ひとりで生き、ひとりで死ぬ社会で 私たちの死後は 高橋源一郎さん

編集委員・塩倉裕

 コンピューターで制御された都会の巨大納骨堂から、桜の花が咲く郊外の樹木葬の丘へ。作家の高橋源一郎さんが、「死後」というテーマに向き合う思索の旅をしました。自身が経験した身近な人々の死が、旅の出発点でした。葬送のあり方についての社会的な議論を広げていくために。寄稿を掲載します。

家の墓を拒んだ母、墓終いを望んだ弟

 わたしの足元近くには母の遺骨を納めた骨壺(こつつぼ)が置いてある。半生を古い家族制度に苦しめられた母は、嫁ぎ先の墓に入ることを拒んだ。だからわたしは、遺骨と共に20年以上暮らしている。その母の苦しみに長く寄り添い、昨年亡くなった弟がわたしに遺(のこ)したことばは「家の墓終(はかじま)いをしてほしい。ぼくは桜の樹(き)の下で眠りたい」だった。

 「目黒御廟(ごびょう)」はJR駅から歩いて数分の、地上3階・地下1階の高級マンションのような近代的ビルだ。実は1万基近い「墓所」が用意されている都内最大級の「納骨堂」である。そこにYさんの「墓」がある。

 Yさんは新しいラジオ番組を立ち上げ、わたしはそこに長く出演した。番組が終了する頃、Yさんは退職した。愛したラテン文学の世界に戻るつもりだ、といったYさんは、その直後、事故で亡くなったのだった。

 フロントでYさんの名前を記入すると、ICカードが渡された。カードを受付機にかざす。モニターに表示された指定の参拝用ブースに移動し、ホルダーにカードを差しこむ。すると、正面の「扉」が開き「○○家」と刻まれた墓石に似た銘板が出現した。コンピューター制御で、遺骨を納めた箱が自動的に運ばれてきたのだ。傍らのモニター画面に、そこに眠っている人たちの遺影が次々に現れた。Yさんのご両親、そしてハンチングをかぶったYさんも。わたしは瞑目(めいもく)し両手を合わせた。どんな「墓」でも、そこを訪ねる人がすることは同じだ。

お墓の「後継者」がいなくなる時代

 「マンション型」とも呼ばれるこの「自動搬送式納骨堂」が、なぜ都会の真ん中に出現したのか。担当者はこう語ってくれた。

 「ひとつの理由は、後継者の心配をしなくてもいいからです。子どもに墓の管理の手間をかけたくない人や子どものいない人が増えました。都会の墓は値段も高騰して入手が難しくなっています。大規模な集合型なら出費も抑えられるし、なにより近い。いつでも気軽に会いに来ることができるのです」

 2019年以降、日本は「夫婦と未婚の子のみの世帯」より「単身世帯」の方が多い国になった。「ひとり」で生き「ひとり」で死ぬことが当たり前になった社会に住む者には、「死んだ後も生きつづける」場所を護(まも)ってくれる「誰」かはもういない。いや墓そのものも変わりつつある。わたしは驚くべき調査結果を聞いた。「お墓の消費者全国実態調査」によれば、「一般墓」が多く買われた時代は終わり、いまは目黒御廟のような「納骨堂」(約16%)とほぼ並んでいるという(約17%)。もっとも人気があるのは「樹木葬」(約49%)なのである。

 東京都町田市にある樹木葬墓地を訪ねた。そこでは桜の樹を墓標にして、その周りに人びとが眠っている。正式名は「エンディングセンター桜葬墓地」である。訪ねたのは3月末だ。何種類もの桜がある墓地では、既に散った桜も咲きかけている桜もあった。やがてわたしは「桜葬」の場所に行き着いた。

「桜葬」に見えた、新しい共同性

 「墓地」ということばから感じる冷たさや厳しさや寂しさはそこにはなかった。木々の間を風が吹き抜け、桜が大きく枝を広げ、その場所を護っていた。「墓地」であるにもかかわらず、わたしは思わず「美しい」と呟(つぶや)いたのだった。

 桜の下には一面に芝生が広がっていた。墓石は見あたらない。一角に小さな「銘板」があり、たくさんの名前が刻まれていた。豊かな自然の中、生え揃(そろ)った芝生の下で、彼らは眠っていた。ひとりで、夫婦で、あるいはペットや友人と共に。子どもがいない人が、障がいのある子どもを持つ親が、故郷の墓を護れなくなった人が、「家」の墓に入らない選択をした人が、それぞれ異なった理由でそこにやって来たのである。

 桜の樹の周囲を数十センチずつ区切り、多くの人たちが「集合住宅」のような形で埋葬される。それが「桜葬」だ。最大の特色は、その「利用者」たちが「生前」からコミュニケーションを交わしていることだろう。たとえば、いつか共に眠る者たちと一緒に食事をして「向こうに行ってもワインで乾杯しましょう」と約束する。年に1度、桜の花が咲く頃、利用者や遺族が集まって合同祭祀(さいし)を行う。

 長い間わたしたちは、「死後」を「家族」に委ねてきた。けれども、「ひとり」で生きることがふつうになり、「家族」があっても、葬送や墓や祭祀が負担になってきたとき、新しく「死者」を見守る「誰か」、あるいは「なにか」が必要となった。それが「桜葬」という名前の新しい葬送スタイルだった。

 そこには「血縁」とは異なった「縁」が生まれた。親子だから、親戚だから「縁」があるのではない。彼らがまだ生きていた頃から、「家族」を超えた「縁」が作り上げられた。現実の世界では「ひとり」で生きるしかなかった者たちが、桜をシンボルとするこの場所で、新しい共同性を作り上げたのだ。

「死者の人権」が守られる社会に

 桜葬墓地を世に出したNPOの理事長であり社会学者でもある井上治代さんは、著書の『墓をめぐる家族論』の中で「庶民が今のような墓石を建てた墓をつくるようになったのは、江戸中期以降のことで、それまでは、遺体を放置した遺体遺棄葬が一般的であった」と記している。「○○家」と刻まれた墓を多く見かけるようになったのは、実は明治民法が「家」を法制化して以降にすぎない。日本人は遥(はる)か昔からずっと自然の中に葬られてきた。だとするなら、わたしたちは元いた世界に戻りつつあるのかもしれない。

 井上さんはこの墓地について記した記事の中で「死者の人権」ということばを使っている。長い間「死後の担い手」は遺族だった。けれども、「独居」が多数となる時代に激増する「遺族を確保できないひとびと」は、社会的支援が整備されないまま放置されている。彼らは「人間らしく死ぬ権利」、即(すなわ)ち「死者の人権」を奪われたのだ。「死者の人権」に冷たい社会は、実は「生者の人権」にも冷たいのだが。

 父は死の2日前に生涯で付き合った女たちの名前をノートに書き残して亡くなった。母や弟についてはもう書いた。みずからの「死」について意志表示すること。それは去りゆく世界へ感謝と別れを告げるために個人が行う最後の儀式なのである。

     ◇

ともに歩いた記者は

 「ペットも一緒に弔ってもらえるのですね?」。納骨堂でも樹木葬墓地でも、高橋源一郎さんはスタッフにそう確認していました。ペット好きのパートナーのことを頭に浮かべていたそうです。自分の葬送のありようについて考える行為には高橋さんにとってどんな意味があるのでしょう、という問いへの答えはこうでした。「死をどう迎えるかを子どもに見せることが親の最後の仕事なんだと思う」

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この記事を書いた人
塩倉裕
編集委員|論壇・オピニオン担当
専門・関心分野
論壇、オピニオン、調査報道
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    マライ・メントライン
    (よろず物書き業・翻訳家)
    2025年4月29日6時0分 投稿
    【視点】

    興味深い。「死後」を「家族」に委ねることが「できなくなった」状況下、この記事の行間から感じられたのは「ふつうの葬儀・追悼の文脈を超える物語性」に対するニーズのようなもので、「桜葬」はその重心を象徴する存在のひとつといえるかもしれない。 けっきょくは死にあたっての精神的充足をどうするかという問題であり、高齢化社会においてはこれがビッグビジネスとしてさらに多様化してゆくのだろう。 なんともいえない気分だ。

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    藤田直哉
    (批評家・日本映画大学准教授)
    2025年4月29日6時0分 投稿
    【視点】

    家や墓のことなど無視して、家を飛び出し、個人主義的に生きてきた自分ですが、結婚して子供もできて今になって考えると、親族や墓みたいなものとのつながりがなくなっていることのさみしさもあるな、と最近感じています。先祖の墓が地元にありますが、少子高齢化で親族が減っていき、地元を離れた結果、墓じまいをせざるを得ない状態になっています。そのことが少しもったいないな、と感じている部分があります。 おそらく、墓参りをしたり、子孫や親族が未来に墓を詣でてくれることの、心理的効果というものがあるのでしょう。(東アジアにおける葬儀や墓などに触れる機会が最近何度かあったので、真面目に考えたいと思い)加地伸行さんの『儒教とは何か 増補版』を読んでいたら、生命の連続性の中に自分も生き続けるのだ、という感覚によって死の恐怖を和らげ安心を手に入れる機能があるのだ、と書いてあり、なるほどな、と感じる部分がありました。 柳田国男が「先祖の話」で書いていたような、村に暮らし、子孫もずっとそこに暮らし、家の裏の畑や山に墓があり、山に祖霊がいて、お盆に帰って来るというような死者とのつながりの儀式や祭祀を維持するような生活の条件を、私たちの多くは失ってしまいました。だから、形は変わらざるを得ないのかもしれません。そのときに、かつての宗教や葬儀や墓などが果たしていた機能を見極め、それと等価か、より超える何かをうまく設計していくことが必要なのだろうな、と感じます。

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