私と「量子論を解釈するということ」
はじめに
いつもながらですが,本記事を読む前に念のため,"最初に と "改訂履歴","私と「インターネットの付き合い」" には目を通してください.
「量子力学の解釈」問題と私
結論から書くとこんな感じです.
私はかつて「コペンハーゲン解釈派」,より詳細に言えば「フォン・ノイマン=ウィグナー解釈」を支持していました.この解釈は「意識が波動関数を収縮する」としています.
(再度述べますが,私は「波動関数の収縮」という表現が嫌いで「量子状態の確定」としたいとずっと言っています.)
しかし,どう考えても「意識」の導入が Ad Hoc であること,「意識とはどういうもので,誰が持つものか」にうまく答えられそうもなかったので,本解釈を支持することをやめました.2019年前後のことでした.これには私的な経緯がいろいろあったのですが,詳細は省きます.
代わって支持することに決めたのは,「Operational axioms for quantum mechanics」(2006) です.適当な日本語訳がないのですが,強いて言えば「操作主義的量子論」でしょうか.「量子力学を構成する最小の公理のセットはなにか?」を追求するという数学的な姿勢です.
量子論にはさまざまな解釈が出てくることについては,森田紘平氏の書籍の読後感に関連してすでに述べましたが,「操作主義的量子論」では「解釈すること」を放棄しています.放棄,というとネガティブに聞こえますが,量子力学をよりうまく整備していく中でより深く理解していこうという試みです.数学的にうまくできている以上,解釈のバリエーションを持ち出す必要はなく,そのような意味で「量子論の解釈問題はなかった」とも言えます.
ただし私自身は解釈することを放棄したわけではなく,相変わらず興味を持っています.過去には森田紘平氏とのやりとりのなかで「解釈することにメリットがないわけではない,そこからインスパイアされることもある (ドイチュの多世界解釈からの量子計算機のインスピレーション)」ですとか,解釈することにより新しい思考実験を経て新しい物理学の概念に到着する可能性があること,などをご指摘いただきました.そういえば EPR 対 (エンタングルメント) もそうですね.
「操作主義的量子論」と私
「操作主義的量子論」は,コペンハーゲン解釈などが主流だった 1900 年代初頭から中期のあと,2000 年の初頭に現れ,代表的には G. Chiribella, G. M. D'Ariano, P. Perinotti らが主導してきました.私は浅学なため,彼らが創始者かはしりませんが,書籍としては「An axiomatic basis for quantum mechanics: Volume 1 derivation of Hilbert space structure (2012)」などがありますので興味があればご一読ください.
さて,「操作主義的量子論」は,ただ「数学的に整備することを目指し解釈を放棄した」という側面だけが魅力的なわけでは有りません.数学的に記述し,「我々が知っている量子力学」が破ってはならない「公理」を決めることで「この公理が破れたなら量子論は誤っているに違いない」と判断できることです.これは「現時点での」量子論を解釈することとは大きく異なります.なぜなら「解釈すること」とは,数学的に等価なものを「どういう意味か」と探ることで,大きな前進に面することがあまりなさそうだからです.
例えば,量子論では「パウリの排他律」が非常に有名ですが,このルールはざっくりと言えば「電子を代表とするフェルミオンが同じ状態に2つ以上入ることを許可しない」というもので,量子論における基礎的な法則のひとつです.これが「本当に正しいのか?」と地道に研究している研究チームがいます.重力波検出でさえ「生きているうちに可能になるか?」と思いながら研究を続けていたチームがあったのに,このような「人類が存在している間に検証できるのか?」とでも思えるような基礎研究プロジェクトに資金を提供できる国々には驚嘆しますし,何より「本当に実行してしまおう」と挑むチームの方々には敬意を払います.
話を「操作主義的量子論」にもどすと,数学的にはっきりとしている命題を「正しいか誤りか」を論じるほうが,「正しいかどうか検証する方法すら不明な量子論の諸解釈」を検証するよう論説を戦わせるより,量子論について理解を深めるためのより良い方向に思えてならないというのが現時点での私の感想です.
「操作主義的量子論」は何を生み出したか
結論から言うと,「操作主義的量子論」の立役者らの G. Chiribella, G. M. D'Ariano, P. Perinotti らは「ストリング図」で量子論を描くという手法を生み出しました.少なくとも G. M. D'Ariano の2006年の論文には,ストリング図らしいものが出てきます.ストリング図については中平健治先生の「図式と操作的確率論による量子論」などを参考にしてください.
ストリング図は今では量子計算や量子回路の研究で使われはじめてきています.こう考えると「操作主義的量子論」は少なくとも空論ではなく,きちんと実のある道具と思想を生み出したと言えます.
注: 中平先生からコメントをいただきました.(2025-04-21)
"個人的には,B. Coecke が初めて「ストリング図」で量子論を描いたであろうと認識しています。
[参考1] https://arxiv.org/abs/quant-ph/0402014
[参考2] https://arxiv.org/abs/quant-ph/0510032
ほぼ同時期に,L. H. Kauffman も類似のストリング図を導入しているようです。
[参考3] https://arxiv.org/abs/quant-ph/0407224 "
Coecke はこの鈍器を書いた人物です.( 圏論的量子力学入門, 2021 )
最後に
前回の記事では,森田紘平氏の書籍に沿って量子論の諸解釈について概説させていただきました.コペンハーゲン解釈についても触れました.
かつて私はコペンハーゲン解釈派でしたが,前述した通り「意識とはなにで,誰が持つのか」(つまり「観測者とは誰か?」) の定義が明白ではないと感じましたので,2019年前後にいくつかの議論を交わしたあとにコペンハーゲン解釈派でなくなりました.
代わって今では,上記の「操作主義的量子論」を支持しており,「解釈しなくても量子論は数学的に閉じているのだから,そのような意味で "解釈問題を考える必要はない"」というスタンスをとることにしました.
「操作主義的量子論」の特徴は「我々が知っている量子力学」が破ってはならない「公理」を決めることで「この公理が (実験的に) 破れたなら量子論は誤っているに違いない」と判断できることです.
ある意味「黙って計算しろ」(1989年, N. D. Mermin ) の時代に戻ったとも言えます.


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