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学校と受験

数年前の大阪学芸高校の合格者水増し事件、そして最近大阪桐蔭学園で起こった不正経理事件に絡んで暴かれた学校と塾の癒着。

新興進学校の嘘で塗り固められた実績

2015-05-30 | 日記
昭和50年代まで私立学校というものは大きくいくつかに大別されていました。
ひとつは灘、ラ・サール、開成、麻布、武蔵、桐朋、駒場東邦、栄光学園、聖光学院などのいわゆる伝統進学校。
こうした伝統的進学校の特徴は、意外ですが必ずしも勉強だけに偏らない教育です。
それは文武両道であったり、自由な思考と発想であったり、とにかく色々です。
こうしたしっかりとした建学の精神に基づく多種多様な教育が戦後日本の社会を支えてきたと言ってもいいでしょう。
ふたつめは一般的なレベルの普通科高校。
これは多くを望まず、自分の実力に見合った学力で、それなりの人生を送りたいと望む子供たちが多く集まりました。
そしてみっつめはあまり成績の良くない生徒の集まる低レベル学校。
昭和50年代の校内暴力全盛期の頃にはヤクザ顔負けという学校もありましたね。
ヤクザは代紋で一般人を怖がらせますが、その高校の生徒だと分かると皆返す言葉を失い怖がって道を開ける。
そんな高校が実在したのです。
こうした学校の分化はその背景に戦後のベビーブームを通じて多くの子供が存在していたことが一つの理由で、
社会もこの時代はまだまだアナログでしたからどんな学校を出ようとそれなりに受け入れられるキャパシティが
ありました。
実際親の職業を見てもサラリーマンもいたし、個人商店を経営している方も多くいました。
また大工さんや左官屋さんなど職人さんとしてお仕事をされている親御さんもいましたね。
ところが変化が出てきたのは平成の時代に入ってすぐでした。
急激に少子化になったこと、それとコンピュータが企業や家庭に普及してデジタルの時代になったことが大きな
理由じゃないかと思います。
それとともにイトーヨーカドやダイエー、イオンなどといった大規模小売店のチェーンが拡大して個人商店の権益を
犯し始めました。
それまでは酒屋さんなりタバコ屋さんなり魚屋さん、肉屋さんなど、商店街には色々なお店があって、そうした商店の
子供たちは将来親の仕事を継ぐパターンが多かったので、それほど勉強というものに熱心ではありませんでしたが、
それでも学校という場は好きでした。
彼らにとって学校という場は友達とふれあい、仲間の大切さを学べる場だったのです。
しかしこうした大規模スーパーの進出で街は荒らされ個人商店から客を奪っていきました。
こうした個人商店は次から次に店を閉めてしまいました。
その結果彼らの子供たちも否応なくサラリーマンの人生を歩むしかなくなったのです。
それによってそれまで存在価値のあった進学を目指す者以外の者にとって居心地の良い学校というニーズがなくなってきました。
そしてそれまでいわゆる低レベル校と言われてきた学校は進学校へと大きく方向を転換していったのです。

さてこうしてかつての低レベル学校は次から次に大変身を図るわけですが、そのパターンは大よそこうです。
①学校名を変える
 それまでの学校を存在しなかったことにようしてしまうわけです。過去との決別ですね。こうした学校では以前の先輩などという存在はかえって迷惑なものです。
②コース別クラス編成
 特進クラス、選抜クラス、中には難関国立コースや早慶コース、MARCHコースなど予備校用語を多用しています。
③付属中学を作って6年間一貫教育
 ここが曲者で、かつて高校だけだった学校が中学を作って定員を分けてしまう。
 進学塾から優秀な生徒を特待生で入学させて予備校の講師をつけて6年間じっくり受験勉強をさせるわけです。
④教育方針のすり替え
 こうした学校のほとんどが「一人一人の可能性チャレンジできる教育」と銘打ってますが、実際は進学実績を上げるために有名大学を目指せということです。

最近大阪桐蔭学園という関西の中堅進学校で不正経理試験が発覚し、そこから塾に対する学校の接待、はっきり言えば癒着が明らかになりました。
こうした新興進学校にとってそれはまさに生命線だったのです。
こうした学校が進学実績を挙げる手口というのはほとんど一致していて、大手の進学塾にコンサルティング料という名目で大金を払いその学校のことを宣伝してもらいます。
東京でも日能研やらSAPIXやらといった大手進学塾でそれまではあまり評判の良くない学校が「素晴らしい教育を行います」などと持ち上げられるようになったら
それはこうした例だと思っていいでしょう。
それで優秀な生徒を回してもらうのです。
ただ子供たちそして親にも好みや希望はあります。
だから併願先のひとつとして組み込むのです。
その結果こうした優秀な学力層の子供が受験すれば見せかけの偏差値があがり、中には上位校受験で失敗した場合奨学金をつけて入学させられる場合もあります。
そして彼らを中高一貫の特進クラスにまとめて6年間鍛え上げ、大学受験のときは名門大学を数多く受験させるのです。
昔ならこうした方法にも限界はありました。
私大も一発入試だけでしたからひとりで7大学くらいが限度でした。
しかし現在はセンター方式というものや全学部方式というものがあって、1回の受験で複数の大学や複数の学部に出願できてしまいます。
こうした制度を悪用して起こったのが大阪学芸高校での合格者水増し事件でした。
なんとたった1人の生徒が73学部の合格先を作り、学校はそれを73人合格と公表したのです。
この学校では関西の名門大学である関関同立の合格者総数170人以上の実績をたった3人の生徒が作っていたというから驚きです。
そしてさらにこの学校はこうした実績を上げた生徒たちに謝礼までも支払っていたというのですから、これはもう教育の場ではなく完全に商売であったわけです。
それでもこの学校は「データを取るためで実績誇張の意図はない」と詭弁を押し通そうとしたのですから何とも面の皮が厚い学校です。
しかしこうした詭弁が社会で通用するわけもなく、結果としてこの学校は詐欺まがいの実績で社会を騙してきた報いを受け、今では受験生も集まらない低レベル校に逆戻りしたそうです。

大阪桐蔭については今回の塾との癒着以前にも幾度も問題が露見していました。
まず大阪学芸高校であった水増し合格はこの大阪桐蔭でも行われていたことが明らかになりました。
しかしそのときこの大阪桐蔭は「不正ではなくこれからもこうした延べ合格者数による公表は続ける」と居直ってしまいました。
またそれからしばらくして数年前系列の大阪産業大学でこの大阪桐蔭の生徒が大量にダミー受験している事件が発覚しました。
これは実は大阪桐蔭学園は大阪産業大学という大学の系列校であったのですが、実際大阪桐蔭高校からこの大阪産業大学に進学する生徒は皆無でした。
しかし大阪産業大学は偏差値がかなり低く受験生が集まらない大学であったので、大阪桐蔭の生徒にダミーで受験させてデータを誤魔化し偏差値を上げようと考えたわけです。
来れも驚いたことに受験した生徒には学校から1学部につき5千円の謝礼が支払われていたといいます。
そして今回の不正経理と塾との癒着が発覚したわけです。

しかしこうした大阪学芸や大阪桐蔭の例は氷山の一角にすぎません。
実際は多くの私立学校、とくに新興の進学校で似たような事実が存在しているのです。
そのことをこれから少しずつ明らかにしていきたいと思います。