あとこれ、作者が同人や大学漫研出身で、自身もそういう場で育てられてきた、という作家さんなんかは、心情的にも二次創作に理解があったり宥和的だったりするケースはある。
現職商業作家さんでも商業とは別に同人誌出してる人、セルフ二次創作してる人、他の作家さんの作品の同人誌出してる人とかおるしね。
なので、作者に問い合わせると心情的にも「別にいいですよー」と答えてくださる方も少なくはないと思う。
問題は版元なんよ。
商業作品を出版社から出した時点で我々作者は出版契約書を結ぶ訳なんだけど、そこには大抵、「出版物の利用や展開、その権利の管理を出版社に委任する(権利譲渡ではなく、管理権限の委任・委託)」とかそれに類することが書かれている。
これは作者から版元が権利を取り上げてるとかでなく、作者に委託されて作者の権利を守る責任を負う、という体になっている。
つまり、版元は作者(のうちの出版契約を交わした作品について)を不利益から守る義務がある。
ので、作品の取り扱い(二次創作を含む二次的展開など)について出版契約書で特別な取り決めがない限り、版元としては作者の同意のない権利侵害を排除せねばならぬ、ってなる。
過去、何十何百くらいの感じで出版契約書にサインしてきたけど、出版契約書で定義している二次利用は「コミカライズ」「上演」「映像化」「朗読」「グッズ」版元の制御下での「スピンオフ」くらいを想定していて、「版元の制御下にない二次創作同人」の取扱については規定がない。
これを「二次創作の許諾権限は著者にある」と考えるか、「二次創作の排除は版元の義務」と考えるかは意見が割れるところかも。
明文化されてないか、されていても解釈に溝があるとかはありそうな話だし。
ここらへん、白黒はっきりさせたい人は「全出版社で共通化して法令化しろ!」くらいのことを言い出しがちなのだがw、これも「猥褻物の自粛」と同じたぐいの話でな。
総論としては「二次創作してもよいよ」があっても、「商業収益を上げすぎるものは目こぼししたくないな」「エロに使うのはちょっと」「政治的主張・宗教的主張に使わないで」という各論があったとき、「どこまでなら許容でき、どういうものなら許せないのか?」っていう各論を標準化明文化できない。
というより、「例外規定が多くなりすぎて事前にすべてを条文化できない」ってなる。
これは猥褻物表現の詳細が条文化できないのと同じ理屈。
「どこまでならやっていい」は新発想が出てくるたびに改訂していたら、「増え続ける電話帳を全部読み込まないと作品作れなくなる」か、「創作表現は法律が定めた作法・作風から逸脱してはならぬ」になる。
逆に「書かれてないことはやっていい」を野放しにすると法が穴だらけになるから、適用判断は運用者(司法とか)の判断任せ(人治的運用)になる。
「猥褻なものは作ってはならないが、どこからどこまでが猥褻か?」が定義されてないから、摘発されるときはだいたい、
「猥褻物陳列罪に反してるので、逮捕(送検)。でも、該当作品のどの表現、どのコマ、どのシーンがアウトだったか」なついての具体的な指摘はない」
ってなるらしい。
「この本の中のどこかがダメだけとどれがダメかは指摘しない」みたいなん。猥褻関連ではこういう摘発がある度に、
「何がダメだったのか明文化しろ!」と、禁止事項を立法化させようとする勢と、
「業界で自粛するからお上は表現の具体性に踏み込むな!」という表現の自由の独立性を死守しようとする勢が対立してした。
二次創作の是非を著者・版元に判断させようとするってのは、この猥褻関連議論の焼き直しではあるとは思っている。
表現の自由が抱え持つ不都合を、あえて解消しないことで得られる栄養を守るため、作者と版元は今日も「素知らぬふり」「お問い合わせありがとうございました。担当者に伝えておきます」「問い合わせきてるけど、とりあえずほとぼりさめるまで棚上げしとくか」を頑張っています!(`・ω・´)
※個人的な見解です。