〔PHOTO〕Gettyimages

『モヤモヤする正義』のなかでは、ウォルドロンが指摘するような、討論の「コスト」という問題は十分に扱えなかった。遺憾ながら、執筆を進めていたときには、私は日本国内におけるヘイト・スピーチや差別の問題についてまだ楽観的だったのだ。

だが、書き進めている間にも、そして書き終わり刊行した後にも、ネットの内外を問わず私の目に映る日本の「言論」の状況は、みるみるうちに悪化している。2000年代に比べると大人しくなったと思われていた、移民や外国人に関する排外主義的な言説が息を取り戻し、そのなかでも在日クルド人を標的にした言説は特定の新聞やジャーナリストの扇動によって急増させられた。

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『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』(アビゲイル・シュライアー、2024年)の出版と、同著をめぐる複数の出版社の醜悪な宣伝手法は、日本でもトランスジェンダー差別を商売のタネにできてしまう現実を突きつけた。ネット上のインフルエンサーの間では、女性を攻撃して侮辱する言説を定期的な収入源にする方法がすっかり定着してしまった。そして、海の向こうのアメリカで起こっている事態は、これらの差別に加担し肯定する日本の輩をも元気づけてしまっている。

ことここに至ると、社会で起こっている問題から目を逸らしながら「言論の自由」を擁護し続けること自体が欺瞞的であり、有害なものになってしまう。ひとまず現在の私に言えるのは、世の中には「自由」以外にも価値のある物事があり……人権や尊厳、平等や公正、共感や思いやりなど……言論や表現の自由を守りたいと本気で考えている人ほど、自由以外の物事の価値も認めて、それらを同時に守ろうとすべきだということである。月並みだが、まずは「私は差別に反対する」と、堂々と主張することから始める必要があるだろう。

 

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