「へたの横好き」は大きな勘違い

ところが日本人が持つ「アマ」のイメージは、学問でお金を取れない「へたの横好き」、つまり「しろうと」だと思われている。それは違う。

アマチュアは金を稼げないのではなく、稼ごうとしない愛好家のことであり、純粋に好きでものごとに打ちこむ人のことなのだ。

たとえば野球でも、最初は好きでやるからみんなアマチュアだが、その中から特色ある人がお金が取れる職業選手に変わっていく。学問もまったく同じで、博士号があるかどうかが、その人の知識の正しさを絶対に保証するものではない。

だが、もちろんプロになることは悪いことではない。それになることで、好きなことの探究に時間と労力を注げるなら、それは便利なシステムといえる。

わたしたちがまずめざすのは、知のアマチュアになることであって、もっと自由に楽しく、自分の世界や可能性がどんどん広がっていく「幸福」をめざすべきだと思う。学ぶとは、本質的に「ボランティア活動」なのだから。

森に生えているシダを虫眼鏡で見ている未就学児
写真=iStock.com/SbytovaMN
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「遊び」こそアマチュアの勉強法だ

では、アマチュアをめざす「勉強」とは何なのか? 試験にパスするため? 資格を得るため? それじゃあ「仕事」だ。勉強って、本来はおもしろいからするのではないのか?

これをもっとわかりやすくいえば、「遊び」こそがアマチュアの勉強ということになる。

今、そのようなアマチュアが存在する領域は昆虫などの生物愛好家やスポーツ、ゲームの愛好家の別名として存在している。大人たちのことばにしたがって勉強する世界では、遊びが「人生の無駄遣い」と信じられた時代があったのだから、この両者は対立関係にすらなっているかもしれない。

成功しなければ幸せになれない。そのためには必死で勉強するしかない。そして、努力して能力を開発すれば、成功して豊かになれる。勉強しない者よりも、勉強した者が優位になる――。多くの若者はそう思っているはずだが、それは半分しか正しくない。あとの半分はただの幻想、いや思いこみだと思う。

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