広島県呉市の大和ミュージアム20年 1700万人来館 反響呼んだ実物主義 来年4月に大型リニューアル
呉市宝町の大和ミュージアム(休館中)が開館から20年を迎えた。戦艦大和の10分の1模型を展示の柱に23万点を超す資料を収蔵。計約1700万人が来館し、市の観光集客をけん引してきた。関係者は、日本近代化の礎となったものづくりの歴史や、戦争の記憶を発信する意義を強調。来年4月のリニューアル後の展示の充実を願う。 【画像】実物の展示を充実させるリニューアル後のイメージ図 市が20年以上の構想・準備期間と約65億円をかけて整備し、2005年4月23日に開館した。計画を進めた小笠原臣也元市長(90)は「呉の歴史は明治以降の近代化の歩みそのもの。大和という象徴的な存在を通じて風化する戦争体験を継承し、教訓とする教育的な意義も大きい」と語る。 重視したのが映像や二次資料ではない実物だ。空襲での焼失や終戦時の焼却処分で旧海軍の資料探しは難航したが、旧海軍技術少佐で艦艇研究家の故福井静夫氏や、実業家の故新藤源吾氏の膨大なコレクションを入手。最高機密だった大和の写真や艦艇の図面、零式艦上戦闘機といった実物資料が充実した。 呉海軍工廠(こうしょう)を研究し同館の設立準備にも関わった広島国際大客員教授の千田武志さん(78)は「呉工廠は造船や製鋼の高い技術力の一方で、特攻兵器『回天』も研究開発していた。戦争の悲惨な状況もありのままに見せるバランスがとれた展示を目指した」と振り返る。 反響は大きく、来館者は当初想定した年間20万人を大きく上回り、初年度は160万人を超えた。その後も、西日本豪雨や新型コロナウイルス禍の期間を除いて年間90万人前後が訪れた。 街にも波及効果をもたらした。居酒屋利根本店(本町)の内野静香社長(52)は「重厚長大な産業が柱で観光とは縁遠かった呉の知名度が飛躍的に上がった。観光客を迎え、街の魅力を市民が再発見したことでシビックプライドの醸成にもつながった」と言う。ただ、「今後は周辺部に足を延ばしてもらう工夫も欠かせない」と指摘する。
中国新聞社