いもしなかった。信じられない。
これまでルックにとって騒音と言えばせいぜい夜の嵐くらいだった。
あれはうるさい。いつもは静かなはずの夜が、まるきり違うもののように感じられる。
しかし今のこれに比べれば、嵐の音など生ぬるいとしか言いようがなかった。
敢えてルックの経験から似ているものを探すとすれば、師の蔵書がどっさり積んである塔の書庫でうっかり本の山を崩してしまい、ザザーッ、ドサドサッと音を立てて雪崩を起こし大量のホコリをたてる…そのめったにない災難が延々と繰り返されてもはや取り付く島もない、という状況が一番近い気がする。
…平たく言えばパニックに陥るには充分な状況、なのだった。
「嬢ちゃん、そこにいたら邪魔だ、通る奴にぶつかられるぞ」
材木を運んでいた一人の男が、通路の途中にぼうっと立ちすくんでいた緑の法衣の少女に通り過ぎざま声をかける。
彼女はびくり、と小さな体を震わせ、あわてて上に続く階段の方へ去っていった。
「…何だあ?」
少女の様子に、自分は何か悪いことでもしたかと男は首をひねったが、忙しいさなかにそんなささいなことを気にしてはいられない。すぐに忘れて、「はやく持ってきとくれよ!」と恰幅のいい女が手を振って呼んでいる方へと向かった。

知らない男にかけられた声を機に、ルックはその場から逃げ出した。
とにかく逃げることしか考えられなかった。
結局は自分が片付けるしかないのだと分かっていながら本の雪崩に目をそむけて書庫を後にするとしたらきっとやっぱりこんな気分なんだろう、と意味の無いことを考えながらルックは屋上への階段を駆けあがる。
(だって、あんな…何であんなに人がいて、あんなにうるさいの!?)
ゆるやかな螺旋になった階段を上まで登れば喧騒のボリュームも大分ましになったが、まるで耳鳴りのようにさっきまでの騒がしさがルックの感覚から離れなかった。息を切らせながら、とにかく外へ出たいという欲求に従って重い屋上のドアにぐっと体重を乗せ、押し開ける。
このドアを開ければ空が見える。そう思って。

(…あ)

屋上の真ん中に座り込む、赤い胴着をまとった背中が一つ。
それが目に入った瞬間、ルックの周囲で世界ががらりとその姿を変えた。
色や音や感覚の全てがぐしゃぐしゃに混濁したものから、しん、と静かな、そして穏やかで揺るぎないものに。
それはまるで、嵐が一瞬にして凪ぐよう。
わずらわしくまとわりついていた雑音や空気やそれら全てが静まったその中心に、彼がいた。
ナギ・マクドールが。

知らず息を詰めて見入っていたルックに、ほどなくナギが気づき、振り返る。
「どうした?片付けは済んだのか」
「あ…、うん」
柔らかな声と向けられる漆黒の瞳が、残っていたわずかな不安や苛立ちさえ、さらりとぬぐい去っていく。
そのことに力を得て、少しためらった末にルックは尋ねてみた。
「ナギは、何してるの?」
「ん。屋上の視察、と言うか、この城の位置取りを上から確認しときたくてな」
ルックがなるほどと思っていたら、彼は「と言いつつ実はサボってるだけ」などと続ける。
「サボってるの!?」
思わず大きくなった声にルックは自分であわてたが、見れば軍主は気を悪くした風もなく、くつくつと笑い声を上げていたのでほっと胸をなで下ろした。
「内緒な」
口元に指を当てていたずらな子供のように言うナギの気安さにルックは嬉しくなって、「うん」と頷いた。こんな時に嫌味の一つも返さないなんて自分らしくないと、心の隅に思わないでもなかったけれど。
「座れば?」
そのまま扉の前で立ち尽くしていたルックに、ナギが店の椅子でも勧めるように自然に、自分の隣あたりの床を指す。
「…うん」

言われてようやく素直に座り込んだ少女を見やり、ナギは思う。
(ほんと、人馴れしてない子だよな)
荒くれ者どもが集まるこんな場所に一人で置いてきぼりにして大丈夫なのか、とあの何もかも達観したような星見の魔女に尋ねたくなる。
おまけに初対面の時の様子をかんがみるに、人馴れしていないだけでなく人嫌いの気もありそうだ。
寄せ集めの軍の中で、人嫌いの、そしてあれだけの魔力を持った少女。
一歩間違えれば惨事の種になりかねない。
…軍主としてはそんな危ないものを黙って放っておくわけにはいかないではないか。
どうやら彼女は自分には好意を持っているようで、そうなるとフォロー役は自分が引き受けるしかなさそうだ。
(もしかしてあの星見殿、そこまで読んでたんじゃないだろうな)
レックナートの済ました顔を思い浮かべ、一瞬ナギは片頬を引きつらせた。

分厚い扉を閉めてしまうと、屋上にはすぐ下の階の喧騒も届かず、かえって遥か下、湖から島に付けた船が引き揚げられる音や掛け声が遠く聞こえてくる。それらの音が、むしろ今、この場所がとても静かであるということを教えていた。
ふう…とため息を吐く少女を見やり、ナギは何となくルックがここにやってきた理由を察した。
(あんな島で暮らしていたんだもんな。でもまさかあそこから一歩も出たことがない、なんてことは…無いよな…?)
普通に町に出たことくらいはあると思いたい。
「なあ、あの石板さ、結局何なんだ?」
黙っているのもなんだと、ナギはとりあえず彼女が話しやすそうな話題を振ってみることにした。
「何って、約束の石板だよ。レックナート様が説明したじゃない」
「集まった人の力が示される、だっけ?」
「そう。宿星って言って…軍主の力になることを宿命づけられた人がいるの。その人が仲間になれば、名前があの石板に刻まれる。集った宿星たちは軍の中核をなす力になるわ。だから、刻まれる名前が増えれば増えるほど、解放軍に力が集まるってこと」
ルックは会話が途切れてしまわなかったことに内心ほっとして答える。
「ふうん…」
(…やっぱり宿星とか運命なんて、胡散臭く聞こえるのかな)
ナギのいぶかしげなあいづちの打ちように、今度はとたんに不安になる。
(運命なんて、普通に生きていてその存在を感じるものじゃないし、そもそも不確かなものであるのには違いないし)
「それで。何が約束?」
「え…あ、えっと」
マイナス思考に沈んでいるところを問い返されて詰まってしまう。
(しっかりしなさい!)
「つまり、あなたが選んだ道が天意に沿えば、彼ら…宿星の力があなたに与えられる、それが約束なのよ。石板の名が埋まるのは、あなたと天との約束が果たされました、っていう証明…というところかな」
「天との約束、ね」
「…うん」
うなずいて説明を終えた少女は、心細げな表情でナギを見上げた。
ナギとしては、天の神様と約束しましょうなんて言った覚えがあるわけじゃなし、天意に沿えば力を与えるなんて言われても、そんなのは一方的な押しつけという感が強い。 正直、何だそれは、という感じだ。
だが彼はその思いを顔には出さず、ただ軽く笑んで「それじゃ、ルックがここにいるのは天意のお墨付きってことだな」と言った。
「…ま、そういうこと。ありがたいでしょ」
ルックはナギのその言葉にようやく普段どおりの彼女の、つんとした物言いで返した。
どうやら多少なりともこの少女を安心させることには成功したらしい。やれやれ、だ。
「それじゃ、まあ、よろしく」
ひょいと反動を付けた両足だけで立ち上がって上からぽんと亜麻色の頭に手を置いたら、少女はむっとした顔になった。
本当に人馴れしてないな。反応が分かりやすい。
「子供扱いしないでくれる?」
「了解」
ちゃんと聞いているのか、ルックの抗議に軽い調子で応えると、仕事をサボっていた軍主はそのままひらひらと手を振って階下へ下りていった。
(………)
(邪魔…には思われてないみたい、だよね)
それに、つい相変わらずの生意気な態度を取ってしまった自分に腹を立てた様子もない。
笑ってくれたし、普通に話してくれた。
よろしく、と言ってくれた。
(うん、大丈夫)
知らない人間がたくさんいたって、今までとまるで違う生活を送ることになったって、きっと大丈夫。
あの人のそばにいられるんだから。

…こうして、ろくに人と関わってきたことの無かった少女の軍生活が、始まったのだった。

  


再会のセカンドステップ。まだまだ先は長いな、こりゃ(笑)。
このシリーズの何が楽しいってルック嬢の目に超絶かっちょよく映る坊様を書くのが楽しいです。たとえ描写がめためたでも。
…そんなこと言ってないで精進せえ。

  

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