マシマロー
またの名をエンゼルフード…すべてはここから始まった
創業者・森永太一郎がアメリカで西洋菓子作りを学んでいた頃、日本人名士たちの渡米を知ると、数種類の洋菓子を抱えて訪問していたという。いわゆる市場調査である。その結果、いちばん喜ばれたのが「マシマロー」だ...
- 明治
- その他食品
森永の歴史年表
明治32年
創業者・森永太一郎がアメリカで西洋菓子作りを学んでいた頃、日本人名士たちの渡米を知ると、数種類の洋菓子を抱えて訪問していたという。いわゆる市場調査である。その結果、いちばん喜ばれたのが「マシマロー」だ...
日本で最初にキャラメルを作ったのは森永太一郎である。 創業後数年経つと、他の商品の人気は上がっていったが、キャラメルだけは伸び悩んでいた。当時作っていたキャラメルは、太一郎がアメリカで覚えてきた仕込み...
森永は創業当時から、マシマローなどとともにチョコレートクリームを製造販売していた。これはシュガークリームの上にチョコレートを薄く覆ったもので、「玉チョコ」とも呼ばれていた。明治33年、英語の看板を掲げ...
明治41年
明治40年に東京勧業博覧会で名誉銀牌を受賞するなど、森永の西洋キャンディーの評価が高まるにつれ、注文も飛躍的に増えた。なかでもスター、フローレット、バナナドロップス、オシドリなどの乾燥物は好評で、日本...
明治42年
錠菓を詰めた進物仕立ての容器は大・中・小の3種類あった。 パッケージの装飾は、後に著名な画家となった和田三造がデザインしたと伝えられている。
明治43年
明治40年、芝田町工場が完成すると、大量生産に向けて設備の機械化・近代化が本格的に進められていった。同時に、掛け物の技術指導者として、米国人製菓技術者のロバート・ゲーザーを招いた。 ゲーザー技師による...
大正2年
包装紙の両はしをひねった粒が箱に入った、ミルキーな洋風キャンディー。この菓子は林芙美子の小説にも懐かしい菓子として登場する。
森永が明治45年から手をかけて、大正2年に売薬特許を得て作った「咳止め」のためのお菓子。 これに対抗して咳止めボンボンなどを出した会社も次々に現れたが、それらの追随を許さなかった。 しかし、森永自身が...
大正3年
当時販売されていたミルクキャラメルはバラ売りだった。これを数粒入りの小さな容器に入れて販売すれば、外でも手軽にほおばれ、消費者から歓迎されるだろうと考え、明治41年(1908)に森永ポケットキャラメル...
大正5年
日本の多湿な気候にも耐えうる紙サック入りのキャラメルを考えだし、爆発的なキャラメルブームを起こしてから2年後の大正5年に、このフレンチキャラメルは発売された。子どもたちの教養に役立つカラフルな「教育カ...
大正7年
森永は創業当時から、マシマローなどとともにチョコレートクリームを製造販売していた。また、明治42年には国産初の板チョコを発売するなど、チョコレートの世界でも常にパイオニア精神を発揮してきた。しかし、こ...
大正8年
大正7年に15銭で発売されたミルクチョコレートは、翌8年、早速10銭に価格を下げ、より手に入れやすいものにリニューアルされる。これがチョコレートの大衆化の先駆けとなった。このように次第に一般的に食べら...
練乳、バター、クリームなどの乳製品は西洋菓子づくりに欠かせない原料である。当時、原料乳製品のほとんどは輸入に頼っていた。しかし第1次世界大戦の勃発により、外国製乳製品の入手が難しくなってしまった。加え...
大正7年、原料カカオからつくられた初の国産板チョコレート発売。森永によるチョコレート大衆化時代の幕開けと時を同じくして、カカオプレスの導入によりミルクココアの製造が可能となった。これもやはり、飲料用コ...
大正9年
大正8年に森永が国産初として作ったココアは、砂糖やミルクを混ぜた「ミルクココア」だった。世はまさに欧米の文化を吸収し、ハイカラ・モダンな風潮がもてはやされた時代で、早くも翌大正9年にはちょっとビターな...
大正10年
森永はピーナッツチョコレートを発売した当時から、ピーナッツとチョコレートの相性に気づいていた。以来、この組み合わせは得意分野となり、チョコボールなどにもその技術が生かされている。
大正12年
森永が初めてビスケットをつくったのは、大正4年のこと。社長・森永太一郎が南洋・インド方面へ森永製品を輸出するための視察の期間中に第1次世界大戦が勃発。それまで欧州からの輸入菓子が多くを占めていた東南ア...
大正14年
これと全く同じデザインで重量が2倍の1/2ポンド(60銭)を大正8年に発売しており、これはその姉妹品。価格は35銭。大量生産が軌道に乗り、チョコレートの種類も飛躍的に増えた時代である。
西洋菓子という洋風の食習慣を日本に提供した森永は、西洋菓子に合う日本茶や紅茶の製造・販売にも大正期から取り組んでいる。大正14年になると、全国一斉に高級ほうじ茶「森永宇治かほる」が発売された。お茶の本...
昭和2年
乳酸菌飲料の森永コーラスは、森永煉乳株式会社により市場に提供された。この森永煉乳株式会社とは、昭和2年に森永製菓内にあった煉乳部が分離独立して創設されたもので、森永製菓への原料用乳製品の供給を中心に、...
昭和3年
コーヒーキャラメルは平成3年までの63年間続いたロングラン商品である。当初、ミルクキャラメルとは全く印象の違うデザインだったが、昭和56年に箱の色はコーヒー色の茶系にし、ミルクキャラメルと同じデザイン...
昭和4年
昭和に入ってから充実しはじめた森永の飲料分野。 缶入の森永コーヒー(微粉末)も、そのひとつとして売り場を飾った。そして、ちょうどこの頃から「森永の食品」という概念が生まれたのだった。
昭和に入ってから充実しはじめた森永の飲料分野。昭和4年には、東京の森永製品販売会社が、東京果精に製造を委託して発売した森永天然果実シロップと高級いちごジャムが大好評を得た。そこで翌年、森永製菓内に果精...
昭和5年
大正14年頃から東京六大学(早稲田、慶應、明治、法政,立教,帝大=後の東京大学)野球リーグ熱が盛んになった。ラジオの普及で昭和初期頃に応援もピークになり、ひいきの大学を熱くなって応援した。ファン心理を...
東京六大学野球リーグの人気にあやかり、パッケージデザインは野球の絵柄を採用。全国森永特約店の協会でも独自の新聞広告で、有名スポーツマンの似顔を半分だけみせて「似顔絵当て」を募集し景品を出すなど力を入れ...
なかみはハーモニカの形をしたミルクチョコレート。包装紙30枚を送ると、「パール印ハーモニカ」、100枚送ると「バナナ印ハーモニカ」がもらえた。価格は10銭だった。
昭和12年、盧溝橋事件勃発。これが引き金となって、日中戦争に拡大する気配が濃厚になってきた。菓子類の需要でも軍需品が増える中、一挙に3〜4倍の売れ行きを示したのが森永の丸缶ドロップスとスマートドロップ...
大正末期から昭和のはじめにかけての日本経済は、金解禁の影響や世界恐慌の圧迫を受け、深刻な大不況下にあった。他社はこの不況を、品質と価格を下げることで乗り切ろうとしていたが、森永は満足のいく品質のものし...
昭和6年
映画が大衆娯楽の王様だった時代の商品。チョコレートラベルを開くと、日本やハリウッドの映画スターのブロマイドカードが入っていて、ファンにはたまらない魅力だった。森永は有名映画館と提携し、「パラマウントチ...
のちに「チューインガム」の名で親しまれるようになったこの商品だが、当時の名前は「チウインガム」だった。 ガムに関して森永は後発で、国産では昭和3年に既にマサキガムや新高製菓が製造販売をしていた。昭和6...
昭和7年
チューブ入りのソフトチョコレートは、中高年以上の方々なら懐かしく思い出される商品ではないだろうか。昭和7年に発売し、たびたび生産中止になりながらも復活する生命力のある商品であった。 戦争中は販売が中止...
昭和9年
昭和に入ってから続々と市場に登場した森永の飲料。その売れ行きに勢いを得て、昭和8年には芝田町工場に果工部を新設、瓶・缶詰類の生産が開始される。翌年には従業員を増やし増産態勢をとったが、作業所が手狭にな...
昭和12年
戦時体制に入ってからも、キャラメルやチョコレートは安定した人気を保っていた。なかでも慰問袋用として作られた黄色い缶入りミルクキャラメルには、高杉早苗、高峰秀子、原節子ら人気女優のブロマイドを封入し、兵...
昭和12年に日中戦争が開始され、日本は「非常時」から「戦時」の体制へと転換した。そして、臨時資金調整法、軍需工業動員法、輸出入品等臨時措置法という、カネ・ヒト・モノに関する戦時統制三法が公布された。戦...
戦時体制下、国は金属類節約のためにさまざまな工夫を強いていた。森永も努力の結果、マリーなどの紙パッケージ化に成功し、それはチョイスにも採用された。 余談だが、いよいよ資源不足に困った政府は昭和16年「...
昭和14年
国民徴用令や原料の輸入制限など、次々に増える統制により、多くの菓子類は製造中止や品質低下を余儀なくされた。しかしビスケットと乾パンの類は、軍需の増加と代用食としての一般消費の増大によって一時的に活況を...
昭和15年
日中戦争開始以降、代用食として重要性を増してきたビスケット。森永はいちはやく「森永ベントウ」「軍用型森永乾パン」を発売した。そして、昭和15年には乾パンに乾燥野菜と魚粉ペレットをセットにした「森永ベン...
物資不足のなか、昭和14年には深刻化する米不足のため米穀配給法公布に続いて白米禁止令が出され、麦・豆・芋などとの混食や雑穀の代用食が勧められた。さらに翌年から米・みそ・醤油・塩・砂糖など10品目が切符...
昭和17〜18年
昭和16年に太平洋戦争が開戦すると、もっぱら軍納製品を製造するばかりになり、菓子類は一般市場からほとんど姿を消した。軍納製品の主なものは、陸・海軍向けの乾パンのほか、マリー、マンナ、シュガーウェファー...
昭和20年
終戦直後、極度のモノ不足で社会は混乱の只中にあった。この時代の森永は、そんな時勢に合わせた製品を、外地引揚げや復員の社員を受け入れながら販売していた。しかし原料は厳しく統制されたまま、電力も石炭も不足...
終戦直後の混乱の中で、森永の経営基盤を大きく支えたのは、進駐軍の特需だった。 昭和20年末から米国赤十字社の注文を受けはじめ、その2年後には米軍PX(進駐軍専用売店)への納入も開始した。 このために製...
昭和22年
昭和22年、日本経済はようやく復興の芽ばえが見えてきたが、衣食住全般にわたる物不足は深刻で、とくに食糧事情は最悪で主食も副食も欠乏、ましてや甘味品などはわずかにヤミ製品があるくらいで、それも公定価格の...
森永ではすでに昭和8年にジュースを発売しているが、このフルーツシラップは、今でいう濃縮フルーツジュースである。当時の商品解説書に「夏はソーダ水か冷水、冬は熱湯で7〜8倍にすると二升分になる」と書かれて...
終戦直後、菓子や食品の原料は厳しい統制下にあった。そんな中、統制外原料を使って市場に提供された食品も、わずかだが存在していた。
昭和24年
戦後の統制下で、森永は限られた原料を使った食品類の生産を行っていたが、その量はわずかなものだった。森永の食品群が矢継ぎ早に登場し、食卓を豊かにし始めたのは昭和26年以降のこと。現在の「森永の食品」の基...
昭和25年
終戦後の数年間は、深刻なモノ不足に加え配給機構の混乱もあり主食の遅配・欠配が珍しくなく、人々はヤミ食糧の入手に奔走していた。ヤミの原料に頼る製造を潔しとしない森永は、米軍の横流し菓子類やヤミ菓子類の横...
大正7年に輸出用として製造販売されたのが、森永ドロップのはじまり。国内向けは大正13年になってから発売された。このデザインの化粧缶は昭和32年まで続き、以降は缶の形は同じだが明るいデザインに変更された...
昭和26年
一般向けセピアラベルの森永ミルクチョコレートの復活は、キャラメル復活の翌年、昭和26年のことだった。 進駐軍の「放出」名目の横流し米国産チョコレートは、終戦早々1枚50円という高値で露店商が扱っていた...
昭和27年
ビスケットの生産設備は全工場とも戦災を免れ、昭和27年からは進駐軍とその家族のために製造されていたチョイスを国内向けに発売。その他にもハーバードクリーム、マンナ、マリーなどを一般市場に送り出し、好評を...
昭和28年
大正6年に発売されたフィンガーチョコ。最初の製品はフィンガー状菓子をラベルで束ねたものだったが、昭和6年、ポケットサイズの真っ赤な箱に包まれて、しゃれたタバコ風の大人向けのイメージへと生まれ変わった。...
森永ミルクキャラメルは、戦後も絶対的王座を占めていた。しかし、これだけでは需要に限界がでてくると感じた森永は、新しい味のキャラメルを次々に開発していった。 昭和28年(1953)発売のチョコレートキ...
マリーは大正12年から続くロングラン商品である。初期のビスケットは、進物用の商品がほとんどだったが、徐々に湿気防止・丸缶タイプの単品が販売されるようになっていった。しかし、戦時下では金属の使用が制限さ...
原料統制が解かれ、時代も終戦から時間が経ち贈り物をするゆとりが出てきたころの進物缶である。写真は昭和29年の商品。
昭和29年
大正2年に発売した「乳菓」である。昭和32年には「バッヂ」のおまけが入っていた。また、この菓子は林芙美子の小説にも登場したエピソードがある。
昭和30年
大正9年、清涼菓子と銘打ち10銭で売り出した錠菓。味はハッカ、ニッケの2種。当時の広告は「快き芳味の刺激・・・」と表現している。その後、平成2年まで70年の歴史を刻んだ。
昭和31年
ハイチュウの前身となったチューイングキャンディー。最初は「まったく新しいキャンディー」として登場、チューイング性に富んでいたため、食べられるガムと宣伝された。
昭和20年代後半になると、所得の増加によって国民生活が向上し、ドライアイスや、業務用電気冷蔵庫などの普及にも影響されて、アイスクリームの需要が年ごとに増加し始めた。大手乳業会社はこぞって冷菓の製造・販...
昭和32年
食生活が洋風化するにつれ、続々と発売された森永の食品群。昭和32年には「森永ホットケーキの素」(チューブ入メープルシロップ付き 180円)が、昭和34年には「森永ホットケーキミックス」(メープルシロッ...
昭和20年代後半から続々と発売されたキャラメル新製品。なかでも英国風のトッフィーキャラメルは、広告をうまく使って評判を得た。英国バッキンガム宮殿の近衛兵の姿がデザインされたパッケージにちなんで、等身大...
高度経済成長期以前、まだ貧しくつつましかった時代のジュースはハイカラな飲み物で、進物用として濃縮のカルピスや濃縮ジュースがもてはやされていた。日常的にはまだ高級感があり、それでもジュースへの欲求は強か...
昭和34年
昭和30年代に入り、人々の暮らしがしだいに豊かになってゆくにつれ、チョコレートの需要も急速に伸びていった。森永はこれからの市場の動きに備えて、欧米のチョコレート事情の視察を実施。多くの機械・設備を輸入...
昭和35年
森永がウォルトディズニー・エンタープライズ社と日本で初めて著作権使用許諾契約を結んだのは昭和34年。これはその当時、ガム、キャラメル、チョコレートなどディズニーキャラクターを使った商品を発売しはじめた...
昭和 30 年代に入ると、日本の食文化に大きな変化をもたらすインスタント食品が登場し、「インスタント」という言葉が流行語になった。森永は昭和 34 年( 1959 )の創業 60 周年を前に、日本初の...
クッキーの色と形が、夜空に浮かぶ満月に見える。そのため、月光を意味するこの名前がつけられた。森永ビスケットの柱の一つとして、現在も健在である。
昭和36年
特殊処理により「しっとり感を出したクッキー」でマシュマロを挟み、それをチョコレート掛けした菓子。欧米ではマシュマロを「エンゼルフーズ」と呼び、パイとは一般的には「小麦粉を練ったもの」をいうことからの命...
前年、日本ではじめてのインスタントコーヒーを発売した森永は、インスタント食品にも力を入れた。この商品はジャガイモの皮むき、ゆでる、裏ごしなどの手間を一切はぶき、熱湯をそそぐだけでポテトサラダやポテトス...
昭和30年代は「三種の神器」と呼ばれたカラーテレビ・洗濯機・冷蔵庫などの家庭電化製品が急激に普及し、アイスクリーム需要もますます増加傾向を示した。森永アイスクリームの売上げも好調で、発売早々、たちまち...
昭和37年
チョコレートをシュガーコートした7色のカラフルチョコ。容器(筒)のフタがおまけ入れになっており、「動くバッジ」「マイクロ図鑑」「マイクロまんが」「世界の小さな貝殻」などが付いていた。
海外への輸出を積極的に行ってきた森永。昭和20年代後半になると、ふたたび視野を世界に向け、菓子・食品・乳製品の輸出を再開する。一方、新しいおいしさやたのしさを日本でも広げていこうと、海外との提携を積極...
スマートなコンパクト缶入りのハードキャンディー。その味・香りのよさはもちろんのこと、タータンチェックの小粋なデザインが受け、高級キャンディーとして若い女性たちの爆発的人気を呼んだ。
昭和38年
ピーナッツセンターチョコレート。「思春期チョコ」のイメージでの発売が子どもにも受け入れられ、「子供向きチョコ ベストセラー第2位」と当時の広告に載っている。
ポケットに入る、携帯性に優れたおしゃれな缶入り。前年の昭和37年に発売したコーヒータップが、化粧用コンパクトのような蝶番(ちょうつがい)で開閉するフタを採用した。これに続きレモンタップも、ハイセンスな...
図案的なデザインの氾濫の中で、やさしい花のデザインが店頭で浮き立つのでは、というねらいのもと作られた、斬新なチョコレート。高度な印刷技術が総動員され、準備に6ヵ月を要した。広告で「女性専科のチョコ」と...
「子どもが自分のお小遣いで買える」ココアがコンセプト。東映テレビアニメ「狼少年ケン」(NET系)をキャラクターに採用した。おまけ「まんがシール」の交換が学校で流行し、学校への持ち込みが禁じられたところ...
昭和39年
昭和30年代に急激に伸びたチョコレート人気に対応するため、国内のチョコレートメーカーは競って生産設備の近代化を図った。その一方、外国系企業の参入や外国製チョコレートの流入などもあり、市場には多種多様の...
「日本で初の量産化完成」と当時の広告に紹介された商品。ビールのつまみ、茶菓子、おやつにとPRされた。塩の結晶がほどよい塩味や、縄の結び目のようなツイストなども発売された。
この頃、ちょうどビンから缶へと移行し始めたジュース類。ネクターは果物から果汁を搾ったもので、みずみずしい果実写真の印刷缶に入れた果汁45%の味わいを「フルーツよりもフルーツ的」と表現した。
森永の茶業は大正14年の商品名「森永宇治かほる」というほうじ茶から始まった。以来、日本茶のほかウーロン茶、紅茶を手がけてきた。昭和35年にインスタントコーヒーを日本で初めて森永が作り、インスタントの言...
昭和40年
ココアは熱湯で溶くのが普通だが、その常識を破り、冷たい牛乳で溶けるようにした技術のもと誕生した商品。広告でも「ついに完成…」と告知した。牛乳のきらいなお子様も、これなら飲めると評判になる。さらに、世界...
「チョコボール」の原型は、このチョコレートボール。発売当初のパッケージには当時の人気アニメ「宇宙少年ソラン」に出てきたリスのキャラクター「チャッピー」が使用されていた。
昭和41年
明るい色調のスコッチ風デザインで、高級感あふれるキャンディー。厳選したアーモンド、カシューナッツ、ピーナッツをバタースコッチキャンデーで適度な大きさに繋ぎ、欧風のおいしさを演出した。進物用としても人気...
昭和42年
スナック時代の先駆けとなったチョコフレークと時を同じくして、キョロちゃんがパッケージにデザインされた「チョコボール」が誕生した。 チョコレートは手でつかむと溶けて指につくことがある。その対策として、チ...
昭和39年(1964)10月にアジアで初めて開催された東京オリンピックは、昭和40年代の日本の高度経済成長を世界中に知らしめるには絶好の幕開けとなる出来事だった。国民所得の急激な上昇による国民生活の変...
3C製品(カラーテレビ、カー、クーラー)の普及は、モータリゼーションという言葉に代表されるように、昭和40年代の日本人の生活を大きく変化させ、さまざまなシーンで新しいライフスタイルを登場させた。 森...
日本のデンマークといわれ、農業を中心に発展してきた愛知県安城—。ここが、昭和40年代以降大ヒットとなったクラッカー類を生み出す拠点となった。安城工場に整備された高周波オーブンで焼き上げられたナイスクラ...
2年前に牛乳用ココアを発売し、さらに研究を進めた結果、世界の技術者が目標にしていた「溶解性顆粒体」を成功させた。これを日・米・英・西独ほかに特許を出願した。
昭和44年
森永といえばキャラメル…黄色の紙サック入りは、このとき発売以来すでに半世紀を超えており、小学校の遠足や運動会になくてはならない菓子、国民的な菓子として愛されていた。新発売された大正 3 年( 1914...
昭和40年8月、森永は米国ゼネラルミルズ社との合弁会社「森永ゼネラルミルズ」(M・G・M)を設立し、スナック菓子「スピン」の製造を始めた。その後ポテロングなど数々の製品を開発・製造した。
昭和44年以来、現在まで続くロングラン商品。原料は全て純国産を使用し、会員方式で根強いファン層がロングランを支えている。
昭和46年
日本の高度成長の陽の部分に着目してつくられたのが「エールチョコレート」のCMなら高度成長の影に隠れた部分に着目してつくられたのが、工業化の名のもとに破壊され、汚染されつつあった自然の大切さを訴えた、小...
米国サンキスト社と商標使用契約をした当初の商品。これと同時に無タンサンの姉妹缶も発売した。数ヵ月後には、清涼菓子・サンキストレモンタブレットを発売している。
昭和47年
テレビCM「田舎編」が話題となりヒットし、1991年「JAC30周年記念昭和のCM100選」に選ばれた。おまけの「ベーシール」(初代)は今なお、コレクターの間で珍重取引されている。
高度成長の真っ只中、工業化の名のもとに自然が汚染されていることにいちはやく危機感を抱いた森永は、「自然尊重」や「自然回帰」のメッセージを広告や製品を使って積極的に打ち出してゆく。「小枝」に続いて、NH...
昭和48年
世間にはいろいろなスタイルのラムネ菓子があるが、森永は清涼飲料の「ラムネ瓶」の形を頑固に守っている。飲料のラムネを思い起こさせ、郷愁を誘う菓子である。
後年、オレンジ、アプリコット等の味も加わった。夏真っ盛りのギラギラした太陽の下で食べるのが似合う、太めのバーである。
昭和49年
森永では昭和26年に焼酎の製造を始めたが、それから20年以上も経った昭和49年、やっと甘酒缶を発売した。甘酒はひな祭りに飲むなど昔からの飲み物だが、缶入りにしたあたりが新しい。 麹を使った発酵食品のた...
昭和50年
1975年に前身商品をベースとして商品の活性化を行い、ネーミングを“ハイ・グレード”なチューイングキャンディとして、「ハイチュウ」と名付けた。 この当時は箱入りで発売し、今の包装携帯(スティックタイプ...
昭和51年
この年、森永は(株)サンリオと「パティ&ジミー」キャラクターの独占使用ライセンス契約を結んでいる。この商品はキャラメルにキャラクターのおまけがついており、女の子に人気があった。
森永のあずき缶詰製造は以前から行われており、昭和9年には早くも「ゆであずき」(缶詰)を発売している。この缶詰は現在も存在するが、さらに一歩進んで、その技術を生かした飲み物「しるこドリンク」を考え出した...
昭和52年
昭和36年8月、20円で発売したものがエンゼルパイのはじまり(昭和中期参照)。 発売から現在まで40年以上も続くロングセラー商品で、チョコとマシュマロとしっとりしたシートの絶妙な味のコンビネーションが...
自然環境保護の時代を先取りしたチョコレート菓子、森のどんぐり。このほか、ほぼ同じ時期に発売されたくるみの森、小枝などは世間の支持を得た。ネーミングの面白さと形状がほのぼのとした郷愁を感じさせる商品でも...
昭和53年
昭和50〜60年代は菓子だけでなくさまざまな商品にキャラクターが氾濫し、各社とも自社商品を際立たせるためにネーミングの面白さを競った時代でもあった。森永では主なものだけでも、おっとっと、パックンチョ、...
昭和54年
昭和46年、銀座三越にハンバーガーの店「マクドナルド」1号店が開店、各地への店舗の拡大と共にアッという間に若者層に広まった。こうした時代背景を敏感にとらえた製品である。ハンバーガーに似ているという面白...
昭和55年
テレビCMで「なんで〜なんで〜どーなっちょ」と、まだ「とんねるず」と名乗っていなかったころの「タカアキ&ノリタケ」が天使に扮し、コミカルに宣伝をした。コーンフレークをチョコレートでドーナツ型に固めた、...
大正4年、「輸出用ビスケットのポスター」に描かれた、ドイツ人画家による少女の絵・・・。この少女こそが「クララ」。ビスケットのキャラクターである。落ち着いた少女の品位が商品イメージをアップさせた。
長年培ってきた醗酵技術と、フレーバーの研究による成果を活かした、全く新しい発想の商品。ぬか床が無くても「もみもみするだけで」本格的な「ぬか漬」ができた。国内はもちろんのこと、海外在住の日本人たちに特に...
チョコレートのパイオニア、森永。これは、“森永だからできるアイス”にこだわってつくられた商品である。 もなかは板チョコ型、もなかの内側はチョコレートコーティングに決め、チョコレートのおいしさを存分に味...
昭和57年
息長く人々に支持されるロングセラーやネオクラシックとなる商品には、その企業でなければ生かせない技術やノウハウの蓄積がある。森永では創業80周年にむけて、ミルクキャラメルやミルクチョコレートに匹敵するロ...
この頃新たに発売され、話題となっていたのが半生タイプのケーキ。「ボンソワール」は、柔らかな食感で日持ちのするケーキとして人気を博した。
昭和58年
栗、小枝、どんぐり、くるみなど自然をイメージした商品に仲間入り。つくしの子「つくんこ」である。香ばしいスナック・スティックの先は「つくしの穂」のようにチョコが可愛いく付いていた。
おっとっとを新発売した翌年の11月、子供向けビスケットの開発テーマにこたえて研究所が試作した、ひとくちタイプのハードビスケットがあった。これをもとに、表面にディズニーキャラクターの絵柄をプリント、中に...
昭和59年
「おいしさ たのしさ すこやかさ」の提供を企業理念とする森永は、昭和58年(1983)4月、すこやかな心と体づくりのための商品やノウハウを提供することを目的として健康事業部を新設し、森永としては全くの...
昭和61年
これまでのエアインチョコとは一線を画す、ふんわりとして口の中でシュワーッと溶ける新食感。ネーミングはイタリア語のスプーニャ(スポンジの意)からとった造語である。
ハイチュウが初めて発売されたのは昭和50年(1975)。当時は今のようなスティック状ではなく、紙箱のパッケージに入っていた。そんなハイチュウが一躍マーケットに躍り出たのは、昭和61年(1986)のこと...
この時代には無かった、全く新しいタイプのクッキーとして登場。クッキー生地の真ン中にクリームのような素材を入れて焼き上げる製法で、独自の味のコンビネーションを生んだ。それは日本初の味わいであった。
この年の2月、オリジナルブランド「ウェル・ドゥ」を設定した。「もっと健康を。もっと食卓に。」をテーマに発売した、そんなブランド商品のうちのひとつである。原料は上質のコシヒカリ。「おかゆ」をお湯でたった...
昭和63年
チョコレートの製造については、昭和 63 年( 1988 )に菓子研究室が開発した原料乳製品の甘み・コク・口溶けなどを改善する設備が導入された。この年は森永がチョコレートを作りはじめてからちょうど 7...
昭和60年代、とんねるずが出演した「クェッ!クェッ!」のCMで人気が爆発したキョロちゃんに続き、この頃、森永製菓のデザイン室から不思議なキャラクターが誕生しようとしていた。 昭和61年(1986)、森...
人気のクレープとアイスの組み合わせ「クレープ屋さん」は、ユニークなパッケージでも注目を集めた。
平成元年
かちわり氷タイプですっきりした味わいのアイスボックスは、サウンドユニット「アイスボックス」を結成しコンサート活動やアルバムの発売をするなど、多角的なキャンペーンにより若者の関心を集め、アイスボックスを...
平成4年
スーパーおっとっとは人気商品となったおっとっとの技術を応用し、中空のシートで魚などの輪郭のみを表現した一層ユニークな菓子であった。
ミネラルウォーターなどの無糖飲料が一般化したタイミングに発売されたサンキストレモンウォーターは、すっきりとした味わいで爆発的人気となった。
平成5年
ひと粒チョコレートという形状や、そのなめらかな口どけが、新鮮な話題を呼んだダース。 発売当初のパッケージには、粒の数である「12」を表す『DOZEN』と表記されていた。
平成6年
平成時代に入ると、世の中の健康志向はますます高まり、いろいろな栄養成分が次から次へと注目を浴びるようになった。ココアには、ポリフェノールや、食物繊維のリグニンなどが豊富に含まれ、人間の健康機能を活性化...
inブランドは、昭和58年(1983)にスタートした森永の健康事業部門の柱として、着々と市場に浸透していった。オリンピック強化指定選手の栄養分析を実施するなど、スポーツ専門分野での評価と実績を重ねてい...
平成7年
昭和47年(1972)に発売された「チョコモナカ」。 その後昭和55年(1980)にチョコモナカデラックスに改名し、 モナカの型が12山となった。さらに平成7年(1995)、 モナカの山の数を、それま...
平成8年
ココアの健康効果が注目されたのとほぼ同じ頃、森永は圧倒的シェアを誇る「甘酒飲料」の市場をよりいっそう活性化するため、健康をテーマにした広告戦略をスタートさせた。 甘酒は麹(こうじ)を使った発酵食品であ...
平成15年
香り、口どけ、味わいにこだわった大人のチョコレートを実現するため、無垢のソリッドタイプで新発売。その四角い(Carre'=仏語)形状からカレ・ド・ショコラと命名。
焼きチョコ「ベイク」は、森永製菓独自の技術で生まれました。焼くことによって「独自の食感」と「濃厚なチョコ感」を実現。 夏でも溶けないチョコレートとして、新たな市場を確立しました。このチョコレートを焼く...
平成25年
業界初の試みとして、支援を行っているガーナの特定地区で収穫されたカカオを原料の一部に使用した「森永チョコレート〈1チョコ for 1スマイル〉」 「ダース〈ミルク〉」を発売。お客様と一緒に笑顔をつくる...
人気絶頂のチョコモナカジャンボに対し、バニラのコクとおいしさでシンプルに訴求するジャンボモナカシリーズとして発売。チョコモナカ、バニラモナカとも、それぞれしっかりファンがつき、モナカアイスの森永製菓の...
平成26年
「マクロビ派ビスケット」は、健康美容志向が高く、日々の食事にもこだわる方々に向けて 『マクロビオティック』の考え方に基づき、白砂糖やバターやマーガリンを使用せず、マクロビ素材を詰め込んで開発しました。
1964年に発売した「森永ハイクラウンチョコレート(以下、ハイクラウン)」の発売50周年を記念して、 森永製菓のチョコレートに対するこだわりを形にしたコンセプトショップを期間限定でオープンしました。 ...
平成27年
新しい春のイベント「イースター」を盛り上げるべく、イースター関連商品を一斉発売。
平成28年
ハラル認証を取得した「HI-CHEW GRAPE」、「HI-CHEW STRAWBERRY」をインドネシアで製造し、 インドネシア及びイスラム圏へ向けて、4月から製造販売を開始しました。