出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 08:39 UTC 版)
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| カサンドラ症候群 | |
|---|---|
| 別称 | カサンドラ情動剥奪障害 |
|
| |
| カッサンドラー(イーヴリン・ド・モーガン画) | |
| 概要 | |
| 診療科 | 精神科 |
| 分類および外部参照情報 | |
カサンドラ症候群(カサンドラしょうこうぐん、英: Cassandra affective disorder)、カサンドラ情動剥奪障害(カサンドラじょうどうはくだつしょうがい、英: Cassandra affective deprivation disorder)」とは、アスペルガー症候群[注釈 1]を持つ配偶者、あるいはパートナーと情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である[1]。
アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じる[2]という仮説である。現在のDSM(精神障害の診断と統計マニュアル)その他には認められていない概念である。また、カサンドラ症候群の場合、夫婦間においてどちらか一方が悪く、どちらが正しいか、という問題ではないことに留意すべきである。
症状としては偏頭痛、体重の増加または減少、自己評価の低下、パニック障害、抑うつ、無気力などがある。近年、カサンドラ症候群を訴える者のブログも見られ、アスペルガー症候群の伴侶を持つ者の二次障害として問題となっている[2]。パートナーが(診断の有無にかかわらず)アスペルガー症候群の兆候を示すカップルは、日常生活においてさまざまな問題にぶつかる。そんな人々を支援するための書籍やカウンセリングがますます必要とされ[3]、夫婦間のケアの重要性が指摘されている[4]。
夫との情緒的交流がうまくいかない妻は、何が何だか理由はわからないけれど苦しい、周囲は苦しんでいることを理解してくれないという二重の苦しみの状態にある。本人が問題の本質がわからないこと、周囲が問題の存在さえ理解してくれないこと、この二つの要素が現在のカサンドラを巡る問題の本質になっている[5]。
カサンドラ症候群について理解を深めることは、決してアスペルガー症候群の人を否定したり差別を助長したりするためではない。アスペルガー症候群-非アスペルガー症候群夫婦間に生じる問題の原因に向き合い、適切な支援を受け、パートナーのお互いがより良い生き方を模索するために必要なことである。
カサンドラ症候群は妻だけでなく、家族、友人、会社の同僚にも起こるとされている[8]。 カサンドラ症候群を知ることは、定型-非定型間のコミュニケーションのあり方を認識することであり、つまりは、アスペルガー症候群の社会的認知度を高める手助けにもなると考えられる。
カサンドラというのは、ギリシア神話に登場するトロイの王女の名前である。太陽神アポロンに愛されたカサンドラは、アポロンから予知能力を授かる。しかし、その能力でアポロンに捨てられる未来を予知したカサンドラは、アポロンの愛を拒絶したので、怒ったアポロンに「カサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかけられた。カサンドラは真実を知って伝えても、人々から決して信じてもらえなかった[9]。
カサンドラの比喩は、心理学、環境保護主義、政治、科学、映画、企業世界、哲学など様々な文脈で使われてきた。少なくとも1949年には、フランスの心理学者ガストン・バシュラールが「カサンドラ・コンプレックス」の用語を作り出し、以後広まってきた。ただしここでいうカサンドラコンプレックスは発達障害との関連の意味はない。
非アスペルガー症候群の配偶者や家族がアスペルガー症候群の行動の影響を受ける状態は、もともとは「鏡症候群」[10]と言われていた。これは、1997年にアメリカのFAAAS(アスペルガー症候群の影響を受ける成人の家族の会)が考え出したものである。特に、診断されていない成人の発達障害の場合に生じるとされる。非アスペルガー症候群の家族は、常に一緒に生活するアスペルガー症候群が表すペルソナ(外的人格)を、少しずつ長い時間をかけて映し出すようになる。孤立し、誰からも正当性を認められない[8]。
「鏡症候群」は数年後には「カサンドラ現象」[11]に変更され、2003年にFAAASの会議で「カサンドラ情動障害」[12]として初めて公表された[13]。
最近では「カサンドラ情動剥奪障害」(CADD[14]、AfDD)「カサンドラ愛情剥奪症候群」(CAD[15])[16]と言われるようになった。これらの言葉は、非アスペルガー症候群の人が、アスペルガー症候群の人との関係において経験することを示してきた。彼女たちの多くが、パートナーとの関係において情緒的な相互関係が欠如しているために、身体的・精神的な不安反応を示している[1]。
予言者カサンドラは、真実を知る力を与えられながらも、呪いにより誰からも信じてもらえなかった。この様子が、アスペルガー症候群と非アスペルガー症候群間の関係の状態を表していると言われる。彼らは自分たちの関係が典型的なものではないとわかっているが、他の人たちはその関係の真実を受け入れたがらないのである[1]。
なお、「カサンドラ症候群」の名称はアメリカ精神医学会の診断基準に含まれておらず、正式病名ではない。
これらの症状はアスペルガー症候群のパートナーを持ったことにより起こるので、関係性による「障害」であり、病名がつかないため「状態」や「現象」と呼ぶのが現在のところはいいとされる[17]。
カサンドラ症候群は二次障害である。人と人との関係における認識の欠如の結果であり、苦痛を訴える当事者はパーソナリティ障害とは異なるが、診断にさいしては慎重な態度を要する。
情緒的な相互関係と愛と所属は、人間の本質的なニーズであり、これらが満たされず、そしてその理由が解らないとなれば、心身の健康は影響を受ける可能性がある[18]。
カトリン・ベントリー[19]は、アスペルガー症候群パートナーとのコミュニケーションにおける情動剥奪について、ジェイムズ・レッドフィールド[20]のエネルギー理論の哲学をもとに説明している[21]。
カサンドラ症候群は、パートナーのお互いが原因を理解し受け入れることによってのみ、克服あるいは軽減することができる[18]。つまり、女性がアスペルガー症候群の知識を持ち、男性がアスペルガー症候群を自覚していることが前提となる。
お互いの違いを理解し、コミュニケーションや感情表現・愛情の示し方のより良い方法を見つけるために、パートナーの両方がお互いのために勉強して協力するならば、二人の関係はうまくいくことがある[1]。
しかし、男性本人も周囲もアスペルガー症候群に気づかないまま大人になっている場合も多く[22]、そのことがカサンドラ症候群の克服を難しいものにしている。
カサンドラ症候群は次の3つの要素から成る、とされている[1]。
具体的には、以下の各カテゴリーに1つ以上該当すること。
そのほか、カサンドラ症候群の症状として「アスペルガー的行動」が生じる場合もある[24]。
アスペルガー症候群の夫とその妻との間に起こる葛藤の多くは、自閉症スペクトラム障害(ASD)の人が持つ、社会性の未熟さ、コミュニケーションの苦手さ、想像することの苦手さという特徴からくる葛藤だ。それは夫のコミュニケーションがうまくいかない、気持ちが伝わらない、子育ての不安や悩みなどを共有してもらえない、夫の言動に傷つくなど、妻にとっては日常的で継続的なものだ。アスペルガー症候群のパートナー、特に夫がアスペルガー症候群で妻がそうでない場合、夫との情緒的交流がうまくいかないことが、妻の無力感、孤独感、絶望感につながり、抑うつ状態を引き起こしていることが知られるようになってきた[25]。
アスペルガー症候群によって影響を受ける成人家族の会(Families of Adults Affected by Asperger’s Syndrome:FAAAS)は、カサンドラ症候群を心的外傷状態と理解し、「進行中の心的外傷体験に関連した症候群」(Ongoing Traumatic Relationship Syndrome)と説明している。
心的外傷体験というと、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉がよく知られている。災害や事故、被害といった、人生や生命に強い衝撃的な出来事に遭遇することを「外傷(トラウマ)体験」と呼び、その体験後の精神的変調を「トラウマ反応」と呼び、時にそれが精神的後遺症と呼べるほどの状態に至った場合、PTSDと診断される。
カサンドラ症候群がPTSDと異なるのは、過去のトラウマ体験に今も苦しむということではなく、継続進行している日々の体験に苦しみ続けるということだ。FAAASは、このトラウマ体験が何十年にもわたり潜行する可能性を示唆している。
児童精神科医、臨床心理士の田中康雄は、「進行中の心的外傷体験」は虐待され続けている子どもの心理状況と若干重なると述べ、虐待を受け続けた子どもの心の特徴がカサンドラ症候群と重なる点を次のように挙げている[26]。
「進行中の心的外傷体験」に苦しむ現状に「カサンドラ症候群」と名前をつけることで、状況の外在化をはかることは得策であるとしている。
マクシーン・アストン(Maxine Aston)[注釈 4][27]は、「自分のパートナーなら当然理解できるだろうとか、私の気持ちをわかってくれている、と推測するのはやめるべきだ。アスペルガー症候群のパートナーが自分の考えを理解していると期待するのは、目の見えない人になんのヒントも与えず、『私が手に持っているものを当てなさい』、と言っているようなものだ。」[28]と指摘している。
アスペルガー症候群男性とその妻(以下、(非アスペルガー症候群)女性)の関係は、よくたとえ話で説明される。
マクシーン・アストンはアスペルガー症候群男性をワシ、非アスペルガー症候群女性をシマウマに例えている[29]。
ワシとシマウマは食べるものも生き残る環境も違うので、つながってもうまくいかない。生活を共にしたいなら、ワシは構造化されていない予測不可能なシマウマの環境で生きていかなければならない。しかし、その環境で生きられる時間は限られるため、ワシはときどき山に帰って一人で過ごし、生命維持に必要な食べ物を食べて元気を取り戻さなければならない。その理由がわからないシマウマは、ワシの関心が自分から逸れると深く傷つく。二人の間に波風が立つようになり、関係は非常に不安定になる。シマウマは拒否されている、価値がないと見なされていると思い、ワシは間違ったことをしていると責められていると思う。
マクシーン・アストンはまた、認知の違いを次のように説明している。
夫婦が同じ時、同じ場所にいても、こんなにも異なる視点であるということを理解するには、2人の人が山の頂上で背中合わせに立っているのを想像してほしい。1人は定型発達者、もう1人はアスペルガー症候群である。アスペルガー症候群の見ている景色は都会で、ビル、電車、車や工場から成っている。定型発達者の見ている景色は田園地帯で、川や野生動物、色彩豊かな牧草地が見える。2人とも同じ時、同じ場所に立っているが、非常に異なる景色を見ている。同じ場所に対するそれぞれの感じ方は、根本的に異なっているのだ。あとで話し合った時、彼らはその経験の記憶がお互いに異なっていることに驚き、あっけにとられる。そして、それぞれの認知がなぜそんなに異なるのか、理解しようともがくのだ[30]。
カトリン・ベントリーによると、アスペルガー症候群男性はサボテン、非アスペルガー症候群女性がバラにたとえられている詩がある[31]。
アスペルガー症候群男性に惹かれて結婚し、アスペルガー症候群を知らぬまま苦しみながら生活を送り、やがてアスペルガー症候群に気づいて理解し、違いを受け入れていく様子が描かれる。
(詩の要約) サボテンを気に入ったバラだが、サボテンに合わせて砂漠に住むのは難しかった。生きていくために水がほしかったが、少しずつしおれ、やがて何も感じなくなった。サボテンの愛し方を知らず、バラに変えようと一生懸命だった。サボテンはバラのように振る舞ったが、一人のほうが心地よく、孤独に戻っていった。しおれたバラを、ほかのバラたちは仲間はずれにした。やがて、サボテンには別の愛情の示し方があると知り、サボテンは変種のバラではないと気づいた。二人が同じ植物になるより、違いを受け入れ、お互いを大切にし合おう。二人の子供は、バラの野生・繊細さ・色鮮やかさと、サボテンの頼もしさ・強さ・人を惹きつける魅力を併せ持つだろう。
ルディ・シモン(Rudy Simone)[注釈 5]はアスペルガー症候群男性を岩、非アスペルガー症候群女性を水に例えている[32]。
アスペルガー症候群男性は岩で、彼を愛する女性は岩に向かって流れる水。岩が水によって形づくられるように、彼も彼女からの影響を受ける。ただし、とてもゆっくりした速度で。女性は優しく、根気強く接した方がよい。もし波のように強く流れると、微動だにしない彼に当たって砕け散ってしまうからだ。何度もそれを繰り返していると、やがて彼女には何も残らなくなる。
アスペルガー症候群男性と非アスペルガー症候群女性の関係については、医師らによる次のような指摘がある。
大人の発達障害の人は、自分のパートナーや家族、会社の上司や同僚、友人たちにとって、本人には悪意がないにもかかわらずトラブルメーカーになったり、周囲をイライラさせたりすることがある[33]。仕事でミスを繰り返したり、家庭内でもコミュニケーションがうまく取れていなかったりして、人間関係も悪循環に陥っていることが多い[34]。(星野仁彦)[注釈 6]
大人の発達障害の家族、つまり夫や妻、恋人、同居している親・兄弟・子どもたちは、発達障害の人の言動や行動に振り回されていることがある。極端な場合、夫婦間不和、暴力(DV)、児童虐待などが見られるケースも少なくない。そのほとんどの場合、大人の発達障害というハンディがあるということに本人も家族も気づいてはおらず、「本人のわがままで自己中心的な性格の問題」として片付けられている。 家族は「夫(妻)の言動にうんざりしている」「夫(妻)は私のことを理解してくれない」「物事をいつも自分流に行って、人の意見に聞く耳を持っていない」など強い不満を抱いている。発達障害の人自身も、自分の問題点に気づかず、自分の家族がなぜそんなに自分に不満を持っているのかさえ、気づいていないことがある。気づいていたとしても、自分ではどうすることもできない。発達障害の人がいる家庭では、夫婦関係や親子関係が悪化して、暴力や虐待に走ったり、離婚に至ることも少なくない[35]。
発達障害の人とそのパートナーは、さんざんケンカを繰り返し、「口やかましい人と聞く耳を持たない人」という関係になっていることが多い[36]。 発達障害の人がいると、家族は次のような両極端のパターンになりがちだ。一つは、発達障害者に巻き込まれ、彼らの乱雑さや突発的な行動に家族全体が振り回され、その後始末に追われる。家族のニーズは後回しにされるため、家族の不満がたまるというパターンである。もう一つは、家族全員が発達障害者のことをあきらめて、無視や放任状態になるパターンである[37]。(星野仁彦)
家庭内では、自閉的特性を持った人のしつこさや自己主張の強さが原因となったトラブルや、家庭不和の問題がある。本人には自分勝手にしているつもりはなくても、結果的にそれで不和が生まれることにもなる。 自閉的な特性が強い夫にはヒステリックな妻、というパターンが多く見受けられる。自閉的な特性を持っている人と、気分感情の波が激しい人は、惹かれあう部分があるのか。あるいは、配偶者が自閉的であると、気分感情の波が激しくなる傾向があるのか。いずれにしても、このような場合、たいていは夫の社会的適応は比較的よく、家庭内の問題が強いために、妻主導で受診することが多く、夫は問題を自覚していないことが多い。幼少期から周囲とは異なっているという感覚は持っているが、知的レベルの高い人が多く、本人の努力で一定以上の社会適応性を身に付けている。その反面、家庭では本来の自分をさらけ出し、妻が迷惑を被るというパターンが多い[38]。(林寧哲)[注釈 7]
2人の間にある問題がASDである場合、残念ながら、社会性の発達のギャップが埋まることはない。生活能力はトレーニングによって向上するが、相手を気遣いケアする気持ちは、訓練で得られるものではない。職場では「ちょっと変わった人」くらいで済んでも、日々共に暮らすパートナーにとっては、情緒的な問題以外でも深刻な問題を引き起こすことがある[39]。(服巻智子)[注釈 8]
アスペルガー症候群男性は結婚すると大きく2つに分かれる。ひとつは、関係性が変化することを受け入れられず、恋人同士のままのパターン。もう一つは、正式な夫婦になると、それまでとは全く違う態度をとるパターン。どちらも、パートナーをどのように捉えたかで決まる。
恋人同士のままの場合は、パートナーを恋人として認識したことが変化しないので、子どもができると問題が生じる。夫にとって妻は恋人であり、子どもの母親ではないのである。夫は恋人を子どもに取られたことにショックを受け、妻に裏切りを感じ、子どもをライバル視する。妻が子どもに愛情を向けることを制限したり、子育ての手伝いは全くしてくれず、妻は1人で子育てをしているような孤独な気持ちになる。
一方、夫婦となった途端に態度が変わる夫は、結婚後は妻を他者として認識しなくなるようだ。これまで妻にしてきたこと、言ってきたことを全くしなくなる。もはや妻の気持ちを配慮する必要はないのだ。そのため会話もなくなり、むしろ独りでいたがり、妻は孤独に陥る。妻からの否定は裏切りになる。
周囲からは「自分が選んだのだから」「そこが好きだったのでしょう」と言われがちだ。しかし、これほど気持ちがすれ違い、一緒にいるのに孤独になることなど誰にもわからなかったのだ[40]。(滝口のぞみ)[注釈 9]
一般に他者に共感するということは、社会の特別な要請でもなく、目的化することでもない。しかし、暗黙に社会から必要とされることだ。アスペルガー症候群の人たちには目的にならなければ積極的に行動を起こすための動機にならないというところがある。社会から要請される目標や課題はアスペルガー症候群にとって理解しやすいが、妻との間で必要になる配慮は、結婚した後には目的や課題にはなりにくい[41]。 たとえば、アスペルガー症候群の男性が子育てをするためには、社会的にそのことが評価されることが重要である。アスペルガー症候群の男性は無意味なこと、無目的なことをすることが苦手だ。妻が喜ぶ顔だけではなかなか子育ての動機づけにならない。子育てを継続的に行うには、自分でやる方が得だといった経済的なメリットを確信していることや、病院や学校で医師や教師から評価される必要がある[42]。(宮尾益知、滝口のぞみ)
妻からの気づきから受診を促す場合は、かえってそれが夫婦の問題になったり、夫が仕事の意欲をなくすこともある。受診した医療機関が大人の発達障害に詳しくない場合など、診断に至らないことがある。社会的に適応していれば、妻からは特性が認められるのに、診断に至らない場合が少なくない。受診を促したこと自体を、パートナーが被害的に受けとることもある。しかし、パートナーの特性で悩んでいるなら、発達障害に詳しい専門機関に相談するのは重要なことである。妻からの情報で、パートナーにアスペルガー症候群の傾向があると認められ、それが妻の精神的身体的ダメージに繋がっているとしたら、それはカサンドラの状態であると考えられる[43]。(滝口のぞみ)
診断がついた場合、非アスペルガー症候群女性は嬉しさを感じる一方で、喪失や怒りを感じるかもしれない。診断により、二人の関係に多くの問題をもたらしてきた原因が理解でき、安堵を感じる。しかし、診断がつく前には存在すると思っていた2人の関係は、もはや同じようにそこにはない。アスペルガー症候群であるパートナーとはこの感情を分かち合えないので、とりわけ孤独に感じることになる。 また、自分たちは「ごくふつう」の関係を築いていると思っていたのに、そうではなかったと騙されたような気になって怒りを覚えたり、何年も無駄な努力をしてきたのかと失望したりする。パートナーに怒りが向けられるかもしれないが、それは双方にとって非建設的で否定的な行為である。怒りの段階にある間は、急いで物事を決めないことだ。性急な決断は、短絡的で否定的なものになる。怒りは時間とともに燃え尽きる。そのときになって、何をするべきか、そこからどこへ向かうべきか決め始めるのが良策だ[44]。(マクシーン・アストン)
アスペルガー症候群の特性がさまざまな形で現れていても、夫婦間の根底にあるのは共感性の問題である。そこには「想像すること」「人との関わり」「コミュニケーション」や「こだわり」、あるいは「感覚」という問題があるが、個人差が大きい。しかし、共通するのは「想像すること」の苦手さと、共感性の問題である[45]。
一方で、発達障害の特性が人によってさまざまなように、カサンドラの女性が抱える苦悩も一人ひとり違う。夫からの言葉による暴力により、長年の生活で人格を否定されるような精神的苦痛を抱えている人もいれば、夫は優秀で会社でも家でも優しく何でも受け入れてくれるが、妻が深い情緒的な交流がまったくないことにいつも孤独を感じていることもある。
後者の場合は夫が社会的にも優秀な評価をされており、カサンドラ自身が悩むことに罪悪感を持ってしまう。その罪悪感を自分でも受け入れられず、何が起きているかわからないまま抑うつ状態になってしまう。後者の方が言葉の暴力より被害が少ないともいえるが、後者であってもその苦しさは決して軽いものではない。カサンドラの悩みは一つひとつ違い、それぞれ異なる種類の深刻さを持っている[46]。(宮尾益知、滝口のぞみ)
アスペルガー症候群の人は「一見ちょっと変わっているけどいい人」である。実際にパートナーに持たなければわからない理不尽さやストレスが、いつしかパートナーの精神に変調をきたしてしまう。それはやがて、数々の肉体的な症状にも発展していく。 改善するには対症療法的に、うつ状態や精神不安を解消する薬を服用する。あとは、アスペルガー症候群のパートナーと離れるしかない。アスペルガー症候群の人は自分のパートナーの重篤な精神状態を察することができないため、離れる必要も理解されにくいかもしれないが、カサンドラ症候群の症状が顕著であれば、離れることを考えるべきだと思われる[47]。(宮尾益知)[注釈 10]
一方が発達障害を抱えている夫婦では、共依存的な関係が習慣になってしまう危険性がある。それぞれの自立や責任を犠牲にしてまで、相手に関心を注いでいる状態だ。 例えば、発達障害の人は自分が起こした問題をすぐにパートナーのせいにしたり、状況のせいにしたりする。一方、パートナーはすべて自分の責任と思い込み、トラブルの後始末も一人で引き受けるのが習慣になっている。このような関係になっている場合は、単身赴任や一時的な別居で、物理的、心理的距離を置くと効果的だ。お互いに干渉しすぎず、自立する方向へ促す[48]。(星野仁彦)
パートナーがコミュニケーション方法を変えるだけでも、関係は変えることができる。 アスペルガー症候群の夫とカサンドラとの問題は、夫が家庭の中での役割を知らないことや、コミュニケーションの問題だと言える。アスペルガー症候群のパートナーには家庭生活でしてほしいことを伝えると同時に、「してほしいことを妻に伝えてほしい」と伝えることが大切だ。私たちのコミュニケーションは7割以上が非言語的な態度や表情、しぐさなどで成り立っているが、アスペルガー症候群の人たちはそのような非言語的な情報の処理が苦手で、ほぼすべて言語的なコミュニケーションによっている。喜怒哀楽といった基本的な感情の理解にはまったく問題なくても、複雑な気持ちを表情から読み取ることに労力を要する。 アスペルガー症候群の男性と心を通わせるには、結果の見通しを明確に伝えることが重要で、言語化や情報化がポイントになる。話の内容を把握し、将来の見通しをつけることは、物事を正確にとらえ、突然を嫌うアスペルガー症候群男性には大切なことだ。 もう1つ重要なことは、絶対にアスペルガー症候群男性を責めないことだ。アスペルガー症候群男性は自分が周囲からマイナスに評価され、否定されたと受け取る傾向がある。妻からの要求や意見は否定的な評価や非難に受け取られる。妻が意図していなくても、妻から夫に要求するという形になりがちなので、感情を含まない無機質の情報として伝えることがカギになる。どのような行動をするのが望ましいのか、一般論として伝えることが有効だ[49]。アスペルガー症候群の人に対して「どうしてやってくれないの?何回も言ったでしょ」とプライドを傷つけるような責め方をしたり、「なんであなたはそうなの?」と曖昧な表現をするのは逆効果になる[50]。(宮尾益知、滝口のぞみ / 服巻智子)
カサンドラの心の回復の第一歩は、まず自分が悪いのではないと気づくことから始まる。夫がアスペルガー症候群であることが夫婦の問題の原因だと知ることは、症状の改善に役立つ。ただし、原因が自分ではなく相手であると喜ぶわけではない。長年の苦悩の理由が、アスペルガー症候群の特性とどのように関連があるのかを丁寧に読み解くことで、夫の不思議な行動の原因が見えてくる。それが理解されて初めて、その原因が自分ではないことに合理的な確信が持てるのだ。 しかし、「自分が悪いわけではない」と思えるだけでカサンドラの状態を完全に脱することはできない。回復に最も役立つのは周囲の理解である。夫婦の間に問題があることを信じてもらえないことがカサンドラの本質だからだ[51]。
また、カサンドラ状態から抜け出るときには、副作用がある。それは、常に合理的な説明を心がけるようになることや、アスペルガー症候群男性の自己主張に対抗するために、自分の気持ちを譲らずしっかりと自己主張していくことから生まれる。物事を合理的に考えていくようになると、カサンドラの思考パターンも常に目的を持つことを意識するようになり、無駄なことには価値が見出せなくなることがある。本当の自分の上にアスペルガー症候群としての特性が出てくるのだ。そのため、アスペルガー症候群以外の人間関係におけるコミュニケーションに影響が出て、自分が周囲から浮いているとか、以前より嫌な人間になったと感じることがある[52]。
夫の奇妙な行動には理由があるのだと知り、二人の関係性の改善が見られたとしても、やはり本質的な寂しさは変わらない。アスペルガー症候群の夫との分かり合えない本当のつらさは、夫の言動やお金の問題よりも、むしろ夫と笑いのツボが違うといった、ごく当たり前のことにあるとも言えるからだ[53]。(宮尾益知、滝口のぞみ)
カサンドラ症候群は、疾患ではなく「現象」である。その結果、身体症状が出たり、本当に病気になってしまうこともあるが、カサンドラ症候群自体は薬では治せない。 カサンドラ症候群を超えていくには、いい意味での「開き直り」と「距離感」が必要になる。線引きをして、自分の中で折り合いをつけていくことが大切だ。妻でも母でもなく、「私」としての考えを持って、何を選ぶか自分で選択していくことを求められる。「相手がこう言ったから」とか「子どものために」ではなく、自ら選択し、「これは自分のためにやっている」と思えたとき、カサンドラ症候群を乗り越えているのだ[54]。(服巻智子)
専門家がカップルに介入することは、気持ちが伝わらない苦しさの中にある「お互いの言葉と感情の意味」を整理し、翻訳することに似ている。夫と妻は、自分の理屈では何も間違っていないので、自分は正しいと確信があり、どちらが正しいのかで争うことになりがちだ。しかし、問題は気持ちの伝わらなさであり、正しいかどうかではない。専門家が間に入り、何が「今ここで」起きているか、どんな「意味」がやりとりされているか、そのズレや誤解に気づくこと、そして新しい共通の意味を見いだしていくこと、それがカップルをセラピーすることの意義である[55]。(滝口のぞみ)
カサンドラ症候群とおぼしき人は、わかろうとすればするほど相手の欠点を暴き出してしまい、相手を愛している自分さえも時に信じられなくなるほどの痛みが生まれる。それを単にうつとかパニック障害という言葉で括らずに、周囲の評価や自分自身の評価・価値観が根底から揺らぎ、崩壊しそうにあるほどの危機的状態であると理解する。カサンドラ症候群といった状態があるという事実を知っておくことで、支援者は、当事者や配偶者を過度に励ましてしまい結果的に追い詰める、傷つけるという過ちをしないで済む[56]。(田中康雄)
カサンドラの状態になるのは、誰が悪いわけでもない。特性を持っている人が悪いわけでも、それを見抜けなかった人が悪いわけでもない。もちろん、それらを理解できない人が悪いわけでもない。ただ「特性が影響している」ということだけをまずニュートラルに理解することが必要だ。そうでなければ夫と妻の双方が不幸になるからだ。 しかし、カサンドラ状態に至るまでには極端に共感性を欠く夫の言動があることも事実であり、モラルハラスメントとして認めることもできる。 専門家はこの点をよく認識しておく必要がある。なぜなら、アスペルガー症候群の特性の理解を優先してしまうと、妻がそれによって受けた心の傷と抱えてきた怒りを軽く見積もってしまうことになりやすいからだ[57]。
また、大切なことは、妻が夫の極端な言動を特性として理解し、たとえこれからの暮らしの中で夫の言動に備えることができるとしても、これまでにその言動でカサンドラが傷ついたことは事実であるということだ。専門家や周囲の人々がその傷の深さを忘れてはならない[58]。(宮尾益知、滝口のぞみ)
以下はアスペルガー症候群の人の結婚でよく見られる例であるが、アスペルガー症候群の人は行動が独特なので、必ずしも他の人の例が当てはまるとは限らない[7]。
精神科医療の中でアスペルガー症候群が表面化したのは1981年で[59]、日本でアスペルガー症候群が注目を浴びるようになったのは2006年頃からである[60]。子供のアスペルガー症候群は研究も進み、専門書も多く発行されている。しかし、大人のアスペルガー症候群について研究されるようになったのは、つい最近のことである[60]。パートナーがアスペルガー症候群だと気づくチャンスもなく、「ちょっと変わっている人」「正直でまじめすぎる人」「自己中心的で困った人」[60]というように、性格だと思い込んでいることが多い。
何十年も悩み続け、還暦を過ぎて初めて診察に訪れる妻もいる[61]。カトリン・ベントリーの場合も、夫がアスペルガー症候群だと初めて気づいたのは結婚17年後だった[62]。
カトリン・ベントリーは著書『一緒にいてもひとり』の中で、「何年間も自分たちの結婚はうまくいっていないと感じていたが、その理由を説明できなかった」、「困っていることは誰にも話さなかった」「もし一言話せばこんな言葉が返ってきただろう。『男だから』『うちの夫も同じよ』『自立しなさい』…」「相談できる人も、わかってくれる人もいなかった」「すべて自分一人で抱え込み、万事うまくいっているふりをした」と述べている[63]。
夫婦という立場からアスペルガー症候群当事者をとらえた本『旦那(アキラ)さんはアスペルガー』の著者である野波ツナは、アスペルガー症候群パートナーとの関係を「言葉では表しにくい正体不明の違和感」と表現している[64]。
アスペルガー症候群かもしれないということに本人より家族が気づく場合も多く[65]、アスペルガー症候群の専門外来への相談が急増している[61]。
ただし、アスペルガー症候群は統合失調症や社会不安障害など様々な病気と重なる特性が多々あるため[66]、大半は別の病気であったり、あるいは夫婦間にコミュニケーションがないだけだったりするという[61]。昭和大学付属烏山病院院長の加藤進昌によると、2008年に成人のアスペルガー症候群の専門外来を開いた同病院の場合、アスペルガー症候群の人は初診全体の約2割にとどまるという[61]。
コミュニケーションのほとんどは非言語コミュニケーションで、言語コミュニケーションはごく一部にすぎない言われている。自閉的特性の濃厚な人は、非言語コミュニケーションに属する「暗黙の了解」が不十分であると考えられる。そのため、コミュニケーション全体が不十分で、スムーズではなくなる[67]。
アスペルガー症候群男性は間違ったことを言って人と衝突することを恐れるため、パートナーとコミュニケーションを取らない、あるいは意見を言わない。アスペルガー症候群男性は、パートナーとの衝突を避けるためなら、問題があることすら否定したり、二人の違いを無視したりする。パートナーの考えを理解できない人もいる。愛されず、受け止めてくれないことに女性が傷つき、それが苛立ちや怒りの原因になっていることがわからない。 女性も、アスペルガー症候群の人が感情を読み取ることが難しい、ということがわからない場合もある[68]。
このような状態では、話し合いはうまくいかない。女性の感情的な要求が高まるほど、アスペルガー症候群男性は距離を置くようになる。衝突を回避し、問題を未解決のままにする。その「先送りすること」こそ問題の原因であり、問題をさらに深刻なものにしていく[68]。
カサンドラ症候群の者は悩みを他者に理解してもらうことが難しい。第三者は以下のような疑問を抱くためである。
アスペルガー症候群の配偶者との関係は必ずしも初めから悪いわけではなく、コミュニケーションが困難であることの積み重ねによって悪化していく[69]。
マクシーン・アストンの調査によると、妻がカサンドラ症候群の場合であれば、初めは女性がアスペルガー症候群男性を助ける役割を担うことが多い[70]。アスペルガー症候群男性の子供のような無邪気さと、穏やかで受動的な性質に惹かれた女性は、やがてアスペルガー症候群男性がいつまでたっても感情を表さないことに気づく。原因は子供時代にあるのではないかと考え、感情表現と愛情を注いで彼を助けよう、気持ちの表し方を教えてあげようとする。これは無意識のうちに行われる。しかし、時間の経過とともに、簡単に変えられる性質ではないことがわかってくる。気づくまでに何年もかかることもある。女性がどんなに努力しても、彼は気持ちを表さないので、「私のことを好きではない」と思い、苛立ちと憤りがつのっていく。そうなると、夫が何をしてもしなくても妻の気に障り、怒りっぽくなる。一方、夫はいったい何が起きているのかわからない。
カトリン・ベントリーは、結婚生活の維持を車のメンテナンスに例えて説明している[69]。
初めは運転しやすいが、時には部品が壊れることもある。でも、走れないわけではないし、順調なふりもできる。しかし、良い状態に保つためには壊れた部品を交換しなければならない。問題を未解決のままにすれば、修理では済まないほど事態は悪化し、いつかだめになる。
夫婦の場合、結婚や子供の誕生など環境の変化をきっかけに問題が顕在化することがある[61]。(「#結婚を境に変化するアスペルガー症候群」参照)
カサンドラも結婚当初は、男女の違いや生家の文化の違いがあるから仕方がないとか、あるいはちょっと変わっている人として夫をとらえているので、コミュニケーションの問題はそれほど意識されない。 妻がカサンドラ症候群の場合であれば、暮らしていくうちに、妻が「普通」に期待する、人を気遣ったり心配したり、思いやったりする言葉があまりないことに遭遇する。妻が意図したこととまったく違う意味で物事を考えていることが、小さな驚きとともに妻の心に積もっていく。 結婚してしばらくすると、夫婦として一緒に考えなければならないライフイベント(転居や出産など、人生で起こる変化や出来事)が起こる。これをきっかけに、二人の気持ちの擦れ違いや、コミュニケーションの難しさが顕在化する。夫婦の間に共通の枠組み(妻から見ての「常識」)がないことに気づく瞬間だと言える[71]。
どこの夫婦も、多かれ少なかれコミュニケーションが取れないものではないのか?
サイモン・バロン=コーエンは、自閉症スペクトラムの男性の脳は究極の「男性脳」であると述べている[72]。
一般的に、他者との相互作用やコミュニケーションにおいて、男性は論理的で率直になりやすい一方、女性は感情的かつ記述的な言葉を多用する傾向がある[72]。
そのため、カサンドラ症候群の女性が悩みを口にしても、他の人たちは非アスペルガー症候群夫婦間の愚痴との違いがわからず、「どこの夫婦も同じ」「うちもそうよ」などと答えがちである。実際、アスペルガー症候群との生活のエピソードの一つ一つを見れば「誰にでもあるようなこと」と言える。しかし、それがあらゆる形で一人の人に日々起こり続けるのがアスペルガー症候群である[73]。カサンドラ症候群の女性は悩みを理解してもらえず、孤独感に陥る。
パートナーとの関係がいまくいかない時期はどんなカップルにもあるが、一方がアスペルガー症候群のカップルは、両者ともアスペルガー症候群ではないカップルのような対処ができない[74]。
「論理脳」を持つアスペルガー症候群は、感情的な話になると、非論理的・無秩序・無構造な情報を解読処理しようとして、脳が負荷過剰(オーバーロード;メルトダウン)になってしまう。他の情報を処理する余裕がなくなり、記憶や解釈の違いがコミュニケーションに支障をきたす[75]。
オーバーロード状態になると、アスペルガー症候群男性は会話を正確に思い出せないことがある。
女性は、アスペルガー症候群男性の脳の情報処理の仕方の違いや、複数の回路を同時に使えないことを受け入れ、覚えておいてほしいことは紙に書き、大切なことはタイミングをよく見計らって伝えなければならない[72]。
オーバーロード状態では、アスペルガー症候群男性は話し合いを避け、二人の間のコミュニケーションは途絶えてしまう。処理しきれない情報を脳が整理する時間が必要なため、アスペルガー症候群男性には引きこもることが必要になる[76]。
人によってアスペルガー症候群の症状はさまざまである。穏やかな人もいれば、感情が激しやすい人もいる。一生懸命やっても仕事がうまくいかない人もいれば[77]、有名大学卒や大企業に勤務する人もいる[61]。
あるいは、アスペルガー症候群の人はむしろ知的には高いことも多いので、周囲が障害に気づかず、「ちょっと変わった人だな」と思われるだけで済んでいることもある[78]。
どんぐり発達クリニック(東京都世田谷区)の宮尾益知院長は「アスペルガーの人は会社など外では問題がない場合もあり、パートナーの苦しみが周囲に理解されづらい。実際に一緒に暮らしてみないと分からない問題がある」と指摘する。外で気を張っている分、家庭内で緊張感がなくなり、より特徴が強く出てしまうことがあるという[4]。
社会的にはどんな好条件の相手であっても、夫婦になってからの情緒的な関わりの乏しさは妻を孤独にする。人が羨む生活に見えることが、アスペルガー症候群エピソードを持つ夫との葛藤をかえって見えにくくしている[79]。
同じ苦しみを抱えている家族同士の交流は、考えや気持ちを共有できるので有意義である[80]。例えば、大人のアスペルガー症候群の専門外来を開いた昭和大学付属烏山病院では、定期的に家族会を開いている[61]。 とはいえ、アスペルガー症候群が広く知られるようになってまだ歴史が浅いため、アスペルガー症候群当事者の支援も発展途上であり、家族支援まで十分に行き届いていないのが現状である。
カサンドラ症候群当事者による自助会がボランティアで運営されている[注釈 11]。(欧字五十音順)
日本国内の「発達障害者支援センター」も相談を受け付けている。本人および家族に対する福祉の相談支援として、来所相談・電話相談・メール相談などを行っているが、現状として、発達障害にかかわる支援資源・サービス等については十分に整備されているとはいえず、また地域により状況が異なることもある[81]。
支援が進んでいる英語圏のサイトでは情報が整理・体系化されているところが多い[82](アルファベット順)。
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