(ある1滴が:1)意図透ける投稿があおった 矛先の県議宅前演説に100人、拍手
(1面から続く)
■「みる・きく・はなす」はいま
「犬笛」と呼ばれる手法は、米国で1960年代から使われるようになったとされる。
人間には聞こえない高い周波数を出す犬の訓練用のホイッスルになぞらえ、政治家などが特定の層に伝わる直接的でない言い回しで、人心や投票行動に影響を与えようとすることを指す。人種やジェンダーなどの面での潜在的な差別意識をあおることもあるといわれる。
例えば、後の米大統領レーガン氏は1976年に「シカゴには、高額な福祉サービスの不正受給をしている女性がいる」との趣旨で発言。その数年前、シカゴで黒人女性が少額の不正受給をした事件があった。事件を想起させることで、人種に言及せずに「不正受給しているのは黒人」と受け止められる発言をして、福祉削減への支持を集めようとした、とされる。
米国と異なり、日本のネット空間での使われ方は、一定の影響力を持つ人の発信が、その支持者の中傷の矛先を誰かに仕向けようとしているとして、「犬笛を吹くな」などと批判する文脈が多い。
朝日新聞社メディア研究開発センターのサンプル調査によると、「犬笛」という言葉を含む投稿を引用したリポストは、兵庫県知事選があった昨年11月ごろから増え始め、3カ月間のリポストは約14万件。昨年10月までの1年分に匹敵する回数だった。「えらいことや」などと知事選に立候補していた政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏の発信に言及したものも目立つ。
「今から何が起きるんだろう、この目で確かめたい」
昨年11月、神戸市内の会社員の男性(55)は、ガラケーに届いた友人からのメールに思わず身を乗り出した。繁華街での買い物を切り上げ、バスと地下鉄を乗り継ぎ、目的地へと急いだ。北へ約8キロ。山あいの集落に人だかりができ、中心に立花氏がいた。
男性にとってはネットで見続けてきた憧れの人だった。「マスコミは都合のいいことしか報じない。自分のことを身ぐるみをはいで何でもしゃべる立花氏は信じられる」
場所は、兵庫県議の奥谷謙一氏の自宅兼事務所の前。兵庫県では当時、パワハラなどの内部告発者に対する斎藤元彦知事による公益通報者保護法違反などが指摘され、奥谷氏はそれを調べる百条委員会の委員長だった。知事を支持する立花氏は、奥谷氏の百条委の運営を批判。この日、Xに奥谷氏の事務所の住所を記し、「街頭演説」すると告知していた。
「出てこい奥谷!」「あまり脅しても奥谷さんがね、自死されても困るのでこれくらいにしておきます」
立花氏がマイクを手に声を上げ、時に支持者の笑いと拍手が起きる。
奥谷氏は自宅にいた。同居する母親(75)は避難させ、ユーチューブ配信される中継をみていた。自宅の前に日常では考えられない人数が集まっている。100人くらいだろうか。外で起こった聴衆の拍手が、時間差で動画からも聞こえた。
■「場所公表、犬笛になるんですか」
兵庫県では斎藤知事をめぐる内部告発に端を発し、昨年11月の出直し知事選につながった。知事派と反知事派の分断は、リアルでもネットでも顕在化した。
立花氏は朝日新聞の質問に対し、今月25日にネット配信した記者会見で、こうした行為が「犬笛」と批判されたことについて「選挙運動をする場所を公表したら犬笛ってなるんですか」「事務所前で演説することは、有権者にとって必要」と反論した。
神戸市の男性は言った。「立花氏の行為を犬笛とは思っていないし、(県議を)攻撃する意図なんてない」。自分は興味本位で見に行った、と説明した。
■なお止まらぬ中傷
だが、中傷は止まらない。
〈おまえも鉈(なた)で襲われとけ〉。奥谷氏には4月2日から1分おきに同じ内容のメールが届き続け、1万通を超えた。「鉈」は立花氏が東京・霞が関の財務省近くで切りつけられた事件を想起させる。定期的に駅頭で行ってきた県政報告ビラの配布はできない状況が続いており、「影響が全くないとはいえない」。
〈お前もとっとと自殺しろよゴミ野郎〉。県議の丸尾牧氏も大量の中傷メールを送りつけられている。「自殺」は、兵庫県の内部告発問題の発覚以降に死亡した人たちを思い起こさせる。
丸尾氏は「静かにしておけよという言論弾圧だろう。リアルな社会で罵声を浴びたことはないが、どこかで刺されるのではという気持ちはよぎる」。
中傷は29日現在やんでいない。
■兵庫県知事選で急増、目立つ批判的な趣旨 SNS投稿・リポスト分析
朝日新聞社メディア研究開発センターが、SNS分析ツール「ソーシャルインサイト」でサンプル分析(3月末時点)したところ、昨年10月までの1年間では、「犬笛」を含む投稿が月平均で約1800件、投稿を引用する「リポスト」が同約1万1500件だったのに対し、兵庫県知事選があった昨年11月と、12月は、投稿が3千件を超え、リポストは約2万7千~3万1千件に。今年1月になると、それぞれ約6千件と約8万3千件、3月には約9千件と約9万件に達した。
使われ方については、リポストされた件数が多い投稿をみると、誰かの言動を「犬笛」と表現した上で、「犬笛吹くな」などと批判的な趣旨で発信されたものが目立つ。
昨年11月に投稿された「ご家族を守るために辞職される。犬笛に熱狂する群衆がどんだけ危険か」は約6700件リポストされた。
「辞職」したのは、兵庫県の斎藤元彦知事をめぐる内部告発問題で県議会百条委員会のメンバーだった竹内英明氏。誹謗(ひぼう)中傷に悩んでおり、知事選に立候補していた政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏らの竹内氏に対する言及が「犬笛」と表現されたとみられる。竹内氏は今年1月に死亡し、自殺とみられている。
投稿やリポストが最も多い今年3月分について、どのような言葉と一緒に発信されたかを分析した=図。円の大きさが投稿の多さを示し、立花氏や斎藤氏が目立った。斎藤氏に関しては、3月の記者会見で、内部告発者の公用パソコンの中身に言及したことに対し、「知事が支持者に犬笛吹くって」などと投稿された。
■本来の論点「みえにくくなる」 兼子歩・明治大准教授(米国史)
2020年の米大統領選で、トランプ現大統領が「不正選挙が行われた。郵便投票が温床だ」と主張したのも一種の犬笛だ。当時トランプ氏を支持する白人至上主義団体の攻撃を恐れて、投票所に行かずに済む郵便投票を使う黒人が増えた。ここに不正があるとすれば、「黒人が悪い」というメッセージを込めることができる。
一方、最近の日本のSNSでは、特定の人を標的にし、攻撃しようとする言動を「犬笛」と表現しているようにみえる。受け手がかきたてられる点は同じだが、日本では話し手の意図がむき出しで、軍隊の「ラッパ」のようだ。
犬笛の問題点は、本来の論点をみえにくくする点にある。兵庫県問題では、上司によるパワハラや、内部告発をしたことを理由に処分を受ける可能性があることは、誰もが当事者になりうる人権問題だ。それが知事を支持するか否かや「知事VS.県議会」のような二項対立になってしまった。
犬笛を見聞きしたら、発せられた背景や思惑を考え、問題の本質に立ち返って議論する姿勢が必要だ。
■悩みの相談先
◆チャット・SNS相談
【生きづらびっと(午前8時~午後10時半)】
【あなたのいばしょ(24時間受け付け)】
◆電話相談
【#いのちSOS(24時間受け付け)】
0120・061・338
【いのちの電話(毎日午後4~9時)】
0120・783・556
「デジタル版を試してみたい!」というお客様にまずは1カ月間無料体験