「俺、明日からもう来ないから」 という引き継ぎ
異能の産業家・故 井上雅博さんから受け取った型破りな引き継ぎの言葉、「俺、明日からもうこないから」。その言葉はいまも、私の中で大切にしています。まるで「サラバ!」と風のようなさわやかな引き継ぎをしてくれた井上さん。今日で亡くなって8年目の命日になります。
近年、世界で、日本で、最も急成長した産業はなんだったろうか? その一つは間違いなくインターネット産業です。今年も日本のインターネット産業をつくった一人であるヤフー創業社長の井上さんの4月25日の命日がやってきました。数年前に彼から受け取ったギフトについて投稿したことがありますが、多くの人に故人の人柄や業績が伝わって欲しいと思い、加筆訂正して再掲します。
起業家としてゼロから巨大企業を作り上げたり、破壊的イノベーションを起こす事業の革命家やシリアルアントレプレナーで何度も新規事業を立ち上げてきた実績やグローバルで活躍するプロ経営者。
私は全くこういうタイプではなく、その時々で与えられた役割を果たすぞ!なサラリーマンタイプ、いわばプロ社畜です。そんなサラリーマン型の私と真逆の異能としかいいようがない人の間近で過ごす時間をいただけたという一点においては贅沢なビジネス時代の職業人生でした。
孫正義さん、Nikesh Arora、Marissa Mayer、SBGの取締役の時は柳井さん、永守さん、ジャックマーさん、宮内さん。
M&AやJVを通じてグループに参加する決断をしてくださった一代で素晴らしいユニコーン企業を作った異能の経営者たち、たとえばアスクル創業者の岩田さんや一休創業者の森さんやCCC創業者の増田さん。
いずれも個性的な異能の人たちと一緒に仕事をさせてもらい薫陶を受ける素晴らしい機会をえられました。
中でも、この世にこんなに頭のいい人がいるのか?と感嘆した人。自分にもっとも大きな影響を与えてくださった人。
それは井上さんです。その井上さんが亡くなられてから今日で8年がたとうとします。
もちろん私は井上さんの「仕事」という一面でしか知りません。その面から見た井上さん像は亡くなられた直後に、もう一人の井上さん(ヤフーの同僚で検索などの責任者だった人)との対談で話した通りです。このNoteの文末につけておきます。関心ある人はぜひ井上さんはどういう考えで経営をしてたのか?を知るヒントになると思うのでお読みください。
一言で言えば井上さんは産業家でした。起業家として会社を作ったのではくインターネット産業を日本で作り上げた人の一人。
サブスクリプションサービス(=月額定額課金サービス。いまのヤフープレミアム会員ですね)の構想を話を聞いた時(たぶん2000年代の前半)のこととか今振り返ると先が見えてるなと感心します。
インターネットはいろんなサービスが誕生して人を集めていく。検索、ニュース、コマース、動画、SNS。人の集め方はいっぱいでてくる。しかしいっぱい出てきてもお金の稼ぎ方は結局のところ5つしかない。「広告を売る、モノを売る、デジタルコンテンツを売る、金融、月額定額」。一本足打法で依存するとそれが不景気になるとリストラする羽目になる。全部やれ。
ヤフーインクがネットバブル崩壊で社員をリストラせざるを得なくなった時にその報告をヤフージャパンの朝礼で井上さんが社員に話すときに涙ぐんで話された時があります。その後に飯食ってるときに話を聞いた際に、「社員をリストラすることは何があってもやめようとおもった。だからヤフーインクみたいに景気の影響を受けやすい広告の一本足打法はやめようとおもったそうです。
自分の役割は、この5つのビジネスモデルがPC版で磐石で確立されていたのをスマホ大陸に移住、つまりスマホシフトだったといえます。
そして移住がある程度、できあがったころに、「移住して新たになにすんの?」については、その先をやる才覚は俺には多分悲しいかな不足してるかなといろいろと痛感しました。成功への自信が揺らいでいるトップが組織を率いるほど危ないことはない。だから移住後は新経営体制でやってもらおうと新チームに引き継ぎ。そのチームから既存のPCサービスをスマホ対応にしたのではなく、ゼロから完全にスマートフォンネイティブとして作られたPayPayが爆誕。今や日本を代表する決済プラットフォームへと成長しました。
結果として、この最後の判断は本当に大成功だったと思います。自分が変な影響力を残して後ろからあーだこーだといってたら絶対にああいうサービスは生まれなかったと思う。
最後に、井上さんからは多くのものを得たのですが最高のギフトだなと思ったのが社長の引き継ぎの相談の時のエピソード。稀代の産業家から社長を引き継ぐので「うーん、どうしよう….」と思っている中での引き継ぎは一言、「俺、明日からもう会社こないから」。
「会社に来るとお前って相談にくるよね?
そしたら俺もなんか言いたくなるよね。
で、なんだかんだでお前ってそれに影響された意思決定するよね。
もし結果がでなかったときに言い訳の余地が残っちゃうよね。
俺は本当は違うことを考えてたんだが、井上さんにそう言われたからその通りにやって失敗したとかなんとか。
だからお前が相談できないように、俺、明日からもう来ないから」
最後の最後まで異能なボスでした。
今だからわかります。きっと頼りない後任への心配や思うところ、言いたいことははたくさんあったとおもいます。それでもすべてをグッと飲み込んで自由を引き継いでくれました。
今の職場も春、期末で引き継ぎの時期です。引き継ぎの時期になるとこのエピソードを思い出します。
詳細な業務マニュアルを渡すことももちろん大事だけど、何よりも大切なのは次の世代が自由に意思決定できる世界を引き継ぐことだと。次の世代に対して自己消去することで自由を贈与できる。
「死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです」
前任者がスパッと消えることで新しい担い手がそこから自由に新しき何かを創造する。「俺、明日からもうこないから」。それは、残される者に自由を託す“メメントモリ”のようでもあります。
西加奈子さんの「サラバ!」という素晴らしい小説があります。「サラバ」は別れの言葉であるけど、新しい世界に旅立つものへの祝福の言葉として作品のタイトルにもなった重要なキーワードでもあります。サヨウナラ!とは少し異なる語感がありますよね。サラバ!には、残される人にすべてを託してエールを送ってさわやかに立ち去る語感がある気がします。
引き継ぎとは、何かを渡すことだけではなく、サラバ!とエールを送りつつ何も渡さないことで自由を渡すことでもある。仮に負の遺産を残す引継ぎだとしても、前任が影響力や未練で後任を縛るほど罪なことはない。かりにそれが善意からの発露
だとしても。
我々は常に誰かから何かの引継ぎを受け、そして、渡してくれた人との別れが待っている。そしていつの日か、渡された我々が渡す側に回る。その時、サラバ!と爽やかに、相手を祝福して消え去るように次の旅に出る。
そんなことを思い出しながら井上さんの「サラバ!」から8年目の今日を迎えます。自分も年齢を重ねて仕事というキャリアにおいては気がついたら終盤に差し掛かってきました。何年先かわからないけど、いつか誰かにバトンを渡す日が必ずやってくるはずです。そのときには未練ではなく「サラバ!」と爽やかに祝福して立ち去れるようにありたいものです。
今日もまた、誰かの自由を信じて、毎日を大切にしたいと思います。
補足資料
この対談は井上さんはメディアに全く出ない人だったからどんな素敵な人だったか書き残しておこうぜ、ということで亡くなった直後に対談形式で残しておいたものです。今でも多くの人に井上さんの凄さを伝えたいと思います。井上さんはどういう人だったかに関心がある人はこちらもご覧ください。
ヤフー前社長・井上雅博[追悼対談]
Part1 突然の訃報
「井上社長はこうだった」、我々には残す義務がある。
入社面接では、井上さんが社長だとは思わなかった
理屈に合わないことはするな、ネットと喧嘩するな。
Part2 不器用な愛情表現
ネットを見ていたら逃げ遅れたなんて、あり得ない。
『一生ゆるさない』。怒られながら、認められた。
黙って任せる、そんな不器用な優しさを感じた。
Part4 カルチャーは永遠に
辞める人より、現役社員の気持ちが大切。
大らかで寡黙。彼のスタイルを、今後も継承していきたい。
記者会見の場で、唐突な言葉。後任へのギフトだった。


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