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恨み節③ ~急募! ネットリテラシー!~

  • 執筆者の写真: yorubityou
    yorubityou
  • 2月1日
  • 読了時間: 17分

 本記事には、本来の対象者である当該人物のみならず、その友人への批判的な内容、および以下に示す個人に対する非常に強い批判的な内容が含まれている可能性があります。

 内容をご確認いただく際は、その点にご留意の上、閲覧をお願いいたします。


・社長

・ままま




 さて、記念すべき第三回目! 今回の恨み節は……と書いていきたいところだが。


 去年の暮れにとても興味深いポストを発見したので、まずはそれを共有しようと思う。


 該当ポストはこちら。





 今回は本題に入る前に、まずはこのポストをありがたく引用させていただきながら話していこう。


 前もって言っておくが、これは別に彼を批判したくて引用したのではない。

 このポスト自体は個人の自由であり、そこまで批判するつもりもない。


 もちろん彼自体気に入っているかいないかで言えば気に入らない部類に入る。

 だって、クソマロ騒動が巻き起こった原因の思想は彼の対応が根底にあるんだから。


 でも今回彼に対してはそこまで批判の意図はない。そこんところご了承いただきたい。



 ではまず、このポストだが……


 良いと思う。

 良いと思うも何も、この人の人生はこの人のものである上、恐らく一生関わることのない方であるためどうでも良い、としか思えないだけであり、これを奴が口走っていたら恐らく助走をつけてぶん殴っていただろうが。


 フォロワーが多くなればなるほど発言に気を配る必要性が増すという点は確かに正しい。

 それだけ多くの思想を持った個々の人間に自分の何の気なしに発した言葉が届くのだから、見る人が増えれば増えるほど誰かの地雷を踏む可能性が高くなる。


 それを避けるためにフォロワーの厳選をする、というのは一般的な人間が陥りがちな浅い結論のうちの1つであるし、恐らく似たような思考の人間は彼らの周りにもそれなりの数いるはずだ。

 というか奴もその部類だろうと思う。


 別にいい。

 別にいいのだが。


 これまでの所業を顧みた場合、このポストにおいて、彼らが多分、いやほぼ絶対にと言っていいほど理解できていない大切なことが2点ほどある。



 まず1つ。


 仮にフォロワーが少なくても言っちゃダメ、やっちゃダメなことはダメだし、有名になってもダメなものはダメなのである。

 どんな人間だったとしても言っちゃダメ、やっちゃダメな事は社会常識に則り共通している。


 例えば悪口。どっからどう見てもダメである。

 見えないところならバレなければ問題にはならないかもしれないが、本人にバレた瞬間、ものによってはいつ誰とでも大乱闘である。

 人だけではなく、物や実体を伴わない概念に対してであっても、それに従事している人に届いてしまえば全然ロケットパンチ案件だ。


 これは常日頃しょうもない下ネタを叫び続けていたとしてもそれは免罪符にはならないし、「自分、これが素なんでw」でありとあらゆる問題発言が許される(と思い込んでもいい)のはせいぜい学生までである。

 フォロワーが増える毎に発言の不自由度が増すのではない。

 言っちゃダメな事があるという時点で、昔っから発言というものは極不自由なものなのだ。



 そして、2つ目。


 このポストの、今自分は不自由だとでも言いたげな表現にも疑問が残る。


 だってここは世界一自由度の高い現代オープンワールド「現実」だ。

 何を言ってもやってもいいのだ。その責任を自分で取れるのであれば。


 つまり、フォロワーが多かろうが少なかろうが発言は自由だ。

 自由だが、問題が多少なりともある、つまりは言っちゃダメな事を言った場合、叩かれたり運が悪ければ炎上するリスクがある。

 そしてそれから逃れる事はできない。

 そのため、己の置かれている立場なども加算し、リスクを把握し覚悟した上で発言をしなければならないのだ。


 言葉にするとたったそれだけのことだが、できていない人間というのは案外、この世にゴキブリ並みに溢れかえっている。


 その背景には、インターネットの普及とともに増え続けるSNS利用者の存在がある。

 手を出しやすく、便利になった現代の環境こそが、状況をより複雑にしているのだと思う。


 特に個人の発信力の強化……凡夫であっても発言力を持てるようになり、有名人と一般人の境目が曖昧になっていった。

 フォロワーが多くなればよりリスクはより増えるが、厄介な事にこのフォロワー数というものは狙って完全な制御ができるものではない。

 よって、望んでもいない発信力を倫理観や責任感が未発達のまま手に入れてしまう人間が急増した。

 そういった人間からしてみれば、なるほど、フォロワーが増えるにつれて言ってはダメなことが増えたように見えてもおかしくない。


 私なんかを例に挙げてもそうだ。

 私の発言なんていつでも炎上いけます! みたいなのばっかりなんだから、運が悪ければいつ叩かれてもおかしくはない。

 その事はある程度覚悟しているつもりではあった。

 それはそれとして人間なので拗ねるし、自分と同等またはそれ以上の発言しかしてない奴に自分を棚に上げて晒し上げされたら……何お前、となる。

 そのことを理解できていなかった。自分の不徳の致すところである。


 また、これは私のような若い人やネット慣れしていない人間だけでなく、昔からインターネットに生息している人間にもよく起こっている事だ。


 インターネットが発達していない世界でも、勝手な発言はすることができた。

 そういう時人々は、きっと、誰にも聞かれないような場所、路地裏や秘密基地などで信頼のおける仲間内で集まって発言していたと思う。

 実際、黎明期のインターネットはそんな感じだったと聞いている。

 今よりもずっと人が少なく、限られた人しかいない空間。さぞかし心地が良かっただろう。

 勿論そんな空間だったら周りには似たような人間しかいないわけだし、文化や意識もまるきり違うよそ者が乱入……なんてことも今よりは全然起こりにくかっただろうから、基本どんな発言をしてもそこまで怒られることは無かったわけだ。


 しかし今は?


 私達が慣れ親しんだ今の時代のインターネットはそんなに閉鎖的だろうか。

 答えはNoである。

 無論、底の底の方にまで行けばまだまだそういったところは残っているのかもしれないが、少なくとも私達がよくいるような場所、Xなんかは間違いなくそこまで閉鎖的であるとは言えないだろう。

 勿論システム的な性質で言えば閉鎖的なのかもしれないが、そう定義するにはあまりにも人口が多くなってしまった。

 大まかな人口密度のむらこそあるものの、全く人がいないなんてところの方が珍しい。

 どこに行っても人がいる、活気にあふれた場所の事を人気が無いとは評せない。


 この通り、彼らが愛した秘密基地のあった場所はとっくの昔に開発されてしまっており、あの頃の路地裏は今や立派な大通り。

 しかし、場所は一ミリも変わっていないし、見た目なんかはあの頃の面影が確かにあるのだ。

 周囲の人間なんかはもっと変わらず、自分に賛同してくれるものばかり。

 そんな要素の重なりが、当人たちに重い目隠しをしている。

 彼らはこの大通りを、未だに人気のない路地裏だと思っているのだ。


 だから覚悟ができていない。

 覚悟がいることも理解できない。

 ただ、不自由になった、という不満だけが残る。


 今までインターネットをアングラ的存在だと思っていて、その意識をアップデートできないまま今日まで生き延びてしまった事自体は哀れだし、同情もできる。

 先住民は彼らなわけだ。


 しかし、どうだろうか。

 閉鎖的な環境ではなくなったことで、彼らにはメリットがなかったのか。

 人には依ると思うが、勿論あったと思う。

 少なくともこのポストをした人間はメリットを享受している側の人間だろう。


 それに、昔のようなインターネットが良いのであれば、なぜ未だここでうだうだと言っているのだろうか。

 閉鎖的でなくなってから今に至るまで、時間はたっぷりとあったはず。

 その時間で、まだ古いネットの香りが残っているような、もっと深いところに引きこもる事だってできたのではないか。


 都合よく利益を享受している状態で単にデメリットにだけ目を向けて。

 それを不自由とは……言わないんじゃないか。


 まあ、どうでもいいのだが。



 さて、この通りインターネットがインフラとなる今のご時世、お互いできる限り心穏やかに過ごすため、必要になってくるものがある。

 不自由(笑)さで息が詰まってしまわないように、基盤のシステムに予めインストールしておかなければならないものだ。


 それは、責任感、誠実さ、倫理観……

 つまりはコミュニケーションリテラシーである。


 これがなければ当然トラブルが起こること請け合い、現代社会の必需品である。

 はじめに触れた2つのことだって、これさえあれば特に苦も無く理解できる……どころか当たり前の常識として気にする事も無いだろう。


 そしてここから本題。


 彼にこれらはあったのだろうか。



 というわけで、今回の恨み節では奴のコミュニケーションリテラシーについて見ていこう。



 まあ、はじめのあの下りで理解できていない、と言ってしまったのでお察しであるが……

 先ほどのくだりを前提知識として、実際の例も交えながら見ていこう。



 まず、彼の日頃の言動は過激である。

 それ自体は良い。その部分に関しての彼の根幹のコミュニケーションリテラシーがどれほどリテラ死ーであろうとも、こちらが困ることはない。彼が勝手に嫌われるだけの話だ。


 過激である一方で過敏でもある。

 批判を受ける覚悟がないのに、攻撃的な発言を繰り返す。

 彼のコミュニケーションリテラシーでは、その姿勢こそが問題である。


 例にあげられるのはいつぞやの、再販に関する話なんかどうだろうか。

 彼は本を出している。それの再販要望に対するリアクションだ。


 確かその時は新規ファンの方と既存ファンとの交流がSNS上であったか何かで、彼の本に対する再販希望の話がTLに上がっていた。

 こういうことは定期的にある。ヲタクたちがさえずる、普段のTLの光景だった。


 その翌日あたりの配信内での事。

 もうどこでも見れやしない、問題発言の温床こと超高頻度作業配信内でのことだった。


 彼はそれに対し「強要されている」とでも言わんばかりの態度で強く反発した。


 だが、観測する限り、多くの呟きは彼に向けたものではなく、ただの独り言のようなものだった。

 強要などをされていたわけではない。いや、もしかしたらされていたのかもしれない。私達には見えないところで。

 しかし少なくとも大多数は何の気なしにSNSに書かれたもの、しかも多くは彼がフォローすらしていないものたちによる、つまり別に彼に向けたものでも何でもない呟き、星に願い事を呟く程度の感覚で書き込まれたものだった。


 それをわざわざ取り上げ、配信内で強い口調で抗議するという過敏さは不可解だった。


 しかも、その注意喚起の場は配信後短期間で非公開となる場であったため、多くの人に伝わるものではなかった。

 公式声明でもなく、効果的な対応には程遠い。

 やめて欲しいと願うのであれば、もっとわかりやすく……いつ来ても見えて、大勢に伝わるところに書くべきだった。

 それなのに当時の彼は確か、一日程度で世間から消え、一週間ほどでメンバーシップに入っていたとしても見れなくなるような配信で注意喚起をし、他は……特に何もしなかった、もしかしたらXで何かぼそっと言ったかもしれないが、それきりだった。

 もしかしたら他に何かしていたというなら是非教えて欲しい。喜んでこの文を訂正しよう。


 とにかく、自治に任せるという意図があったのかもしれないが、どう考えても悪手である。

 いくら高尚な意図があったとしても、こちらから見れば矛盾しているようにしか見えない。

 彼の主張自体は間違っていなかったが、やり方によって意図がどうであれただの過敏症なお気持ちにしかならなかったのだ。


 彼の普段の発言は過激である。


 そのような過激な発言を常としている彼が、この程度の内容、いや、何がどれほど不快に感じるかは個人の感性に依るものではあるが、彼の普段の言動と比べて明らかに穏やかなこれらの書き込みに対して、顔を真っ赤にして怒りを露わにするのは絶妙に奇妙である。

 もちろん、過激な発言を繰り返す人物が他者の発言に対して過敏になることがいけないわけではないが……「おかしい」と言われても仕方がない所業ではなかろうか。



 また、彼の過敏さはこういったエピソードに限らない。

 反射、反応的な過敏さもあるのだ。



 ある一定の過激さ、一部を傷つけるような発言をした場合、反発が起こることがある。

 当然のことである。最初に述べた通り、そういう事も理解した上で発言というものはするべきである。

 しかしそういう事が起こった時、彼は拗ねる。

 人間だし、それもいいだろう。というかこの点に関しては私は誰も責めることができない。

 彼は揚げ足取りだと思い込み、反発意見に賛同した人間全員を敵だと思い込む。

 これこそが問題なのだ。


 反発が起こった以上、間違った、もしくは間違ったまではいかずとも問題のある発言をしたことには間違いない。

 それを一切無視して、反発してきた方が悪いと被害者面を決め込む。


 今から例に挙げる話は、直接ここまでに至る最初のトラブルに関係する、裏であった話である。


 SNS上でこそないものの、こういった話が出る以上、SNS上での対応に滲み出てくるのも時間の問題ではなかろうか。


 元となったのは皆様ご存じポスターの頒布方法についてのトラブルである。

 あのトラブルの事なのだから、私にも非は多分にあるのだが、今回は省略する。

 わざわざ私の非までこの場に書いてやるほど私はできた人間ではない。


 もちろん裏でのやり取りの話なので引用や仔細の公開などはできないが、そこで起こった出来事について述べたい。


 何があったかと言えば、彼からその時の私の対応についての抗議があった。

 これは、いい。これだけなら私が悪いところが殆どだ。

 その際の彼の主張についてだ。



 要約すると「なびるなには身内びいきがあり、今回の件もそうだと決めつけ誤解を流布、それに対し周囲の人間も盲目的に納得した」という主張である。



 私がこの主張の何を問題としているかお分かりだろうか。

 まともな方々ならご理解いただけるだろう。最後の一節である。 



 まず、そもそもポスターの件の私の意図はさておいて、「誤解を流布」あたりまでは良い。

 言いたいことはあるが、客観的に見てそう見えてしまったのは確かである。


 問題は、なぜそこで周囲の人間が出てくるのか、だ。


 当時のTL、探せば出てくると思う。流石に私が全てをここに貼るのは無理に等しいので、やりたい方がやってくれ。

 当時のTLにおいて、確かにその件で周囲の方々といろいろ会話していたことは事実。

 そこで「え、そんなのってなくなぁい?」「なびるなまぢカスなんですけど~」などと言われていたのであれば、確かに合っているのかもしれない。


 しかし、実際には私の周囲の人々は私の非についても言及していた。


 というかその件に関しては、私の非に関して言及している人々しかいなかったと思う。

 もしかしたら私が存じ上げないところで熱烈なシンパがいた可能性も否定はできないが、探すまでもなく無いものと思っていいだろう。

 少なくとも私の見た範囲においては、私の言葉を盲信する者などいなかった。

 先程のそれに類する発言は一切なかったと記憶している。

 百歩譲って「私が彼こそ全面的に悪いと煽動した」とかならまだわからなくもないが、「私の周囲の人間が私を信じ込んだ」とするには無理があろうと思われる。


 ただし、それに関連して、「なびるなには身内びいきがある」という点に関しては確かに賛同寄りの人間がいた。


 正確には、「なびるなには身内びいきがある」という点について、根拠となる発言が確かに存在しており、それをXのスペース内(現在アーカイブ確認不可)で話した際、実際に証拠を確認しに行った方が「確かにこれはひどい」と言った事があった。

 その根拠となる件については後日別の記事でまとめる予定である。

 それだけで一本話が成り立つくらいのものであり、要は彼らの身からでたさびであったのだ。

 そして、私達はそれをついでで話していたに過ぎず。

 それを盲目的な信仰とするのであれば、それは彼らの合理性への侮辱でしかない。


 これは人間として当たり前な事、この恨み節を通して伝えたいテーマの一つなのだが「やられて嫌なことはやってはいけない」。

 彼はその発言を私に聞かせる前に、彼の友人に対して「憶測で不愉快な発言をするな」と私に忠告していたはずなのだ。


 じゃあ彼の言ったこれは根拠のない憶測ではないのか。

 少なくとも見える範囲ではその主張に反する投稿ばかりだったし、見えない部分の事を触れるのであればそれこそ憶測と呼ばれるものなのではないだろうか。

 彼はその舌の根も乾かぬうちに自らその忠告に反する行動を取ったのだ。


 仕返し、という観点から見てもおかしい。

 だって奴はそれと時を同じくして、私に仕返しをするなとも言ってきているのだから。

 自分は平気な顔して勝手なことを口走る癖して、散々踏みにじってきた他者が同じことをしたら怒る。

 都合のいい脳みそをしていることに気づくことはできなかったのだろうか?

 自分が他者に対して行った行動に責任を負わず、それをやり返された際に被害者ぶる態度はすこぶる理不尽である。


 それに、私の観測できた周囲にいる人々は私や彼一方の主張に基づくのではなく、事実を観測し確認した上で意見を述べていた。

 例えばクソマロ騒動の時などで、ソースもろくに確認せず賛同するような発言をした彼のご友人のまままさんなんぞよりも遥かにまともだとは思わないだろうか?

 特に配信者でもない一般フォロワーの方々の方が、よほど慎重で誠実な行動をしていることに彼らは気づくべきである。

 こういったところがあるから、私から身内甘々人間どもなどと揶揄されるのだ。



 さて。


 ここまで、散々彼のコミュニケーションリテラシーについて問題を挙げてきた。

 こういった話をすると、「自分にはそんなものがないから発言しないほうがいい」「嫌われたくないから黙っておこう」と考える人も出てくるだろう。

 というか、今の彼がその典型ではないだろうか。

 もしかすると、彼の周囲にも今そのような考えに囚われている者がいるかもしれない。


 最後に、それも違うのではないか? というお話もしておこう。



 たとえ何もしなくても、何かをすれば嫌う人は必ずいる。

 これは、コミュニケーションリテラシーがいくらあったとしても、である。


 私が冒頭の話で社長を気に入らないと言ったように、この広くて狭い人間社会において、もっと言うと遠くて近いSNS上においては誰も傷つけないように息をするのはほぼ不可能だ。


 じゃあどうすればいいのか。

 そこで必要になるのがまた、リテラシーである。

 最低限のコミュニケーションリテラシーが必要になるのである。


 ここで求められているコミュニケーションリテラシーとは最低限のものであり、完璧なものではないと、私は思う。

 人間である以上、誰しもが不完全であり、時には意図せず他者を傷つけたり、誤ったことを言ってしまうこともある。

 それを理解している人は多いだろう。

 その上で、彼らが求めているのは、私達に求められているのは「傷つけないためのコミュニケーションリテラシー」ではなく「事が起こった後のコミュニケーションリテラシー」。

 つまりはその後の態度であり、発言に対する責任の取り方ではないか。


 わかりやすく単純で安易な表現をすると、ちゃんと謝罪をすることだ。

 間違っていたり、誰かを傷つけた場合に「ごめんなさい」と謝罪をすること、それだけの話である。


 くだらない冗談やごまかしではなく、自分の過ちに真正面から向き合うこと。

 それが求められているリテラシーだ。

 実際、多くの人間はこれを実行できている。完璧ではないが、私ですら。


 それすらできないのは、ただの「謝れない人間」であり、恥ずべきことである。


 あなたはそんな人間だろうか。これをここまで読めている多くの方は違うと思う。……そう願う。


 もしあなたが本当にそんな人間だとしたら、SNSをやる以前の人間性に起因する大問題であるため、それこそ早急に矯正するべきだ。

 こんなクソみたいな記事を読んでいる場合ではないし、クソみたいなツイートをしている場合でも、ましてや拗ねて引きこもっている場合でもない。


 ……そういえば、彼はどんな状況であっても公の場では謝罪をしたことがない。形式的な謝罪すら、公の場では少なくとも私の観測範囲では一度もない。同様に、彼のご友人方からも謝罪を受けた記憶がない。


 もしかしたら、彼らは「謝れない人間」なのかもしれない。


 こうなっては仕方がない。

 まだ社会人とは言い難い私ですらできていたことなのに、幾年も社会で生きてきてなお、それができないというのはもはや哀れである。


 彼らが謝れないことに関して、これ以上責めるのはやめておこう。


 足のない人に「歩け」と求めることはないだろう。それと同じことである。


 以上。

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