2年にわたって連載してきた本欄も、私の担当は今月で最終回となる。ウクライナにロシア軍が侵攻し、世界情勢も一気に流動化した今、来月から政治外交史を専門とする井上寿一学習院大教授がご登板とは心強い限りだ。
300万人超の国外避難民を生んでいる「戦争」がウクライナで続くなか、北京パラリンピックは閉幕した。1930年代の外交と軍事が専門の筆者にとって、スキー競技会場だった張家口(河北省北西部の都市)の名は、ある種の感慨を呼び覚まさずにおかない。
この地は、50年代後半から80年代までの中国にとって、ソ連の侵攻に備えて北京を防衛する最前線だった。さらに30年代までさかのぼれば、かいらい国家・満州国建国後の日本にとっては、予想される対ソ戦劈頭(へきとう)で機械化部隊を北上させる拠点だった。真に重要な軍事的要衝は、国家の主権が変わっても、変わらないものとみえる。
この記事は有料記事です。
残り1563文字(全文1943文字)
全ての有料記事が読み放題
【時系列で見る】
あわせて読みたい
Recommended by