「状況はあんまし理解出来てねえけどよ、とりあえず目の前の敵をぶっ飛ばしゃ解決だろ? ジョーカー!」
芳澤さんのペルソナによる攻撃を凌いだドクロ仮面の姿の坂本君が、背後に立つ蓮に向かって威勢良く問いかける。
「ヨシザワのペルソナが暴走してる……? それに触手の向こうにいるのは!?」
そして蓮の足下に立つ二足歩行の猫のような生き物、それが目を丸くして僕の方を見ていた。渋谷でも見た記憶がぼんやりとあるけれど、喋れたのか、彼。
「君達は……!?」
そんな彼らの姿を見て驚愕の声を上げるのは丸喜先生。それが原因かは分からないけれど、僕の行く手を阻んでいた触手の動きが鈍り、なんとかその隙間を縫って僕は丸喜先生の隣まで辿り着くことに成功した。その勢いのまま、彼の肩に手を置いて僕の方へと振り向かせる。
「丸喜先生、芳澤さんを解放してください。彼女は自分の意志で蓮に勝負を挑み、敗北を受け入れたんです。その選択は、他人が勝手にねじ曲げて良いものじゃない」
「っ……! だが君も聞いただろう、彼女の本当の願いを!」
僕の言葉に、丸喜先生は彼にしては珍しく語気を荒くして答えた。穏やかで、常に人に寄り添い続けようとする今までの彼からは少し想像がつかないその姿に、僕は思わず開きかけた口を閉じてしまった。
その間にも、蓮達と芳澤さんのペルソナの戦いは続く。しかし、今度は心強い援軍のお陰か、蓮達怪盗団が終始相手を翻弄しているようだった。それに加え、芳澤さんのペルソナも少し動きが鈍くなっているように見える。その様子に僕は違和感を覚える。芳澤さん本人は今意識を失っている。なら、あのペルソナは一体誰が操っているんだろう?
「すまないが今は君に構っている暇は無いんだ!」
丸喜先生の言葉と共に、蓮達から放たれた攻撃が芳澤さんのペルソナに直撃する。
「くっ……!」
それに苦悶の声を上げたのは、芳澤さんではなく丸喜先生だった。丸喜先生は最初に芳澤さんを触手で捕らえた。そして触手に捕らえられた芳澤さんはその後、痛みを訴えるような悲鳴と共に意識を失い、彼女のペルソナの見た目が変貌した。
「丸喜先生、蓮の仲間が芳澤さんのペルソナは暴走していると言いました。なら、暴走しているはずの存在がどうして僕達だけは襲わないんですか?」
「っ!?」
僕が感じた違和感をそのまま口にすれば、丸喜先生の顔が目を見開く。その反応に、少なくとも僕の考えは全くの的外れというわけではなさそうだと思えた。丸喜先生の肩を掴む手に力が籠る。
「ダメです、丸喜先生。芳澤さんはあなたの武器なんかじゃない」
「だが、彼女が心の底に押し込めた願いに違いは無いんだ」
「それでも、彼女が自分の意志でそれを押し込めたのなら、無理矢理にでもそれを暴くべきじゃない」
「それじゃあ彼女が傷つき続けるだけだ!」
その言葉と共に、僕の身体にも触手が幾重にも巻き付いて丸喜先生から僕を引き剥がそうとする。僕も芳澤さんのように両手足を拘束され、丸喜先生から遠ざけられる。僕の手が離れたのを見て丸喜先生は蓮達の方へと再び意識を集中させようとするが、その前に芳澤さんのペルソナを巻き込んだ大きな爆発が起こる。
「よそ見してるなんて随分余裕ですね。叩き潰せ、テュポーン!」
その爆発の主は明智君。丸喜先生に話しかけていながら、その視線は拘束された僕の方へと向いていた。口の端を片方だけ吊り上げる凶暴な笑みは、明智君が内心に秘めているであろう怒りを強烈に表現していた。僕に向けられているわけではないと分かっていても背筋がゾクリとしてしまうほど。
「合わせろ、ジョーカー」
「言われなくとも」
そして強烈な攻撃を加えた勢いそのまま、蓮と明智君の息が合ったコンビネーションが浴びせられ、芳澤さんのペルソナは力無く倒れながらその形を崩れさせてしまった。それと共に、彼女と僕を拘束していた触手も溶けるように消える。黒いスーツ姿から赤いコートを羽織った私服姿に戻った芳澤さんが、地面に倒れそうになる直前で、蓮が彼女を抱き留めた。その二人を囲うように、怪盗団の他のメンバーが前に出てくる。
「まさか、君達まで幸せを捨ててくるなんて……」
その姿を見て信じられないと呟く丸喜先生。彼の中では、皆が丸喜先生の世界で幸せを手にしていた。
「丸喜先生、ですよね……? それと、副会長も?」
僕と丸喜先生を交互に見ながら、半信半疑に口にする高巻さん。高巻さんだけじゃない。坂本君も、喜多川君も、真も、双葉さんも、奥村さんも同じ表情をしていた。
「そうだよ。君達はどうしてここに……」
「いや、それはこっちのセリフっつーか……。どうして丸喜先生とセンパイがここにいんだよ?」
「彼がパレスの主だからに決まってるだろ。この歪んだ現実を創り上げ、君達に幸せを押し付けたんだよ。徹はそれに巻き込まれただけだ」
坂本君だけじゃなく、他の皆にも説明するように明智君が言う。
「巻き込まれた……?」
明智君の言葉に引っ掛かりを覚えた真が、そう呟きながら僕の方へと窺うような視線を投げ掛けてくる。多分、真が疑問に思っていることは僕も分かっているのだけど、それをどう上手く説明したものだろうか。
「僕は丸喜先生の創る現実にはいられなかったみたいだからね。こうしてここに避難していたんだよ」
「避難、ね」
僕の説明を聞いた明智君は、しかし疑わしげな視線を変わらず僕に突き刺す。僕は何も自分から悪いことはしていないはずなのに、どうしてこう言い訳がましいことをしているんだろうと思わされるような視線だ。実際、事情を知っている明智君からすれば僕の説明は確かに言い訳がましいものであることは間違い無いのだけど。
「僕は君達の望みを叶えたかった。そして、幸せな現実を生きて欲しかったんだ。なのに、君達はどうしてそれを捨ててここに来てしまったんだい」
丸喜先生が怪盗団の皆にそう問いかける。蓮と明智君以外は、彼の言葉に何かを考え込むように俯く。そこに丸喜先生が更に一人一人に向けて言葉を重ねていく。
「幸せって、誰がそんなこと頼んだって……」
「君自身が心の底で望んでいたんだよ、坂本くん。陸上を諦めずに済む世界を。この世界は、君にとって幸せなものじゃなかったかい?」
「……確かにそうなったら良いってのは何回も考えた。けどよ、それを認めちまったら、俺はもう自分自身に胸を張れねえ。ずっと背中を丸めたまんま生きてくことになるって思ったんすよ」
そう丸喜先生に言い返した坂本君は、普段の猫背気味だった姿勢がピンと真っ直ぐに伸びていて、いつもよりも大きく見えた。
「幸せか。見た目だけは整えた虚飾を、俺の目は本当の幸せだとは認めなかった」
「君が敬愛する師と仲違いすることなく、母親の絵が正しく評価される世界だったはずだよ、喜多川くん」
「斑目こそ、この世界を虚飾に満ちたものだと見抜いていた。奴はクズだったかもしれんが、最後は芸術家として道を示した。ならば俺が、……弟子が曇った目のままではいられんだろう。斑目が目指した頂を、俺が引き継がなくてはな」
喜多川君の言葉が、丸喜先生の問い掛けを真っ向から打ち砕いた。
「認知訶学は、誰かを助けるものだってお母さんは言ってたんだ」
「そうだよ、佐倉さん。だから、僕は君を助けようと、幸せにしようと思ったんだ」
「でも、死んだ人間は生き返らない。どんなに科学が進歩しても、認知訶学が凄くても、それをねじ曲げるのはダメだってお母さんなら言う!」
そう言った双葉さんの目には薄すらと涙が浮かんでいたが、それでも丸喜先生の言葉を受け入れることは無かった。
「もう良いでしょう。あなたの理想は、ただの自己満足でしかなかった。それを受け入れられるほど、人は案外弱くないってことなんですよ」
「…………君はこのままじゃ一生自由に生きていくことが出来ないかもしれないんだよ? だけど僕なら、君が囚われる可能性から解放してあげられるんだ、明智くん」
「ハッ、まっぴらゴメンだね。そんなことをしたら、あの男にどれだけ馬鹿にされるか。そんなのは俺のプライドが許さない。それに、俺にとって何より大事な
明智君はそう言うと、手に持った銃を丸喜先生に突き付ける。それは彼に対する明確な反逆の意志。
「……君達に僕の創る現実を否定する意思があることは分かった。戦うのであれば、それに応じる。僕の改心を狙うのならそれも良い」
でも、と丸喜先生は続けた。まだ交渉の余地はあるはずだと。その視線は、今度は僕に注がれる。
「君達が僕の現実を否定する理由は、海藤くんに依るところが大きいだろう」
丸喜先生に促され、僕は彼の隣に立つ。
「徹を解放するつもりは?」
確認するように明智君が問えば、丸喜先生は頷く。
「元より、彼を捕まえているつもりなんて無かったんだ。君達の強固な認知があれば、海藤くんが消えてしまうこともない」
その上で、また君達の答えを聞かせてもらうつもりだ。そう言った丸喜先生の表情は、先程までの戦いで見せていたものとは打って変わって感情の読めない、能面のようなものだった。
「君達が今一度、彼と一緒に世界を見た上でまだ僕の現実を否定するのなら、戦うしかない」
「逃げるんですか?」
「意識を失った芳澤さんを庇いながら戦うつもりなら、それでも構わないよ」
明智君の挑発を受けても、丸喜先生の表情は小揺るぎもしなかった。感情を失ってしまった機械のようなその顔に、それ以上の挑発は無駄だと悟った明智君は舌打ちをして黙り込んだ。
丸喜先生は、彼らから視線を外すと僕の方へと顔を向ける。
「海藤くん。君が僕の世界をその信念から受け入れられないように、僕も僕の信念からこの世界を諦めるわけにはいかないんだ。君がペルソナを求めなかった以上、もう君が僕の前に立つ意味は無い。ここからは、どちらのエゴを通すべきか、戦いで決めるしかないんだ」
その言葉は丸喜先生からの明確な拒絶。僕と丸喜先生が歩み寄ることが出来る余地が無くなったことを示す言葉だった。どうあっても、丸喜先生は彼の理想を諦めることは無い。なら、僕に出来ることはもう無いのだろうか。特別な力を持たない僕では丸喜先生に言葉を届かせることは出来ないのだろうか。
「いいえ、意味ならあります」
「え?」
そんな訳がない。それで諦めるようなら、僕は今までもっと早く諦めていただろうから。
「丸喜先生が誰からも認知されなくなってしまう世界。誰もが幸せになる世界なのだとしても、僕はあなたを諦めたりしません。あなたが自分を許せないとしても、僕はあなたとまだ話がしたい」
「君は……」
僕の言葉に、丸喜先生がその顔に驚きの感情を滲ませる。彼が芳澤さんに何を言いかけて止めたのか。どうして芳澤さんの力を利用することさえしてしまうのか、その根底にある彼の感情は一体何なのかを、僕は最も間近で見てきたはずだ。
「誰かに幸せを押し付けることはあなたの怒りや後悔の代償行為じゃない」
彼の目に時折混じるのは強い怒りや後悔の色。それが誰に向けられているのかを推測することは、そう難しくはなかった。丸喜先生の理想の世界が、彼の怒りや後悔を糧に生まれているのだとして、それが故に彼が苦しみ続けるのなら、それは僕にとって許容し難いことだった。
「丸喜先生がこの世界を諦めないとしても、僕は丸喜先生を諦めません。怪盗団じゃないですけど、予告します。僕はまた戻ってきますよ、あなたを連れ戻すために。あなたとまだ話したいことが、教わりたいことが沢山あるんです」
「……良いだろう。君が来るときは、力のぶつけ合いじゃない、言葉で戦うことを誓うよ」