鉄道が廃止され10年余…100年以上親しまれた駅舎とプラットホームも解体へ 「地域の象徴」を失う寂しさと道路整備に期待の声
■1922年に建てられた洋風建築 耐震対策はなし
長野市松代地区にある長野電鉄旧屋代線の旧松代駅舎を巡り、所有する市が解体する方針を決めたことが25日、分かった。洋風建築の駅舎は1922(大正11)年、屋代線の前身の河東鉄道(屋代―須坂)開通に合わせて建てられたが、老朽化が課題だった。市は周辺の道路整備にも絡めて本年度内に解体する方針だが、今後の整備方針は決まっていない。 【写真】旧松代駅舎の構内。バスの待合所や観光情報の発信拠点として使われていた。
市によると、駅舎は屋代線廃止後の2012年に市が譲り受け、バスの待合所や観光の情報発信拠点として使われてきた。ただ、耐震対策はなされておらず、地元から安全性を担保するためにも解体を求める声があった。
■国道につながる道路求める声
一帯は道路が入り組んで交通量も多いことから国道403号方面と駅舎付近をつなぐ道路を求める要望もあった。道路を新設する場合、駅舎近くが交差点になる案もあり、近くの国史跡「松代城跡」の整備に合わせ議論が本格化。城跡や周辺環境整備を議論する地元関係者らの検討委員会は21年、「旧駅舎等撤去に異存なし」と結論を出した。
95平方メートルの木造駅舎と、当時から残るプラットホームも含め解体する方針だ。ただ、周辺道路の整備は計画段階で事業化のめどは立っておらず、今後の整備方針も決まっていないとしている。
大正時代に開通した河東鉄道の駅舎は、20年に綿内駅が解体されており、信濃川田駅(若穂川田)のみになる。
■象徴の解体「思い出せなくなる」
「松代の玄関口」として1922(大正11)年の河東鉄道開通時から親しまれてきた長野市松代町松代の旧松代駅舎。地域の象徴を失うことになる解体決定に、地域から悔やむ声が聞かれた。
「駅舎がなくなってしまったら、思い出せなくなってしまう。松代の象徴であり解体は悲しい」。25日、駅舎前のバス停で降りた80代女性は、高校に通学していた時代を振り返り、さみしげに話した。
屋代線の廃止後にバス停が設けられ、この日も駅舎にはバスを待つ人たちの姿があった。ただ、近くで育った男性(61)は「老朽化が激しく、時代の流れで仕方ない」と、解体に一定の理解を示した。
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