【インチキバスターズ】「霊能力テスト」という名の「正義」が孕む危うさについて
「霊能力テスト」の問題点
以前も取り上げさせてもらったインチキバスターズが、先日「霊能力テスト」という企画を立ち上げました。Xのおすすめポストで偶然知りました。
彼らのところには、「怪しい(と思われる)」霊能者の調査依頼が多数舞い込むそうで、その霊能者たちが「本物」なのかどうかを、定量的なテストで検証し、その結果を公開するという企画のようです。
個人的に、「笑えない」事案だと感じたため、リプライにて、ブレーンであるキング・ミダラ氏と直接やり取りさせていただきました。
突然失礼します。霊能力テストを実施したいとのことですが、テストの詳細は知りませんが、そもそも超常現象の本質として、「試す」ようなスタンスと相性が悪いことはご存じでしょうか。実験を行うことはいいとして、「場」の空気がとても重要となってきます。こう言っては失礼ですが、これまでのあなた…
— 日常の中の怪異X (@yokokaii_x) April 22, 2025
まあ、Xでのやり取りは興味のある方だけに見て頂くとして、ここでは問題点を要約してお話したいと思います。
当該の動画を観れば分かるように、始終演劇チックでいかにも「エンタメ風」を装っていますが、根幹にある「悪意」が豪速球でそれを追い越して来るので、全く笑えないという印象です。
彼らは、他にもヨコザワ・プロダクションの横澤丈二氏が監督した映画を「地獄のウォッチパーティ」と称して支持者たちと鑑賞するという、いじめっ子集団のような陰湿なムーブを定期的に行っており、以前から違和感を感じておりました。
まず、動画冒頭の声明を引用します。
インチキバスターズはオカルト否定派ではありません。
我々は本物に触れたいだけなのです。
我々は、本物なら疑いの余地はあるべきではないと考えます。
界隈を賑わせている霊能力者さんたちにお願いします。
本物の力で我々の度肝を抜いて欲しいです。
よろしくお願いします。
端的に言えば、「私たちの疑念を晴らしてほしい」というような趣旨です。
この手の自称「懐疑的な肯定派」の人たちは、決まって「ただ体験したいだけ・信じたいだけ」と予防線を張ります。
そして、あろうことか「ただ信じたいだけなのに騙されるか弱き私たち」という被害者の仮面すらかぶります。
しかし一方で、自らの姿勢や検証方法については一切問題視しないというふてぶてしさも、同じくオカルト懐疑派の皆神龍太郎氏とも通じるものがあり、興味深く感じます。
↓皆神龍太郎氏については以下の記事で詳しく書いています。
まず、以前から説明しているように、超常現象の発現には「信じる気持ち」がとても重要かつ基礎的な要素となります。
また、別記事でも述べた通り、超常現象とは文字通り常識を超えた領域に存在しますので、常識の外側にアンテナを張ることが基本となります。そうした工夫もせずに、「このままの私を信じさせて」というのは、あまりに厚かましいと言わざるを得ません。
キング・ミダラ氏とのやり取り
ミダラ氏はやり取りの中で、「環境や場の空気で本来の能力が発揮できないなら私の考えでは、それは能力者とは言えない」と言っています。
しかし、心霊現象は、「心霊」と言う通り、心理作用が深く関係する現象です。
もっと言うと、「気」の流れが重要となります。つまり、そもそも「空気に左右されるのがデフォルト」なのです(なので、いかに「空気」をコントロールするかが適切なセッティングにおいて重要となります)。このことは、オカルトを少しでもかじっていれば分かることだと思います。
そして、「そもそも科学的な検証の末に本物と認定された人が1人もいません(いるなら教えてください)。」とも言っています。
まず、当然ながら「科学の枠組み」には限界があります。なので、そもそもその称号を与える権威が存在しないため、「認定」されることもないわけです。
そのために今では、量子力学などの最新理論を用いて解明しようとする人々が世界中にいるわけですし、そうした取り組みは、日々歩みを進めていることでしょう(まぁ、AIの方が先に答えを見つけてしまうかもしれませんが)。
このことも、わざわざ本を読むまでもなく、少し関連動画を観たりしていれば分かるようなことです。「本物」が見たいのであれば、もう少し勉強してほしい、ということに尽きます。
「非科学的=人の能力に非ず」
というロジックの危険性
そして、ここからが最も重要なのですが、彼は返信の中で「仮に本物だとしても、そんな中途半端な能力であるなら、能力者である事は伏せ、普通の人として生きる方がよっぽどまともな人生を歩めると思います。」と言っています。
つまり「非科学的=人の能力に非ず」というロジックです。
もし、この考え方が当たり前になった先には、どんな世界が待っているでしょうか。
一部の能力者は、先天的に「見えざるもの」が見えてしまいます。望んでいなくても、です。
そうした人々は往々にして、どんな経験をするかというと、自分がただ見たものを話しただけなのに、家族や友人たちから否定され、二度とその話ができなくなったりします。
当人にとっては、それがただ一つの「現実」であるのに、です。
もちろん、世の中には詐欺霊媒師やインチキ占い師も存在するでしょう。
しかし、それはほんの一部である可能性もあると思っています(多くの場合、能力者の「能力のレベル」の問題や、その能力の性質とビジネスとの相性によって、うまくいかないケースがあるのではないか、というのが私の見解です)。また、何をもって「インチキ」とするかも、霊的体験が主観的な体験である以上、難しいという問題もあるでしょう。
そうした、一部の不届き者を成敗することも確かに大切かもしれませんが、「霊能者」と主語を大きくして攻撃した場合、流れ弾で傷つく人も同時に存在するわけです。
なので私たちは、まず「敵」にロックオンする前に、自分が見ている世界を否定されて、そのことを家族にすら話せなくなった状態にある人が存在するということに、思いを巡らす必要があります。
彼らは、無意識であっても常に傷ついて生きています。顕在意識では、傷つかないように、あえて「封印」して生きている場合が多いと思います。
しかし、例えばその「能力」が、絵がうまいとか、足が速いみたいな能力と同じように、「個々の特性の一種」だと仮定した場合はどうでしょうか。「二度と本気で絵を描くなor走るな」と社会から否定されているも同然です。そんな息苦しい社会になってほしくないと、私は思います。
ミダラ氏の言う「普通の人」とは一体、どんな人を指すのでしょうか。
「まともな人生」とは、どんな人生でしょうか。
見えている現実を無理やり見えなかったことにして、本来備わっている「感性」を封印し、合理性の名のもとに従順に生きることが、「まともな人生」と言えるでしょうか。
重要なのは、この世界の在り方を知ること
「霊能者テスト」では、特定の霊能者が数名、指名されています。
彼らが挑発に乗ることは無いとは思いますが、仮に「非科学的=人の能力に非ず」という論理に基づいて、非科学的な人を見つけては不適切なセッティングの場で「テスト」をし、霊能者たちにとって不都合な結果も公に晒していく、という行為が常態化すれば、先述のような、息苦しい社会の空気は猛スピードで醸成されるでしょう。
そもそも、当人にとってのただ一つの「現実」に対して、「それは現実じゃないよ」と指摘したところで、言われた側が心に傷を負うことはあっても、お互いにとって理想的な世界(win-win)になることは望めないでしょう。
大切なのは、互いが傷つけ合うことなく共存していくために、一人一人が、自分の感覚機能を通して認知している世界が、それぞれの人にとっての「現実」であり、その集合体がこの世界の在り方なのだということを認識することではないでしょうか。
私があえて強い言葉で批判する理由
彼らの表現方法についての評価は、さまざまだと思います。
絶対的な神が存在しない世界では、真実は人の数だけ存在します。
私にとって「悪意」と感じられるものでも、彼らにとっては「正義」だということでしょう。
表現の自由は最大限尊重されるべきですし、「放っておけばいい」と言う人の気持ちも分かります。
ただ、先にも述べたように、「ただ信じたいだけ」と言いながら能動的に学ぶこともせず、旧態依然とした「科学主義」にあぐらをかき、正義の仮面をかぶる姿は、見るに見かねるものがあります。
私は、世界は言葉で成り立っていると考えています。
例えば、インターネット上に発せられる言葉一つ一つにも、ある種の力が宿っているというのが私の見解です(特に最近は、SNSの影響力は甚大です)。
そして、この世界はミラーボールのように、見る角度によってさまざまな色を放っていて欲しいという願いがあります。ある一つの言葉(力)が放たれれば、必ず反射するように、それに見合った言葉(力)を返す必要が生じると思うのです。それは、言い換えれば「エネルギーの循環」のようなものかもしれません。
なので、彼らには彼らの正義があり、のびのび活動する自由がある一方で、誰かがそれに見合った言葉を投げかける必要があると、私は考えています。
なので、特定の誰かを悪者にしたいわけでは間違ってもありません。
何というか、対話を続けることが大事だと思うのです。
それは、ある種の権威性から自由になるための、私なりの工夫でもあります。
まあ、今のところ、彼らのSNSはフォローする気はありませんので、おすすめに出た場合に限らせてもらいますが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
◇関連記事


コメント