fatal day


  
◇1

森が青く色づく季節には命の一瞬の輝きがあるから好きだ。
やがてそれらが季節のめぐりの中で死んでいくのだとしても今まさに盛りを迎えているものの姿はやはり美しいから、樹も花もせめてこの時のために生まれたのだろうと思うことが出来る。
以前ルックがそう言った時、彼女の師であるレックナートはどこか哀しげな表情を浮かべた。
それが何故だったのか、この時の彼女にはまだ、分からなかった。

------

島の中央に、ひょろりと伸びた細長い塔。
ルックはその塔の上からひらりと跳んで、ほど近くにすっくと伸びた若木の一枝に降りた。
纏う風の量を調節してバランスを取り、視線を前に向ければ、緑が一面に広がっている。
ほんの数週間前まではまだ枝々の隙間から空の青がのぞいていたけれど、それも今はもうしっとりとした色合いの緑に埋め尽くされて空の広がりはただ、上へと向かうだけ。
この森を良く知らない人ならば、その様子を「鬱蒼と茂った森」とでも表現してきっと少し不安に思うのだろう。けれどルックにとってはここは目をつぶっても歩ける自分の庭だったから、茂る葉も枝もちっとも気にならない。
本当は今日は年に一度の少々憂鬱な日なのだけれど、目に映る森の姿も手に触れる木の幹の感触もすっきりとすがすがしくて、不思議なほど心が軽かった。
(たまには、ちょっと派手ないたずらをするのも悪くないかもね)
にこ、と笑った少女の顔立ちには幼いながら繊細な美しさがあり、もう数年もすれば誰もがハッとさせられるような美女に育つだろう、と思わせた。
ただし今その顔が浮かべているのは麗しい微笑ではなく、明らかにこまっしゃくれたいたずらっ子の笑みだった。

塔へ向かう道の途中、上空から眺めるとわずかにそこだけ土の色が見える少し開けた場所へ少女はふわりと降り立つ。
そして細い声でしばらく呪文を唱えると、さしたる苦もなく異界へ繋がる門を開いた。
「おいで、クレイドール…しばらく地面の下に隠れていて。あいつらが来たら、おどかしてやるの」
のっそりと門から這い出た土人形は、少女の命に従って吸いこまれるようにずぶずぶと地面の下に消えていった。ルックはその様を面白そうに眺めると、化物が消えた後の地面にいくつかの紋様を描き、短い呪文を一つ二つ唱えた。
それから周囲の木々のうちで悪戯の舞台が一番よく見える特等席を選び、再び風を纏ってその枝へと跳んだのだった。

仕掛けは上々。
さあ、楽しませてね?

-----

島の空を覆う静けさが不意に、ごうという巨大な翼の風切音に破られる。
空の青を割るようにして現れたのは見事な黒竜だった。竜はそれこそ「不意に」現れる、という言葉がぴったりくるほどに素晴らしい速さで飛ぶ生き物だ。そして、それを扱うことが出来るのは竜騎士のみである。そんな希少な竜騎士たちに便宜を図らせることが出来る例は、強大な権力を誇る帝国軍であってもあまり多くない。
だから通常の手段では近づくことの出来ないこの島に毎年わざわざ竜騎士の手を使って近衛隊の人間に星見の結果を取りに行かせるのは、帝国が"星見の魔女レックナート"に高い敬意を払っている証拠と言えた。

舞い降りた黒竜から一人、二人と人影が降り出る。
「テッド君、大丈夫ですか?」
「あ、うんグレミオさん…ちょっと、目が回った…」
背中に弓を担いだ少年が片手で頭を抑え、竜の背中に据えられた籠から降りあぐねていると、黒竜の主である少年が「とっとと降りろよ」と蹴りだした。
「うわっ。こらてめっ、何すんだよ!」
「トロトロしてるからだろ。じゃあ、俺はここでブラックと待ってるからさ。早めに済ませてくれよ」
「ああ。ありがとう、フッチ」
後ろでべーっと舌を出しているテッドをちらりと一瞥してたしなめながら、一行の中心にいた黒髪の少年――ナギは小さな竜騎士見習いに応えた。フッチがテッドの方に目をやりちょっとムッとしたのを見て、面倒はごめんとばかりにナギはさっさと先頭切って緑の深い森へと入ることにする。

どうやらくだらない衝突は不発に終わったらしく、親友は遅れずにグレミオたちと一緒について来た。「何やってるんだよ」とあきれた口調で話しかければ、明るい髪の少年はさらりと言う。
「生意気なガキは嫌いなの。ま、幸いにしてお前以上に生意気なガキには会ったことないけど」
「まさか。俺は俺以上に礼儀正しくて好感の持てるガキに会ったことなんてないぞ」
「それのどこが生意気じゃないんだよ」
「坊ちゃん、テッド君、記念すべき近衛隊初仕事の最中にまで漫才始めないでください」
「心外だなクレオ、俺は真面目だ」
「俺だって真面目ですよクレオさん」
「…もういいです」
ぽんぽんと言い合いしながらも一行は着実に道を進んでいく。
何しろ一本道だから迷いようがない。よく知りもしない森であえて獣道に挑戦しようと言うなら、話は別だが。
「パーンさん、あんまり坊ちゃんのお傍から離れて一人で先に進まないでください。急にモンスターや何かが出てくるかもしれません」
「分かってるってグレミオ。お、なんか開けたとこに出たぞ」
先頭を歩いていたパーンが声を上げたその時。
ザッと一陣の風が吹き抜けた。

「!?」
風が過ぎ去った後、たった今までいなかったはずの少女の姿が眼前にあった。
見たところ11、2歳くらいであろう少女は綺麗な、しかしどこか不穏な空気を感じさせる笑みを浮かべていた。
「こんな島にお客なんてめずらしいわね。早速おもてなしさせていただかなくちゃ」
「君は…?」
ナギの問いに、少女は答えなかった。
「我が真なる風の紋章よ…」
(呪文の詠唱!?)
認識した瞬間、既に口が開いていた。
「散らばれ!」
ナギの一声でパーティがさっと後ろに飛びずさり散開する。
だが起きたのは予想もしない出来事だった。風の魔法で攻撃されるのかと思いきや、地面が揺れ、竜巻のような風が土煙を起こす。
風が収まった後に現れたのはクレイドールと呼ばれる巨大な土のモンスター。少女の姿は…無い。
「わ、わ、何だか大きなのが出てきましたよ!?」
「クレイドールだ!パーン、援護する。右に回れ!」
「おう!」
さすがに歴戦の兵士らしくクレオとパーンがすぐさま見事な連携を見せてクレイドールに攻撃を打ちこむ。
的確な打撃、斬撃。だが巨大な岩塊で覆われたクレイドールの体はそれらを難なく受け止め、むしろ弾き返してくる。
「ぼ、坊ちゃん、私の後ろに!」
「大丈夫だ」
(何だ?何かおかしい…)
グレミオに答え、クレオの反対側からパーンを援護しながら、ナギはクレイドールの向こう側の一点に鋭い視線を投げていた。
「ナギ、どうした!?」
「悪い…テッド、ちょっと任せる!」
「えっ、おい!」
言うなりナギは駆け出した。
立ち塞がるクレイドールを大回りして、彼らがやってきた道から見て斜め手奥の方向…モンスターと対峙する彼らの姿が、もっともよく見える場所へ。

-----

ルックは木の枝に腰かけて来訪者たちの慌てぶりをのんびりと見物していた。
始めに彼らの前に姿を現した少女はただの幻影だ。
幻影を登場させる場所、見る相手の場所さえ決まっていれば、多少の幻を見せることなど造作もない。
これが何も無い空間に巨大なクレイドールを見せ続けるとなると、姿の幻影の他にも音や気配、攻撃した時の感触など全てを再現しなければならないから、さすがにまだあまり"まやかしの魔法"を使い慣れていないルックには難しい。それで本物を呼び出したわけだが、彼女はただ呼び出しただけではなく、そちらにもしっかりと罠を張っていた。
眺める先では、まるで効かない攻撃に焦る帝国軍一行の姿が見える。
そう…ルックはいくらクレイドールを攻撃してもそれがちっとも効いていないかに見えるような幻影を作り上げ、操っているのだった。
実際にはクレイドールは着実に弱ってきている。しかし彼らにはどこをどう攻撃しても効果が無いように見えるために、的確に狙いを定めて敵を攻撃することが出来ず、本来必要な戦闘の何倍も時間が かかってしまっているのだ。

(どうしようかな。もう一体くらい呼び出して、困らせてやろうか)
毎年ただのお使いのくせにずかずか他人の住処に入ってきて、偉そうに案内させたりお茶を要求したりする帝国軍の人間が、ルックは嫌いだった。
一体何様だというのだ。レックナート様も自分も別に赤月帝国の家臣でも何でもないのに、どうして自分がまるで上官が部下にするような、いやひょっとしたら召使いにするような、そんな無礼な扱いを受けなければならないのか。師匠の名を下げるようなまねは出来ないからいつも丁重に対応するけれど、その代わり、たまには少しばかり嫌がらせをさせてもらったって構わないと思う。
…こんな風に。
(でも、何だか今年の使者はいつもと感じが違う…)
いつもなら数人の近衛兵(大抵が年嵩一人に新米一、二人というところだ)が連れ立ってやって来るのに、今年の使者で近衛兵の軍服を着ているのは一行の中心にいた少年一人。他はどうやら随従らしい。こんなことは初めてだ。
あんなに若い近衛兵がいることがまず意外だったし、おまけに随従の中にもやはり大人には見えない姿があるというのがまた奇妙だった。
(変なの…何なのかな、あいつら)
しかし随従たちの腕は確かなようだった。クレイドールは大分弱ってきている。
やっぱりもう一体くらい呼び出して今いるものとすり替えようか、と思ったその時。
びゅん、と黒い何かがルックの左腕のかたわら、すぐ横にあった木の幹に突きあたった。
(えっ!?)
その衝撃はしっかりと地面に根を張っているはずの木をぐわんと一揺れさせるほど強くて。
「きゃ…っ」
落ちると自覚する間もなく少女の体は地面に向かって投げ出された。

…一瞬、何が起きたのか分からなかった。
ぎゅっとつむっていた目を開けたら、さっきまでずっと下にあったはずの地面がほど近くにあって。
(え…何?わたし、落ちたんじゃ…)
「大丈夫か?」
尋ねられて初めて、ルックは自分が黒髪の少年の腕の中にいることに気づいた。
――彼に、抱きとめられたのだと。

少年の髪が、風になぶられれば自分の頬にあたるほど近くにある。自分の肩を、背中を知らない腕が抱えている。
その背の向こうにクレイドールが崩れて土の塊に還っているのが見えた。それと戦っていた随従らしき者たちもぱらぱらとこちらへ向かって来る。
集中が途切れたせいで幻術が失われ、弱っていたクレイドールはあっさりとやられてしまったのだろう。
「どこもぶつけてないか?怪しそうなところに棍を投げこんだら女の子が落ちてきたから焦ったよ。あれは当たってはいない…よな?」
「だっ…大丈夫、おろして」
彼の肩を押しのけるようにして強引に離れ、ルックは自分を抱えていた腕から足を下ろす。
「それなら良かった」
にっこりと柔らかな笑顔を浮かべて言ったナギに、少女の頬がさっと朱に染まった。
ナギは構わずぽんぽんとルックの肩や髪についた木屑やら葉やらをはらってやる。思わずぽうっとナギに見入ってしまってされるままになっている少女の様子を「あ~あ、ナギの奴またやってるよ」と言いたげな顔でテッドが見ていたことに、もちろんルックは気がつかなかった。

「さっきの風の魔法といい、幻術といい、あなたはひょっとしてレックナート様のお弟子さんかしら」
土埃をはらいながら、ナイフを使っていた女戦士――クレオがルックに話しかける。
ルックははっとしてナギの顔から視線をそらし、少しあわてて呼吸を整えるとことさら高飛車に言った。
「そうよ。わたしはレックナート様の一番弟子のルック。わたしの術を破ったところを見ると、本物の近衛兵さんみたいね。いいわ、お師匠様がいらっしゃる塔まで案内してあげる」

何してるんだろう。ちょっとからかってやるつもりだったのが、こちらの方が術を見破られてみっともない姿をさらしてしまうなんて。
動揺してしまったのも何だか頬が熱いのも、きっと悔しくて腹が立ったからだ。
そうやって無理矢理自分を納得させると、ルックは「こっちよ」と案内とは言いがたい早足で塔への道を先導したのだった。

   

[ another.index ] [ next ]

  

inserted by FC2 system