おとなの週末
広島銘菓「紅葉まんじゅう」に実は“幻の型”があった 宮島の老舗旅館が発祥、今や誰もが知る人気和菓子になった背景に迫る
広島を代表する銘菓、「もみじ饅頭」。明治後期に誕生して以来、100年以上の歴史を誇るその菓子は、これまでさまざまな種類の商品が開発されてきた。今でこそ知らない人はいないほどメジャーな菓子だが、もともとこのユニークな形の饅頭が生まれたのは、宮島の旅館の若女将のアイデアからだった。今回は天皇家や数々の著名人も宿泊していたというその老舗宿に、当時のエピソードを聞きにおじゃましてきた。
広島を代表する銘菓「紅葉まんじゅう」。明治後期に誕生して以来、100年以上の歴史を誇るその菓子は、これまでさまざまな種類の商品が開発されてきた。今でこそ知らない人はいないほどメジャーな菓子だが、もともとこのユニークな形の饅頭が生まれたのは、宮島の旅館の若女将のアイデアからだった。天皇家や数々の著名人も宿泊していたというその老舗宿に、当時のエピソードを聞きにおじゃましてきた。
紅葉谷川沿い、宮島の“カリスマ老舗旅館”
話を伺ったのは、嚴島神社から徒歩5分、地元広島では名前を知らない人はいないほどのカリスマ的な老舗旅館『みやじまの宿 岩惣(いわそう)』だ。政治家の伊藤博文や夏目漱石らの歴史的な著名人から、昭和天皇をはじめ皇族も宿泊したという。紅葉谷川沿いに位置していることから、秋になると色鮮やかな紅葉を望むことができる点が魅力だ。
安政元(1854)年、初代・岩国屋惣兵衛が厳島神社の管絃祭の時期に市の賑わいに着目し、紅葉谷の開拓を許可されて紅葉谷川に橋をかけ、茶屋を設けて憩いの場を作ったのが、この宿のはじまりだった。その後、多くの人々で賑わい、明治初期には旅館として開業したそうだ。
ハイカラな和菓子の誕生、残っていない当時の焼型
特に、伊藤博文が何度も宿泊し訪れていたという。明治39(1906)年頃、提供できる茶菓子といえばそば饅頭か羊羹程度だったが、4代目女将の栄子は、「なにか岩惣でしか味わえない、お茶菓子をお出しできないか?」と、必死に考えたそうだ。
「そんな時に4代目女将である栄子が思いついたのが、広島県の県木、紅葉の形を模した紅葉まんじゅうでした。宿に和菓子を納品していた『高津堂』の和菓子職人、高津常助(つねすけ)さんに依頼し、長崎産のはちみつや国産の卵と牛を使ったカステラ生地の中にこし餡をいれた、モダンな菓子が誕生しました。当初は、カステラ生地と餡をあわせた菓子というのは、大変ハイカラなものだったそうです。今でいうマカロンのような存在ですね」そう話すのは、7代目女将の岩村玉希さんだ。
はじめの焼き型は、葉に7つの切れ込みがはいり、短い葉柄がついていたほか、葉の真ん中に鹿の親子の柄が刻まれていたそうだが、当初の焼き型はもう残っていないという。
商標登録を更新せず、全国に広まる
明治43(1910)年になると、高津さんは「紅葉型焼饅頭」の商標登録を行った。ところが、その後息子さんが店を継がなかったことから、有効期間の20年を過ぎると、商標登録の更新を行わなかったそうだ。これが「紅葉まんじゅう」が全国に広まるきっかけとなった。(『高津堂』は休業を経て、平成21年から営業を再開している)
大正14(1922)年には、現在『みやじまの宿 岩惣』で提供している「紅葉まんじゅう」を製造する『藤い屋』が誕生。同店の「紅葉まんじゅう」は、小麦本来のうま味が感じられるオリジナル製粉の小麦粉と、上品な甘みが感じられる藤色のこし餡を使用しているところが特徴的だ。
その後、宮島の「紅葉まんじゅう専門店」は11軒、お土産販売する店としては10軒、島外含めると25件近くまで増加していった。
漫才ブームが一気に知名度を高める
ただ、この広島名物が全国区の知名度を一気に獲得した背景には、決定的な要因があった。1980年代初頭の漫才ブームとテレビの影響だ。
「もみじ饅頭のブレイクの最大のきっかけは、漫才コンビ、B&Bのネタだったといわれています。紅葉まんじゅうが題材のギャグで一世を風靡し、同時に饅頭の知名度も爆発的に高まりました」と、女将の岩村さん。
B&B(島田洋七、島田洋八)は、ツービートや紳助・竜介、ザ・ぼんちらとともに漫才ブームを牽引した人気漫才コンビ。漫才の最中に、広島市出身の洋七(ようしち)さんが「もみじまんじゅう!」と声を張り上げるギャグは大人気に。ブームにのってテレビ番組に数多く出演したB&Bの影響力は、想像以上に大きかった。
現在『みやじまの宿 岩惣』では、チーズやチョコレート、クリームなど17種類もの「紅葉まんじゅう」を展開している。宮島の島内を歩いてみると、ほかにも多彩なまんじゅうと出合うことができたほか、「紅葉揚げ」や「もみじクロワッサン」など、紅葉をモチーフとした進化系スイーツも続々と登場していた。
ひとりの若女将の熱い思いとアイデアが、こうした広島の銘菓の源泉になったと思うと、何とも感慨深い。100年以上前の心づくしに思いを馳せながら、宮島伝統の味を堪能してみては。
文・写真/中村友美
フード&トラベルライター。東京都生まれ。美術大学を卒業後、出版社で編集者・ディレクターを経験し、現在に至る。15歳からカフェ・喫茶店巡りを始め、食の魅力に取り憑かれて以来、飲食にまつわる人々のストーリーに関心あり。古きよき喫茶店や居酒屋からミシュラン星付きレストランまで幅広く足を運ぶ。休日は毎週末サウナと温泉で1週間の疲れを癒している。