未来の記憶
マフィン、と言っても、バターを塗って、ときにはクリームチーズやシェイブドハム、シャンパンハムが多いが、削り節のように紙より薄く切ったハムを挟んだりして食べる、イングリッシュマフィンではなくて、おっきくて甘いアメリカンマフィンです。
四角い、紙にくるまれたバターと、甘い甘いマフィンとが皿に載って、その脇にはアメリカ人たちが好きな、うすうういコーヒーが、これもアメリカ人好みの、でっかくて妙に分厚い陶器のマグに注がれている。
1990年代のその頃は、記憶では、イギリス人はあんまりコーヒーを飲まなかった。
紅茶に比べると、やや趣味性が強い飲み物で、気に入った人が「凝って」飲むもので、どこの店でも出すような飲み物になったのは20世紀末、ロンドンのシティで流行りだしてからです。
住んでいた人は如実に判る変化で、そういう言い方をすれば「紅茶のロンドン」と「コーヒーのロンドン」では、まったく異なる街で、いま不気味な、地の底から起きるような音を立てて始まっている変化は、「紅茶のロンドン」が「コーヒーのロンドン」への復讐を果たそうとしているのだとも言える。
ふざけすぎか
おおきなテーブルの前に、自分の背中よりも遙かに背が高いブースの仕切りで、なんだかポツネンと座っているのは「小さなわし」で、頭のなかで、形状は甦っては来ないのに、そこがどこであるかは、よく判っている。
スタテン島から帰ってきたフェリーターミナルのカフェで、つまりマンハッタンで、地区名でいえばトライベカというマンハッタン島の南端にいる。
まるでレンブラントの絵の背景のように暗い薄闇に沈んだ、思い出している情景がそのまま現実でありえないのは、理屈で考えて、すぐに判ることで、子どものころ、ロンドンや、ましてニューヨークで、一瞬でもひとりでいるなんて、有り得なかった。
ひとりで勝手に遊ばせてもらえるのは、クライストチャーチと東京だけで、それゆえ、このふたつの街が好きだったので、思い出してみると、いつもクルマの後部座席から眺めているだけだったような気がするロンドンや、大抵はかーちゃん好みのタワースイーツから眺め下ろしているだけだったニューヨークは、動物園の動物が檻の中から眺める人間世界って、こんなものなのではないかしら、とでも言うような、絶対の安全と信じられないような退屈さに溢れていた。
だから記憶の情景は、過去の現実と、やや関連がある、という程度なのではないかと思うが、
窓から斜め後方にはワールドトレードセンター・ツインタワービルが見えている。
問題なのは、という言い方ではヘンか、ここで困るのは、
多分、1994年だかなんだかのこの記憶のなかで、小さなわしは、
「ああ、このツインタワービルは、建物が爆発して崩落するんだったな」と当たり前のように考えていることで、それがテロで、中東人によって起こされたことまで、記憶のなかのチビわしは「知っている」ことで、予知能力なんてあるわけがないので、これは記憶の改変の例だが、それにしても、わし脳の実感は、甘やかされたカネモチのドラ息子によくある現実世界への感覚を欠いたウサマ・ビンラディンが企画した、ハイジャックした旅客機を突っ込ませるという、三流ハリウッド映画かマンガの筋書きをそのまま現実に引っ越しさせたような事件を事前に知っていて、それもたいしたことだと思わない感覚で判っていて、未来に起きることを、
過去の記憶のように処理している。
これ以上、例を挙げても意味がないが、この「未来を憶えている」感覚は、ここまで生きてきて、自分に、ずっと付き纏ってきたものだった。
アメリカのマンガは面白くないが、ザ・シンプソンズは例外で、機会が有れば、ときどき見ていた。
2000年に放送されたエピソードでは、トランプが大統領になった姿が描かれている。
脚本を書いていたダン・グリーニーが「もしこうなったらアメリカは終わり」という意味を込めて描いたトランプ大統領は16年後に現実になります。
だから、こちらのほうは、マンガの影響に決まっているが、後年、以前書いたように、性犯罪者でペテン師のこのおっちゃんに会って握手したときに「こんな男が大統領になるのか」とおもったのは、なにしろ酔っ払っていたので、ザ・シンプソンズと現実がごっちゃになっていたのでしょう。
ダン・グリーニーはハーバード大学の「アングラ」、学部学生たちの30万部発行を誇る、知らぬ人とてない、超有名おぶざけ雑誌Harvard Lampoonのプレジデントだった人で、この一事で、アメリカ社会のエリートで才気煥発、というよりも才気連発なインテリ都会人なのが判るが、下世話に通じたところがある人で、2000年という段階で、トランプ大統領を予言したのは、
「こうなったらお終いという意味で、偶々、現実になって驚きました」などと公式には述べているが、どうも、お友だちたちに訊くと、わし同様、地方を旅行して歩いて、「トランプのような安っぽいペテン芝居を平気で行える人間が大統領になるのではないか」と述べていたそうで、
偶々ではなくて実際に「知っていた」もののようです。
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購入者のコメント
2>いま不気味な、地の底から起きるような音を立てて始まっている変化は、「紅茶のロンドン」が「コーヒーのロンドン」への復讐を果たそうとしているのだとも言える。
>ふざけすぎか
いや、この言い方は分かりやすいですよ。アメリカの「時間」の記事やスペインの文明の記事と合わせて、イメージしやすい。
今朝、この記事を読めてよかったです。ありがとう。
これは分かりやすい!いろいろ氷解しました♪