人生は楽しむためにある。
社会不適合者という言葉もあるが、年間何万人も自殺者を生み、精神疾患は何百万人、国民全員が酷い肩こりや腰痛に悩み、正月ともなれば神社仏閣に参拝し、自分や身内のみの繁栄と安全を祈る自己中心的な視野を持つ人々の集団、利益団体や利権にベッタリの政府、狭い自宅ではまともにセックスもできないと、既婚者で繁盛する巨大なラブホテル産業を持つ国、大衆の怒りを結集できない旧態依然の万年野党群、こんな社会に適合したら、頭がおかしくならない方がおかしいと思う。
社会不適合で何が悪い。適合よりも開墾だ。ペレストロイカ(改革)だ。国ではなく自分。他者ではなく自分。自分が変わればすべてが変わる。余計なお世話はもう要らない。反面教師はどっか行け。俺たちに必要なものはストレートティーチャー。真っ直ぐに「この人の生き方はかっこいい」と思える人間の存在。この国では、楽しく生きていると迫害される。伝統的に、人生を謳歌すると村八分に遭う。大衆の情に訴えると「君は頑張っているね」と認められるが、私は人生を大いにエンジョイしていますと宣言すると「けしからん」と糾弾される。苦しみながら生きているとまともで、楽しみながら生きていると狂人扱いされる。
この国で受け入れられるためには、涙を流し、自分を卑下し、やりたいからやるのではなく「させていただいております」と奴隷みたいなことを言い、言うことを聞く奴隷になることを好まれる。芸能人の謝罪会見は「反省しています」の一辺倒で、少しでも言い返したら社会的に抹殺。死ぬほど反省しなければ許さない自殺推奨国ジャパン。フランスの元首相には隠し子がいたが、問い質されても「それが?」とまったく平気。俺に隠し子がいることとお前の人生に何の関係がある。フランスには、大統領に愛人がいるのは当たり前で、それを騒ぎ立てることは野暮という伝統がある。日本の伝統は野暮で、フランスの伝統は小粋だ。
人生はエンジョイするためにある。英語の表現に「意志のあるところ道は開ける」というものがある。人生をエンジョイするために必要なものは、金よりも意志。意志がなければ、反射で終わる。周囲の意見に流されて、ネガティブ好きな日本の伝統に毒され、液化する。ネガティブな人間は、存在しているだけでネガティブな毒を撒き散らす液体爆弾になる。この国は「情に訴える」ことが一定のインパクトを持ち続けているために、周囲の人間は罪悪感を刺激されることで弱者に支配される。子を心配する親。親を心配する子。妻を心配する夫。夫を心配する妻。心配し合って、殺し合う。自立を阻害し、阻害することを愛と言う。
自分のことだけ考える。お前は絶対可愛くなる。情は愛についたゴミである。死にたいと言う人は「あ、そう」で聞き流す。冷血になると言う訳ではない。生きたい人と生きる。死にたい人は、死にたいのだ。死にたいと言っちゃったけど本当は生きたくてたまらないから助けて欲しいと、本人が意志を発動させたら、その段階で相手になる。不細工な人は、不細工なまま生きたいのだ。その意志を尊重する。意志なき液化はガキの甘えだ。楽しむと決める。一日に何回も「人生は楽しむためにある」と、自分の意志を確認する。自分のことだけ考える。人としてとか言う人間は卑怯だ。人としてではなく、人間として生きる。お前は絶対可愛くなる。可愛くなりたいなら力を貸す。楽しく生きたいなら力を貸す。情に訴えるな。情を突破しろ。英雄を求めるな。お前が英雄になれ。
おおまかな予定
4月28日(月)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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