「先発は完投してナンボや」 “永遠のライバル”村山実氏との確執説は一蹴 元阪神担当記者が小山さん追悼
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足しげく通った兵庫・須磨で釣った魚をアテに、焼酎をロックで飲む。タテジマのユニホームを脱いで以降の晩年、西宮北口の小料理店『いし山』のカウンター右隅の定席で過ごすこの時間が、特に好きだった。
先に飲んでいる小山氏の大きな背中に向かって「こんちわ!!」と声をかけると、決まって「道順忘れたんか?」といたずらっぽく笑ってみせた。月に一、二度“ご機嫌伺い”で顔を出し、左隣りに座って一緒にテレビで阪神戦を見た。自分にとっては至福の時で、氏が歩んできた歴史をナマで聞くことができたのは最高の財産になった。
テレビをジッと見つめて出てきた言葉は、古巣への愛憎入り交じった言葉の数々。特に、年の離れた後輩となる投手陣へは口を酸っぱくして『制球力』と『持久力』を力説した。「先発投手は完投してナンボや」。プロ通算320勝の極意が一言一言ににじみ出た。
強烈に脳裏に残っているのは、ロッテ・佐々木朗希(現ドジャース)が2試合連続完全試合を目前にした九回に交代したシーンを見て、氏が激高したこと。
「あんなバカなことがあるか!!この先、二度とチャンスがあるかわからんのやで。プロのピッチャーは稼げる時には稼がなあかんのや!」
昔気質の考え方ではない。まさに「プロフェッショナルな野球人」としての気概を見た。残念ながら、氏の現役時代は知らない。吉田政権下の1998年、阪神1軍投手コーチ時代に虎番キャップとして取材をして以来の付き合いだが、以後、年齢を重ねるたび野球界、そしてタイガースへの思いが強くなっていったように感じる。
紙面の企画で、“永遠のライバル”村山実氏との関係を真面目に聞いたことがあった。この時、巷間(こうかん)言われていた不仲説は一蹴。現役時代、村山氏本人に「マスコミが言っていることは気にするな」と直接話したという。虚構の不仲説がいつしか一人歩きし、関係がぎくしゃくしたことは事実でも、年下のライバル、盟友を思う気持ちが根底あったのは間違いない。
ある日、フッと『いし山』から姿が消えた。主を失くしたカウンター右端の定席は、空いたままだ。阪神球団創設90年という節目の年に、吉田義男さんに次いで小山さんまで…悲しくはない。ただただ、寂しい。もっと話を聞きたかった。聞かせてほしかった。道順、忘れていません…。(中村正直=デイリースポーツ・クオリティ取締役、1997〜99年阪神担当キャップ)