※2020/1/22 再レビュー
西部劇という神話に対する壮絶な引導。鮮烈な暴力と報復の連鎖。“許されざる者”とはいったい誰なのか。かつて西部劇で活躍したイーストウッドが、自らの手で、確固たる意志を以て西部劇を解体する。
映画全体の重厚な雰囲気を引き立てる秀逸な役者陣。老いた元悪党を演じるイーストウッドのどうしようもない哀愁はとにかく素晴らしく、酒によって心情の“変化”をスムーズに表す描写も良い。モーガン・フリーマンやジーン・ハックマンら脇を固める面々も味わい深い存在感を示してくれる。撮影の美しさも全編に渡って実に印象的。茜色が強烈に際立つ夕焼けのバックや夜間のシーンでの仄暗い照明、役者の目元を絶妙に覆うハットの鍔の影など、はっきりと強調された映像の陰影が効果的に映える。白銀の雪原や広大な荒野など、日中の場面では何処か物寂しさを感じる澄み切った情景に切り替わるのも対照的で良い。
本作の凄まじい部分は西部開拓時代の“虚構性”を徹底的に炙り出しているところで、作中に登場するガンマンは誰一人とて超人ではない。かつてのアウトローは馬にも銃にも手こずり、狙撃の際にも一発で仕留められない。その相棒ですら「殺しは容易じゃなかった」と語る。そして死と隣り合わせの生活から足を洗ったからこそ、老いた悪党達は殺人への忌避感を露にする。暴力はあくまで暴力に過ぎない。それはカウボーイ狩りと最後の復讐を通じて“非道で陰鬱な行為”として描写される。ネッドは暴力を再び拒絶し、キッドは暴力の意味を思い知り、ウィルは残忍な暴力に身を委ねて神話を崩壊させる。本作はただ虚無的なだけに終わらず、“所有物”として扱われた娼婦が掲げる人間としての尊厳など確かなヒューマニズムが根付いているのが愛おしい。
イングリッシュ・ボブのエピソードは“虚構性”という点で特に象徴的。西部開拓時代に蔓延っていたとされる“誇張・脚色されたガンマンの逸話”が極めて顕著に描写され、それを文章にしたためて流布する作家の存在はダイムノベル等の大衆小説による“フロンティアの伝説化”を想起させられる。本作の破壊性は暴力描写のみならず、こういった伝説と現実の乖離を意識的に描いていることにもある。
保安官のリトルビル・ダゲットも実に興味深い存在で、悪役でありながら作中での行動はあくまで町の治安維持に終始している。しかし過度な暴力をふてぶてしく行使する彼はアウトロー達以上に“横暴な悪党”のように描写される。西部劇的な善悪の境界線を曖昧にするリトルビルの立ち位置は本作のテーマに更なる深みを与えていて、彼が自らの手で建てる歪な新築も示唆的で印象深い。
様々な西部劇やイーストウッド映画を鑑賞してから久々に観てみると、本作の持つ含みや味わい深さが更に解って面白い。まさしくイーストウッド流の西部劇総決算。そして最後の「セルジオとドンにささぐ」がニクい。
BRAVO!!!!👏🏻👏🏻👏🏻
西部劇やイーストウッドのキャリアを知れば知るほど味を増す本作は何度見てもやっばり凄い……🌵🏇🌵