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恨み節④ ~悪口が悪口を呼びやがて地獄絵図~

  • 執筆者の写真: yorubityou
    yorubityou
  • 3月2日
  • 読了時間: 10分

 本記事には、本来の対象者である当該人物のみならず、その友人への批判的な内容、および以下に示す個人に対する非常に強い批判的な内容が含まれている可能性があります。

 内容をご確認いただく際は、その点にご留意の上、閲覧をお願いいたします。



・あれま



 悪口。

 あまり良いことではない。常識である。


 しかし、私たちも人間である以上、つい口にしてしまうこともある。

 それもまた現実であり、多くの人が「悪いことだ」と理解しながらも、「仕方のないこと」として受け入れている。


 そして、こうした悪口に対する姿勢は、大きく二つのタイプに分かれると思う。


 陰口派と、面と向かって言うべきとする派である。



 陰口派の主張は、「何を言われていても、本人が知らなければ無いのと同じ」「わざわざ不愉快な思いをさせて対立を生む必要はない」といった考え方に基づいている。

 対立を避け、表面上の平和を保ちたいのだろう。


 一方で、面と向かって言うべき派の考えは、「陰口は卑怯だ」「嫌だと思ったことを相手に伝えなければ、こちらが損をする」といったものだ。

 相手に直接伝えることで問題を解決し、より健全な関係を築こうとしたいのだと思う。


 別にどちらが正しく、どちらが間違っているという話ではない。

 人間関係の価値観は人それぞれであり、どちらの考えも完全に否定できるものではない。

 なんだったら同一人物に聞いたとしても、置かれている立場が違うだけで答えが変わってくるだろう。


 しかし理解できない人はできない。

 そういった人たちの間で度々議論になる、そんなごくありふれた議題だ。



 今回は彼らや私の、そんな悪口にまつわるお話である。



 私はどちらかと言えば後者寄りの考え方だ。こんなもん書いてる時点で明白だろう。


 陰口をいくら慎重に隠したところで、相手に絶対に伝わらないという保証はない。

 どれだけ強固な結束を築いたつもりでも、一般の人間の演技力などたかが知れている。

 自分の陰口が日常的に交わされている集団には独特の雰囲気が生まれ、それは意外なほど簡単に伝わってしまうものだ。

 そして、もし陰口を言っていたことが相手に知られた場合、面と向かって言われる以上に嫌な思いをするのではないか。

 陰で何を言われていたのか、どこまで本音だったのか、真意がわからないからこそ、より強く不信感を抱く。

 そう考えれば、いっそ直接伝えた方がまだ誠実であり、卑怯ではないのではないか。

 もちろん、そもそも悪口を言わないのが最善であることは言うまでもないが。


 私はそういう考えである。

 だから、こういうのも基本的にその気になれば見えるところにしか書かない。

 以前の失敗から学習しワンクッションは置くようになったが、根本の思想は今も昔も変わらない。



 で、私はなぜわざわざこの恨み節という場でこんな意思表示をしているのか。


 その「以前の失敗」の時に言われた言葉が今回のキーワードだからだ。



 かつての失敗。

 X上で不用意に思ったことを書き連ねた結果、彼の友人を不愉快にさせたと糾弾された件。


「自分の友人が不愉快な思いをするようなことを見える場所に書くな」

「直接つながっていなくとも、言葉はどこからか伝わるものだ」


 これ自体は、私に非があるのは間違いない。

 批判的な意見を言う、苦言を呈すことは別に一概に悪と言えるべきものでもないが、そこに個人の感情面が一切考慮されていないのもまた事実。

 それにX君のおすすめ機能というものは、意図せずとも投稿が本人に届いてしまう危険を孕んでいる。たとえ悪意がなくとも、偶然目にした不快な言葉は心を刺す。


 それからはその点を踏まえ、批判的な意見を書く際には本人の目に直接飛び込まぬよう、ワンクッションを挟むようにした。今のように。

 間接的に伝わる可能性はゼロではないが、心の準備ができていないところに叩きつけられるよりは、見たくなければクリックしなければ済む分幾分かマシであろう。

 警告がある以上、見たければ見ればいいし、嫌なら見なきゃいい。エロ絵のセンシティブ設定のようなものだ。

 少なくともその選択は受け取り手が責任をもってすることになるのだから、陰口のような卑怯さもない。

 それでも見たくもないのに内容が伝わったのなら、それは誰か他の人間の意志が介入したということになる。

 つまり告げ口、「あいつこんなこと言ってたよ」とかわざわざ言った人間がいるという事だ。

 それは……流石にそんなこと言った人が悪くないだろうか。

 他人の仕業など制御できるものではなく、そこまで私の責任にされてはさすがにたまったものではない。

 そもそもそんな友人は普通に縁切った方が良い。



 ……そんなことはまあいいとして。

 さて、そろそろ本題に入ろう。


 今回の恨み節におけるキーワードは、先ほど言った二つだ。


「自分の友人が不愉快な思いをするようなことを見える場所に書くな」

「直接つながっていなくとも、言葉はどこからか伝わるものだ」


 今回は主にこれについて文句を言っていこうと思う。


 ……しかし、これのどこに文句があるのだろうか。

 いたってまっとうなご意見である。

 私の非を責める言葉であり、私が真摯に向き合うべき言葉である。

 これに対して文句を言うというのは、控えめに言っても人間性を疑われる行いだろう。


 実はこれ自体には文句はない。

 だって文面だけ見れば正論だし。


 ただ、私からすればどうしようもなく……ブーメランと言わざるを得ないのだ。

 だから文句を言う事になっている。文句というのも正確ではない。

 ものすごい勢いでこの言葉を発した輩の後頭部に突き刺さったので、これから悲鳴を上げるのだ。


 そう、なんとなくお察しいただけたかと思うが。

 彼はかつて、私の悪口に値するであろう言葉を公衆の場で口にしたことがある。


 彼だけでない。彼の友人であってもそうだったと記憶にある。

 しかも、私よりも数段は悪質な形で。



 ここで、一点ご注意いただきたい。


 私は厄介なことに、根にこそ持つが、根本的には他人の悪口をあまり気にするタイプではない。したがって、一つ一つ何を言われたかは一切記憶していない。

 関連人物のアーカイブを精査すれば、おそらく該当する発言が見つかるだろうが……しかし、いつ、どのタイミングで、どの媒体で発言されたものかは定かではなく、既に削除されたものや、有料でしか閲覧できないものも少なくない。

 加えて、そもそもの発言量が膨大である。

 この記事は、途方もないアーカイブを遡り、裏取りを徹底するほどの熱意を持って執筆されているわけではない。

 もしその熱意のある方がいれば、ご自身で調査を試みるのも一興かもしれないが、本稿においては証拠の裏取りが完璧にできていない、割とぼんやりとした記憶の状態での発言であることをご了承いただきたい。



 まず、私がした失敗の件を簡単にまとめよう。

 私が行った行為は「個人による公の場での特定人物への批判」に値するものだと思う。

 決して誉められたことではない。目にした者の中には傷つく人もいるだろう。

 今後彼らの非についていろいろ言及していくが、それのせいでこれが正当化されることは無い。


 私がそういうことをしていたのに対し、彼らはどうだっただろうか。


 彼らも「個人による公の場での特定人物への批判」に値する発言はしていた。

 私にそれを注意したときに取った行動も、やり方が悪くてそれに値する晒上げでしかなかったし、そもそも今までの、そしてこれからの恨み節で書いていくことの中にその要素は多分に含まれている。

 もうこの時点でブーメランが刺さっているのだ。


 しかし、私が良く目にしていたのは、今回私が被害を訴えたいのはそちらではない。


 私がそれよりも問題視していたのは、彼らの「集団による公の場での特定人物への批判」に値する発言であった。


 ご友人方との会話の中で勝手に話題に出され、勝手にこき下ろされる。

 まあ普通に不快である。

 いじりの範疇に収まるものであったとご主張なされるかもしれないが……それもどうなのだろうか。

 そもそも、通常の人間関係において、ろくな関係もない相手をいじること自体が稀である。

 そんな行為は多くの場合、人間性を疑われるものではないか。

 せめて相互フォロワーであるとか、その程度の距離感の中での関係性ならまだ理解できるが……私にとって彼らは、ろくに知りもしない存在であった。

 付き合いでフォローこそしていたが、相手のことは大して知らない。

 二人きりにされたら、気まずさを通り越して無言の時間が支配するであろう距離感である。

 そんな距離感の人間をいじることがどのような結果を招くかなど、誰しもが想像できるくらいわかりきったことではないか。


 それに、X上での発言に留まっていればまだしも。


 配信というその人間の囲いしか視聴しないような、公の場でありながらごく閉鎖的な性質を持つ環境においても、同様の発言がなされていたことを私は認識している。


 それも恐らく、陰口を意識した形で。


 私がそれを目にしたのは、あれま氏の作業配信においてであった。


 なびるなが参加しており、どういった流れであったかは定かではないが……私に関する話題に言及されたことは記憶している。

 その際、私がその場にいないことを確認した上で何かを……何を言われたのかは、例のごとく一切覚えていないが、ただ、不快な感情を抱いたことだけは強く記憶に残っている。

 人間の記憶は容易に薄れるものだが、感情は意外と長く残るものだと介護職に従事する者から聞いたことがある。それはなるほど、こういう事か。


 仮に言われていたことが些細な内容であったとしても、わざわざ私がいないことを確認する行為自体に強い悪意を感じる。

 さらに、周囲はそのような行動をすることに慣れているような対応だった。

 事実確認はとれていないので憶測だが、同様の事が他の配信でもあったのではないだろうか。そう思わせるには十分であった。

 当たっていないことを祈りたいが、それを信じるほどの信用すらも失せてしまうほど、彼らのその行動は不愉快であった。


 配信は閉鎖的な環境に近いとはいえ、公の場である。

 公な場でありながら、ほとんどのリスナーは配信者の味方なため、閉鎖的な環境にとても近い。

 つまり「集団による公の場での特定人物への批判」がとても成立しやすい環境なのだ。

 そんな環境で陰口を叩こうとする行為自体がまず胸糞悪いのだが……そこで更にわざわざ当人がいないことを確認しているので、もっとたちが悪い。

 それは、陰口をたたいている、という自覚がなかったことにするにはあまりにも無理がある行動だからだ。


 こらは私が行った批判よりも遥かに悪質であり、恥ずべき振る舞いではないだろうか。


 少なくとも、

「自分の友人が不愉快な思いをするようなことを見える場所に書くな」

「直接つながっていなくとも、言葉はどこからか伝わるものだ」

 などと口にする資格は、彼らにはない。


 彼らにとってはほんの些細ないじり、あるいは軽い愚痴のつもりであり、悪意など込めた覚えはなかったのかもしれない。

 しかし、言葉は受け取り手次第である。

 私に直接宛てられたものでなくとも、私の存在を引き合いに出した話題であり、その結果として私が悪意を感じ取った以上、看過することはできないだろう。


 彼らは今一度理解せねばならない。

 私自身が悪口そのものに対しては寛容であったから良いものの、仮に私が悪口そのものに強い不満を抱いていたならば、それはもはやいじめと呼ばれる行為に他ならなかったことを。


 少なくとも、そのように解釈されかねない行動を取った彼らを、私は心の底から軽蔑する。

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