とおくの、おくの細道

読書して起こった現象を書き連ねます

鴻雁北〜虹始見 日記

4月10日(木)


 あまりよくない状態で春を迎えると、自分のなかに溜めてある景色とか塊がないにもかかわらず、「言う」衝動にからめとられてしまう。そんな体では絶対何かに感動させられることはないのに、とにかく動きまくってしまうのは、花粉症で鼻をかみまくる運動と連動してるからなのかなとか思う。

 今日は朝起きて、ぐっと体を「自転車で移動」まで押し込み、駅近くの公民館まで引きずっていった。いろいろな本を少し読んだり、背表紙を流し見したりしてから一日をはじめたい。家の本棚は「自分」で、なんとなくぐっと閉じこめられる感じになるので、古本屋とか図書館が理想なのだけど、同じ場所に毎日通っていると、関心も同じ棚、同じ並びに固定されてしまい、不意の一冊が飛び込んでこないので、塩梅がとても難しい。

 去年更地だった場所が工事されて住宅地になったゾーンを抜けて、たまらん坂に続く道の途中で、いい塩梅にカラフルな草地を見つけた。スズメもいる。最近入れたBiomeというアプリは生き物の写真を撮ると、画像検索で名前や生態、ちょっとした雑学を教えてくれ、図鑑みたいにコレクションできるので、草地を見ると立ち止まる。わりとはっきり撮らないと正確な結果が出ないので、電線に止まっている鳥は遠く、鳥のコレクションが難しい。

 駅近くの古本屋を見、図書館の棚をつらつらと見て、何冊かピックアップした本を散らし読みしてから半地下にある勉強ルームの窓際の席にすわる。

 ここ最近、半地下のこのスペースに横長の本棚が置かれ、不要な本をそこに置き、またそこに置いてある本は自由に持って帰れるという企画が行われていた。中々、嬉しい本が並んでいたので、ぼくもそこに手離すのには少し惜しいが、当分読むタイミングがこないであろう本を置き、全てはけていたのを見た時は嬉しかった。古本屋で売って手離すとなると代価で満足、あるいはチェッと不満足して、そこで終わりになるけれど見返りのない交換はどんな人が持っていったのだろうとその後が気にかかり、それが楽しいのだろうと思う。続いて欲しかった企画だけれど、本棚は取り払われていた。

 そこは、いろいろな使われ方をする。ぼくの後ろで昼ごはんを食べていたおじさんは十分ほどするとやってきた少し年下くらいの男の人の半袖姿を指摘したあと、

 「今日の夜から雨が降るらしいですね」

 「明日の二時からだって言ってたよ」

 「ああ、そうなんですね今日はじゃあ半袖で過ごせるか、春は天気が変わりやすいからね」

 ぼくはこの二人は昼の二時と夜の二時をそれぞれイメージしているんじゃないか、と話題を切り替え、敬語になった半袖の男のぎこちなさから感じた。

 違う丸テーブルでは余白が目立つコピー用紙を広げた二人組が、相談をしている。「これぼく好きですねえ」と言って、これはご自身の体験から書かれたものですか、いいえ想像ですよ、と詩か何かを見せあっていた。

 いつのまにか、天気の二人の席で、中国語の個人レッスンが行われていた。二人とも日本語を話すのだが、先生は「向こうではこういう言い方を日本ではこう言うのですね」という言い方をするので、生徒は日本語が堪能な中国の方がさらなる日本語の成熟を臨んでレッスンを受けてるという可能性が生まれ、それを聞いているこちらもこちらで別の作業をしてい、日本語、中国語どちらを教えているのかがわからなくなった。かれらのレッスンが終わった頃に帰る。

 

 

4月11日


 12時、公民館着。半地下のスペースで行われていた「まちの本棚」という企画が、「なくなっちゃったんですか?」と、階段のすぐ横の席でノートパソコンと向かい合っていた女性が職員に声をかけた。ぼくも通りかかるところで、思わず立ち止まる。三月末までの企画だったのだ、と眼鏡をかけウェーブした黒髪を後ろで結んだ職員が言った。

 「まちの本棚、ぼく、持ってきた本がなくなっているのを見た時、誰かの手に渡ったことがリアルに感じられて嬉しかったんですよーまたやってください」みたいな感じのことを言いそうになったのだけれど、声をかけた女性が「誰か、怒った人がいたとか……」と声をひそめたので、言わずにそのまま一階の図書館へ向かう。「そんなことなくて、ただ三月で一旦おわりにしよっか、って話してて……」職員の人も声を小さくし、ぼくも二人から遠ざかるのでその先の話は聞こえなかった。何冊か持ちだして、半地下へ戻ろうとすると、前を職員の人が横切り、礼をするので、ぼくも礼をする。

 二階から合唱をしている歌声が聴こえる。聴いたことのない歌が終わり、カッコウの歌を歌い始めた。練習を終えると、こちらへ降りてきた。

 まちの本棚が置いてあった部屋の隅の真正面の隅に、(本棚が無くなった代わりに?)ピアノが置かれていて、その周りにどやどやと集まる。「YAMAHAなんだねー」、「Play me, i'm yours…」と鍵盤の上に金文字でペイントされた文言を呟く。ぼくの5席ほど右でノートを広げていた男性が立ち上がり、リュックサックを背負って外へ出た。単音でぽつり、ぽつりとピアノの音が聴こえた。そこで、復習をするというよりかは、帰る前のミーティング、雑談をしている様子だったけれど、帰った男性は以前に集中をかき乱されたことがあってそそくさと出たのだろうか?ぼくもそろそろ帰ろうかと思っていたところだった。

 団体はみな中年、中年を過ぎたくらいの女性で周囲の人々の反応をあまり気にしない様子に、各々楽しそうに喋っていたのだけれど、二人もこのタイミングで立ち上がっては何だかその集まりに抗議しているみたいになるからしばらく窓の向こうで散っている桜を見ていた。

 

 

4月12日(土)


家の換気扇に座ったら見える隣のアパートのそのさらに北東に建つアパートの向かいの林に昨日まで赤かピンクが混じっていたのが、すっかり緑になっていた。先月末雨降りの日に履いていったスニーカーを洗う。そのスニーカーを履いていきたかったので、表面だけ洗おうとするのだけど、どうしても中敷まで沁みてしまう。太陽が当たる所に立てかけておけば乾くだろうと一時間後。完全に乾き切ってはいなかったけど、自転車を漕いでいるうちに乾くだろう。

 走っている人は半袖。半袖で歩いている人もいた。キジバトを見た。落ちた椿の花を突いているムクドリを見た。

 春は、自分のなかに溜めてある景色とか塊がない時にも、「言う」衝動にからめとられてしまい、動きまくってしまうのは、花粉症で鼻をかみまくる運動と連動してるからではないかと思っていたけど、姿を表してきた生き物たちを見るぼくがかれらと連動すれば、春という季節を楽しむことができる。

 けど、春の歩調と合わないと、ただ動く衝動だけが空回りするのでやはり春は過酷な季節だと思う。

 Nさんは孟宗竹の生えてる中に一本Yの字型の紅葉が砂利道の前まで迫り出していて、枝先と枝先の間に細い松の葉が寝癖のように生えている松ぼっくりをおいていた。まさかおたまじゃくしを触るとは思わなかった。帰ってからポッケを探ると、喋っていたら手渡された松ぼっくりを入れたままだった。

 


4月13日(日)


 朝に食べようとしていた木村屋総本店の蒸しパン春チョコ味が半分になっていた。

 去年、宇治抹茶味にハマっていろんな味を買っていたら、たまに母も買ってきてくれるようになった。この間、買ってきてくれたコーンポタージュ味はカップスープの粉を食べているみたいだった。春チョコ味を実食。最初味が薄いような気がしたが、後味にミルクの風味がして、ココアかと感じた。「これはおいしかった」と言うと、残りの半分を食べていた妹も母も「まずい」との判定だった。

 雨で家に閉じこもってしまいそうな体をどうにか一番近い図書館へ持っていって、ふわっと暖かい空気が充満した館内は人が少なかった。しばらく何か読んだり書いたりしたあと、先月末国立天文台へ行ったときに知った、太陽光から元素を確定するスペクトル分析法の仕組みがよくわからなかったのを思い出し、その類の本を探したが、めぼしいものは見つからなかった。また、「微化石」という言葉を最近知り、プランクトンや花粉の化石を総称してそう呼ぶらしいが、蔵書が一番充実している中央図書館に図鑑が置いてあるようだ。読んでみたい。

 家に帰って、スペクトル分析について調べると、燃やした物体の炎の色を、太陽の光(虹と呼ばれている、多色からなるグラデーション)の中のどの色の位相と一致するか測ることで元素を特定する。セシウムなど多くの元素がスペクトル分析によって新しく発見されたらしい。

 ここ最近体験したことが塊となって体に詰まり、それらにぼやぼやと想いを巡らせる一日だった。

 最近、図書館の求人を見ているが、週五フルタイムで働くとなると、言葉にならないぼやぼやを後回し後回しにしていずれまた爆発するから週二くらいから少しずつ働こう。

 夕食前に一度眠りたかったが、「せこい動」で寝つけれず。まあ、ヴァージニアウルフが所属していた学者・芸術家の集い「ブルームズベリーグループ」が顔を黒く塗ってターバンを巻き、エチオピア人の格好をしてイギリス海軍相手にめちゃくちゃな偽異国語で騙し艦隊の中を見学させたというクールなイタズラ事件を知った、ということでよしとしよう……

 

 

4月14日(月)

 

 昨日は道に蟻をはじめとする虫はすっかり姿を隠して、( 鳥は飛んでいくのを二、三羽見た)あんなにいたものたちが雨になると一体どこにいるのか?と地中の深さ、森の大きさを少し想ってみたけれど、「庭」と呼んでいる家の横のスペースに一昨年、落ち葉の吹き溜まりで死んでたカブトムシの墓を作ってから、隣の、今はもう座らなくなった大きめの石を裏返すと、ダンゴムシヤスデや赤いダニが出てきて、石の裏はまだ少し雨だったので、「こんなところにいたのか」と思った。雨の日に虫を見たくなったら石をひっくり返してみることにしようか。

 最近は、貝の出汁にハマっている。今日の夕飯は潮汁というものを作ろうと思ったけれど、スーパーにタイのおかしらが売っていなかったので、アサリの味噌汁を作った。うまい。鯛茶漬けを食べたい。

 何もしていないような日々だけど、何もしていないことを少し休めた。

 

 

4月15日


 昨日は道に蟻をはじめとする虫はすっかり姿を隠して、( 鳥は飛んでいくのを二、三羽見た)あんなにいたものたちが雨になると一体どこにいるのか?と地中の深さ、森の大きさを少し想ってみたけれど、「庭」と呼んでいる家の横のスペースに一昨年、落ち葉の吹き溜まりで死んでたカブトムシの墓を作ってから、その墓の隣の今はもう座らなくなった大きめの石を裏返すと、ダンゴムシヤスデや赤いダニが出てきて、石の裏はまだ少し雨だったので、「こんなところにいたのか」と思った。雨の日に虫を見たくなったら石をひっくり返してみることにしようか。

 最近は、貝の出汁にハマっている。今日の夕飯は潮汁というものを作ろうと思ったけれど、スーパーにタイのおかしらが売っていなかったので、アサリの味噌汁を作った。うまい。鯛茶漬けを食べたい。

 何もしていないような日々だけど、何もしていないことを少し休めた。

 

 

4月16日(水)


 朝まで起きて、6時に日雇バイト先のコンビニへ向かった。ここは大学2年の時に飛んだことがあるけど、近いところがここしか募集してなかったし、当時の店長がいたりして、気付かれたら謝ればいいと思った。

 夜勤交代の人が見たことあるなと思った以外はみんな知らない人だった。「あれ、以前ここ来たことありますか?」と二人体制の片方の人が聞いてきたけど、その人は見たことがなかったし、「日雇で入ったことがある?」ってニュアンスだったので、「初めてです」と答えた。

 ツナギを着た人が多かった。朝からアメリカンドック2本!デカ盛りのペヤング!甘いパンに甘いソーダ!体壊すわよ、みたいなことを思いながら、バーコードを打った。スーツを着た人は三人くらいで、三人ともなぜか普通のコーヒーよりちょっと高いキリマンジェロブレンドを買っていった。

 帰って、少し書き物をして、夕方まで寝た。起きて、スーパーへ買い物に行くと、タイのお頭が売っていたが、今日は時間かけて料理する気じゃなかったので、チリコンカンを作ることにして、豆を入れる前のミートソースを半額になっていたソフト麺にかけて間食にすることにした。最近ハマっているコロロの桃味を食べながら買える。やっぱマスカット味が一番うまい。

 ソフト麺は裏の成分表にうどんと書いてあって、給食で食べたのと違う味がした。

 

 

4月16日


 三市の図書館をよく使っているのだけど、どこも月曜日休館になるので、休みの日をずらしてほしい。

 12時半くらいに公民館着。一日空いたので身が入らず、まあこんなもんかって感じで一、二時間で出て、H通りからH大学沿い→大学通りから駅までの直角三角地帯をぐるっと(?)散歩した。頭がぼやぼやする。シャガとスノーフレークという花がきれいだった。後ろで二人組のたぶん学生がドラムの話をしていた。信号で止まると、男のほうが明日、御茶ノ水から浅草まで歩くと言った。ぼくは明日、朝の6時から日雇のバイトを入れたので家に帰って、夕方まで昼寝をしようと思ったけど眠れなかった。

 スーパーに行き、ざっと鮮魚コーナーから見て、春キャベツだ!と思い立ち、ロールキャベツを食べたくなった。青果コーナーのキャベツの前では中年を少しすぎたくらいの女性と40代ほどの女性がロールキャベツの話をしていた。中年過ぎの方が春キャベツはやわらかくて、スルッと肉から解けちゃうでしょうと言うと、そんなことないわよ、そのあとケチャップで味付けして…と話をしていた。キャベツは葉っぱを剥くたびにハエとか小さいヒルみたいのがついてたけど嫌じゃなかった。ケチャップで食べようとはならず、いつも通りコンソメのスープに浸したのを食べた。おいしかった。

 月の中央を細長い雲が貫いていて、それが一瞬輪っかに見えて、0.1秒くらい土星?って思った。

 今日書き物をしていて、歩くと体を構成する粒子がくずれて、その粒が旋風で前方にいき、一歩歩いては崩れ、体を取り戻し、歩いては崩れ、取り戻しながら歩く人という浮かんだイメージを夕食のあと久しぶりに絵に描いてみたら楽しかった。

 

 

4月17日

 

Wさんが最近ずっと聴いているという「Jesus' blood never failed me yet」という26分の曲を聴きながら、半覚醒状態から目覚めた。作曲家のギャヴィン・ブライアーズという人が偶然聴いたホームレスの30秒ほどの歌を録音して、それが延々と繰り返される。音程のあやうい歌が、だんだんバックのオーケストラに添われて、音楽となり、小さな歓びが街全体を人生を包み込んでいく、そんな小さく、巨大な曲だ。

 「never failed me yet, never failed me yet,……」と私も口ずさみながら朝食を準備し、食べ終えて、外に出てタバコを吸うと、わたしんちの車の前でアパートのオーナーが何やら怒った口調で、おたくの車がスペースからはみ出て隣に車が止められないと、「天気もいいんだし、外出て見てみるといいよ!」と電話で誰かに言っていた。オーナーが帰った後、並んだ車をさっと見てみるが、特にはみ出てる車がなかったので、電話していたのは誰なのだろうと思っていたら、家から母が出てきて、話し相手は母だったようだ。「全然出てないじゃん」と文句をいいながら駐車しなおした。家に入ると、仲介者の不動産屋に「オーナーと喧嘩したら居心地悪くなっちゃうから、従いましたけど納得いかなかったです!今度から写メ送ってほしいです!」と言っていた。仲介する人は、話を聞きながら、当の本人に向けられるはずの怒りのエネルギーも受けて大変だ、と思いながら、歌を口ずさむ気分ではなくなっていた。

 近所の図書館に行く。二階から森山直太朗の「さくら」のリコーダーによる合奏が聴こえてきた。入り口の前でパンを売るワゴン車が止まっていた。図書館内をぐるっと背表紙を眺め回しても、ドストライクする本がなかったので、閲覧室の机でスマホをいじっていると、最近本屋に行って気になっていたクラリッセ・リスペクトルという人の小説がいろいろと繋がって、「読むべきはこれか」と、近隣の図書館の蔵書状況を見ると、公民館に一冊置いてあるとのことで、結局駅前の公民館に向かい、借りて、半地下で読んでいると、「まさにこれ」で、装丁も美しく、ぜひ家の本棚に持っておきたくなった。横断歩道を待っている途中「never failed me yet……」とくちずさんでいた。蝶を見かけ、何度か散った桜の花弁をモンシロチョウかと思った。

 午後の3時に家に戻り、ほうれん草のカレーを食べた後、残りを読む。書きたい力が湧いてきて、その前に外へタバコを吸いに行くと、グラサンをかけ、黒いベンツを停めたオーナーとまた鉢合わせた。オーナーは今度はお辞儀せず、隣の貸し倉庫があるスペースの方へ歩いていった。

 それから、何時間か、書くのに集中するというか、書かないと落ち着かなく、書いているものに引きづられるようにして書いて、夜に妹が買ってきてくれたマックのポテナゲと昨日の残りのチリコンカンを食べ、妹は渡辺直美がレディーガガと喋っている動画を見ながら食べ、私は部屋に戻り、また日を跨ぐまで引きづられるようにして書いていた日でした。

 

 

4月18日

 

 怖い夢を見て起きた。最近2日おきにパジャマが寝汗でびっしょり濡れて起きる。シャワーを浴びることもあれば、二度寝することもあり、今日は二度寝する方だった。起きた時に空っぽになった体に詰めこむもので、午前の気分はそれで決まったりする。「Jesus' blood never failed me yet」を聴きながら起きる。頭がぼーっとする。約束の時間まで書きものをしていて、時間までにどうにか仕上げたかったけど、終わらず、速攻で豚肉を味噌で炒めた。味見したらおいしかったので、食べてから行こうと過ったけれど、もう出なきゃいけない時間になっている。

 鷹の台に自転車を停める。乗った電車は西武拝島線で、武蔵砂川と「かなり西」のアナウンスが入った時、逆を行っているのではないかと思って、ホームを乗り換える時、前を歩いていた高校生の二人組のリュックにつけてある大量のキャラクターの布製のパッチが混ざり合って、そのまま二人の好きなものが混ざり合っている様をみんなに見せているみたいだった。まだ自分の好きなものがなかったころ。好きなものを1つ見つけ、2つ見つけして、好きなものが一緒の二人が出会い、(二人で)3つ目を見つけ、かぶらないパッチは二人並んだリュックの星団の隅に位置していて、それが二人それぞれの部屋のように見えた。乗り換えて、西武柳沢に着く。初めて降りる駅は、四角い店同士の区切り方と看板の感じが、昭和のドラマのセットみたいでもっと早く来て散歩でもしたかったと思う。

 Nさんが同居人とやっているバーに着いて、隣に座った人は即興演劇を教えたりしていると言っていて、買い出しに行く時に板チョコを頼んだ。ぼくが公園が好きですというと、後ろに座っていたIさんが品川にある林試の森公園という雷で倒れた巨木が朽ちていく様を展示していたり、いろいろな植物の調査の目的で植えられている、そんな公園があると教えてもらって、行きたいと思った。壁にウルトラマンセブンのお面がかけられていた。

 店がお開きになって、Nさんと同居人のMさんが住んでいる家に向かう途中、Iさんは3回も立ちションをした。NさんとMさんとMさんの友達の三人はタクシーで向かい、ぼくとIさんとKさんは歩きで向かった。Iさんは大阪の繁華街の真ん中で立ちションをしていたおっさんの自由さに撃たれて、真似するようになったと言う。立ちションするたびに「木の栄養になる、環境を乱す外来種にはかけないようにしてる」と言っていたのを、Kさんは「アンモニアとか含まれてるだろ」とツッコんでいた。「こんなにオシッコをしてしまうのは、なぜだと思いますか?いっぱい飲んだからです」と言うと、「そりゃあ…そうだろうなあ」とKさんは言った。「そうですけど、アルコールを出さなきゃって体はおもうから」

出身が奈良だという話になって、ぼくがお寺とか見て回りたいというと、Kさんは子供の頃、ガチャポンの観音像を集めていて、コンプしたと言った。シークレットは広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像だった。天理教の学校に入っていた時、歌わされた歌をIさんは途切れ途切れに歌っていた。天理教はいま、西日本にある天理教の土地を○型にするために買いためているらしい。浅草寺飛鳥時代から改築を重ねて建っている。

 団地を抜けて曲がると、夜中の車の少ない国道沿いを久しぶりに歩いたと想う。くるまやラーメンという赤いネオンだけが目立って灯っていた。

 ぼくが浪人の時にお酒を飲んで川に入ってから飲みすぎなくなったし、酔いで得る快楽より飲みすぎで頭が痛くなったり、何もできなくなったり辛い方が勝つからあまり飲まないと言うと、いっぺいさんは、でもお酒での失敗の話はネタになるからなあと言った。

 Iさんは「お酒は免罪符になるんです」と話し始めて、大学の時にベロベロに酔っ払って、服も汚れたままの状態で吹上御所に寝ていると警察官に「ダメだよ、こんなところに寝てちゃ」と見つかり、「酔っ払いじゃなかったら逮捕されていました」と言った。

 玉川上水を横切る。石碑が立っていて、浄水器のようなものが取り付けられていた。

 Iさんはアメリカ企業がイスラエル軍に資金援助をしていることを知って、スタバは元々行ってなかったが、Amazonの利用をやめるまでNさんと会うまでは思いいたらず、今はほしい物リストで気になった本をつけておいて、本屋で買うようにしているという。マックも買わないので、コーラとハンバーガーを手作りして食べたそうだ。