その少し前、自分の合格祝いにと祖母に連れられて食事をしたふぐ料理屋での短い会話を最後に、いとこはいなくなってしまった。
限定的な情報を結びつけて断定する不誠実さは百も承知だが、何かと比較されてきた(親にその自覚はないと思われるが)一つ上のいとこの出来事であるというのが、自分でも驚くほどに判断を難しくしている。
実際のところ、自分には関係がない彼女の地獄の話なのだと思う。身の回りで起きたことだからといってすべてが自分に関係すると思うのは傲慢というものだろう。
しかし叔母からあなたのせいではないと言われても、伝えられた状況からは自分にまったく無関係とは思えないのも事実だ。今にして思えば、この時点で退路は絶たれていたのだった。
通夜と葬儀では終始居心地が悪かった。居心地の良い葬式があれば教えてほしいものだが、そういうことではない。もしかして、という疑念が拭えなかった。今にして思えば短絡的な思考なのだが、この時の疑いは時間が経った今でも消えないままだ。
いまはこれ以上これについて考えるのはやめておこうと思う。