【👩‍💻要✅】無料・課金プランの取得制限や機能が変更となっています。5/6までは移行期間としてクーポンなど配布中!

 

鬼神将ワロリアス @kishinsho

  • 44フォロー
  • 18フォロワー
  • 0リスト
Stats Twitter歴
943日(2022-09-27より)
ツイート数
5,013(5.3件/日)

ツイートの並び順 :

表示するツイート :

2025年04月27日(日)27 tweets

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

10分前

火威青🖋️ReGLOSS@hiodoshiao

@murasakishionch シオン先輩、運動会で一緒のチームで戦えたりこの間もおしゃべりできて楽しかったです、ありがとうございました!26日まで塩っ子さんたちと素敵な思い出を作れますように🖋️(実はシオン先輩はうちの母の最推しです!)シオン先輩は最高の先輩です!!

retweeted at 01:28:54

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

11分前

紫咲シオン🌙 ホロライブ卒業生@murasakishionch

【お知らせ】 紫咲シオンはホロライブを卒業します。 6年半という期間支えてくれたみんな、本当にありがとうございます。 この決断は自分の中で数年、沢山考えた結果です。 卒業配信は4月26日を予定しています。 その日まで、最後までもっとたくさん思い出作りたいです! 応援よろしくお願いします!

retweeted at 01:27:54

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

2025年04月26日(土)60 tweets

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

12時間前

Oji@black_meiden

ドロバのとこだけフワロス、うさぎ、マグナ+ドルイドとか色々試したけど正直何でもいい。手堅いのはバロン+三戦かドロバ。 原石青眼の先だけ相手しててイラッとくるから、うさぎは悪くないかな。

retweeted at 13:17:11

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

『魏略』では孔明が玄徳を訪ねた場は「坐集」無名の若者だった孔明は「以諸生意待之」末席にいたのだろう。この場に徐庶はいなかったわけで、後でそれを知り、孔明の世に出る意志を喜んだのではないか…この事があったからこそ、徐庶は玄徳に言ったのだ。 「諸葛孔明者、臥龍也」と。

retweeted at 12:07:19

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

世知に長けた徐庶は時節を待ったのだ…江夏に孫権軍が押し寄せ、北方を平定した曹操の南征が迫る中、劉表は病に倒れ後継者も定まらない…「苟全性命於亂世」を願う孔明もさすがに危機感を覚え、玄徳を訪ねるが、それは正規の会見の場ではなかった。それを知った徐庶は、好機到来と見て動いたのだろう。

retweeted at 12:07:04

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

徐庶は孔明に対し、玄徳と会見する気があるなら紹介する、くらいの事は再三言っていただろう…ただ孔明は「苟全性命於亂世、不求聞達於諸侯」という生活をやめようとしなかったのだろう。孔明にその気がないのなら、強いて玄徳に訪問してもらっても無駄に終わる可能性があり、それきりになりかねない。

retweeted at 12:07:02

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

建安12年時、孔明は若干20歳であるが、世に出るのに早過ぎる歳ではない。しかし徐庶はだいぶ後、孔明25,6歳の時になって玄徳に「諸葛孔明者、臥龍也」と言い、玄徳に会うように勧める。20代半ばで仕官を求めるというのは、当時としてはやや遅いだろう。孔明を高く評価していた徐庶ではあるが…

retweeted at 12:07:00

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

玄徳が荊州に走ったのは建安6年であり、先主傳「以上賓禮待之、益其兵、使屯新野」劉表は新野に駐屯させる。諸葛亮傳「時、先主屯新野」とあり、徐庶が玄徳に近侍するようになったのは、それから間もない頃だろう。 しかし徐庶が玄徳に孔明を推薦したのはその後年、建安12年だったのは何故か?

retweeted at 12:06:59

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

孔明と劉琦は義理の従兄弟になるが、習慣的には兄弟の間柄だ。黄家と姻戚を結び、玄徳の知遇を受ける孔明を、襄陽劉家で孤立しつつある劉琦が頼る…劉表の連枝に加わったばかりの孔明が、表向き相談を避けるのは当然。申生重耳の故事を引いたのが事実なら、劉琦を襄陽から逃す真意を隠蔽する為である。

retweeted at 12:06:57

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

孔明が玄徳に説いた『天下三分の計』が、魯粛が孫権に説いた『江東割拠論』とピタリと符号するのは、おそらく龐統を通じて孔明魯粛は互いに交流があったからだろう。魯粛と諸葛瑾の交友も考慮される。建安13年に魯粛が玄徳との同盟外交に自信があったのも、そのあたりに理由があるのかも知れない。

retweeted at 12:06:46

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

現代中国でもそうだが、媒酌人は夫婦にとって義理上の親である。仮に玄徳が媒酌人をつとめて孔明のオヤジになったのであれば、関羽張飛はオジキという事になる。後年の関羽と孔明の親しさの背景も、そのあたりにあるのかも知れない。

retweeted at 12:06:44

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

孔明が玄徳の知遇を得たのは建安12年、荊州が存亡の淵にあった時期なのだ。そんな時期に孔明に娘を嫁がせた、劉表蔡瑁の義兄弟である黄承彦は『演義』に描かれているような、隠士然とした人物のはずがないのだ…

retweeted at 12:06:42

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

媒酌人は、新郎新婦の親とは兄弟分、という事になる。仮に孔明の婚姻の媒酌を玄徳がつとめたとすれば、玄徳と黄承彦も義理上の兄弟である。孔明の婚姻による南陽の最強軍閥と黄家の領袖との結盟は、双方に重要な意味を持ち、おそらく互いの利害が一致していたのだろう。あくまで仮定の話だが。

retweeted at 12:06:38

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

媒酌人が何故必要かと言えば、ひとつには新郎新婦に家柄の格差が大きい時、夫婦ともに媒酌人の息子と娘という体裁で仲立ちをし、両家の家格の差を埋める、という事もある。 孔明は風采は良いとは言え亡命貴族の次男坊に過ぎず、父親は他界し、家長(諸葛瑾)もいない。本来なら黄承彦の婿には厳しい。

retweeted at 12:05:17

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

孔明の姐2人は後に魏で生涯を終える…仮に姐達が勧めたであろう縁談を孔明が請けていたら、荊州降伏時には魏に降る派閥に入っていたはずだ。臥龍庵で晴耕雨読しながら「家族を養う余裕がない」とかなんとか、なんとなく縁談をかわしていたのは、やはり孔明なりに秘めた野心があったのではないか…

retweeted at 12:04:13

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

孔明は姐2人が蒯家と龐家という大族に嫁いでいるのだから、そのツテで嫁の話はあっだかも知れない。 しかし蒯家は北帰派で、龐家も龐徳公の息子龐山民は後に魏に仕える…仮に両家の勧めがあったとしても話が進まなかったとすれば、孔明の志は初めから北方に帰る事には無かったからだろう。

retweeted at 12:03:26

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

劉表と蔡瑁の義理の兄弟であり黄家の領袖であろう黄承彦の婿に既になっていたのなら、そもそも隠遁生活は難しい…地位的に玄徳が訪問したとて「知遇の恩」に「感激」するほどの話ではない。 独身無為無冠、何の実績も無い青年孔明を、一度会っただけで今度は「英雄」玄徳の方から親しくたずねたのだ。

retweeted at 12:02:46

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

玄徳の知遇を受ける前に孔明が結婚していたとすれば、徐庶がわざわざ推薦するほどの事はない。新野に駐屯していたとは言え劉表とは交際があり、孫乾や簡雍によって襄陽劉家の姻戚関係くらいは逐一情報が上がっていたのだろう。劉表の義弟の婿ならば、玄徳が婚礼に呼ばれても不思議はないくらいだ。

retweeted at 12:01:58

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

関羽張飛と違い、孔明と玄徳には義理の関係は何もないが、玄徳が婚姻の媒酌人をつとめたなら、義理の上では孔明の親同然、と言う事になる。年齢的におかしくはないし、それくらいのことはしたような気がする…とすれば臨終で孔明に国を譲ると言ったのは、あながちな話ではない事になる。あくまで空想。

retweeted at 12:00:30

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

黄承彦は孔明に「聞君擇婦」と言うが、ヨメ探しをしたのはおそらく玄徳。布衣の孔明がつながる相手ではない…玄徳の勧めがあったからこそ黄承彦も気持ちが動いたのだろうが、実際に孔明に会って気に入ったのかも知れない。 玄徳の斡旋で孔明が黄承彦の娘を娶ったとすれば、媒酌人も玄徳だろう。

retweeted at 12:00:09

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

劉表と諸葛玄とのつながりで孔明が黄承彦の娘を娶ったのであれば、もっと早い時期のはずだ…そうで無いならば、孔明に嫁の世話をしたのは玄徳かも知れない。 曹操と対峙する玄徳は、荊州独立派の黄家と交流が無いはずがない。後の共闘がスムーズに行ったのも、以前からの協力関係があったからだろう。

retweeted at 11:59:07

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

戦乱の時代だから、亡命貴族の、しかも次男坊の婚期が遅かったとしても不思議はない。25歳過ぎて妻帯もしていない、つまり一人前の男性とは見なされない、さらに無為無冠の孔明の家を、今度は玄徳の方から訪ねたのであれば諸葛亮傳「由是感激」するだけの出来事ではある。

retweeted at 11:58:29

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

劉表は建安12年には既に病んでいたとすれば、荊州は危機的状況である。『典略』にある、孔明から先に玄徳を訪ねた、という話は事実かも知れない。 おそらくこの時孔明はまだ独身。劉表の義弟の黄承彦の娘を娶り、劉琦とも付き合いが始まっていたら、控え目に言って低い地位とは言えないからだ。

retweeted at 11:58:12

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

いわゆる「三顧礼」は、中国系の論壇では建安12年(207)の事とされるが、これは蜀漢建興五年(227)の『出師表』中の「三顧臣於草廬之中〜爾來二十有一年矣」が根拠とされる。丸20年間あまり、という事だろう。 つまり孔明は赤壁前年、建安12年の黄祖討伐戦の年に玄徳と交際が始まったという事になる。

retweeted at 11:57:23

鬼神将ワロリアスさんがリツイート

13時間前

泉陵哭哭生@kokukokusei

建安8年の黄祖討伐戦から、建安12年の再戦まで、4年の歳月を要している。これは孫権軍の損害が少なく無かった事を暗示している。しかし建安12年の翌年春に再び江夏侵攻が実施されているから、建安12年はより拮抗した戦いだったと考えられる。 荊州が緊迫した情勢下で、孔明は玄徳に従ったのだ。

retweeted at 11:56:25

鬼神将ワロリアスさんがリツイート
鬼神将ワロリアスさんがリツイート

14時間前

Masahiro Hotta@hottaqu

ご質問ありがとうございます。量子力学は、情報理論の1つであり、観測主体が可能な最大限の世界を観察できるツールに過ぎません。たとえば、眼鏡をかけていた人がいなくなっても、その眼鏡自体は残ります。その眼鏡(この場合は… (残り106文字) #mond_hottaqu mond.how/ja/topics/2q7h…

retweeted at 11:11:40