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国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

遜色準急 第2摩周

2019-08-30 22:18:57 | 国鉄思いで夜話
古い資料を探していて、大変面白い記事を発見しましたので、ここで披露したいと思います。
鉄道ファン昭和36年12月号の記事で下記のような内容です。

05準急快走す・・・

キハ05という気動車は、キハ04と同じグループの車体であり、こうした気動車を準急列車に使ったと良いうのも・・・いやはやなんともという感じなのですが。
国鉄のぼったくり商法だと書いています。苦笑キハ04

幸い当時の時刻表などもありましたので、併せて確認してみますと。
ありました、「準急第2摩周」という列車。

途中で分割する普通列車だが・・・。

鉄道ファン昭和36年12月号から引用


この準急気動車の時刻表がありましたので、それを参照しますと、釧路16:00出発 終着 網走には、19:29となっていますが、途中の標茶駅で、キハ05を切り離します。



切り離されたキハ05はそのまま、17:00 標茶発の普通列車として根室標津を目指すことになります。

当時も優等列車は運転されていないことからも閑散線であったことが窺えます、実際に赤字83線でも指定されていますので、その辺は間違いないかと思われます。



なお、網走を目指す列車は、キハ22が使用されていました。

キハ22も普通列車用ですが、車内設備は、キハ55とほぼ同じであり、北海道では長らくキハ22が急行列車に使われていましたのでさほど問題にはならないとは思いますが、問題はやはりキハ05でしょう。

デッキもなくて狭いシートに二重窓もない車両では何を況んやと思います。

当時のレポートで見ますと、キハ05にも結構乗車していると書かれていますが、当時の移動手段が国鉄しかなかったことが窺えます。


遜色準急としては最低の列車?では


最後にこのレポートを書いた報告者は、釧路~標茶まで利用すると運賃が140円(48.1km)(現在の運賃で1070円)、それとは別に準急料金が100円(これも運賃との比率で考えると、約700円の準急料金、今の特急料金程度でしょうか。)がかかるため、余程の物好きでなければこの区間をわざわざ乗らないのではないかと書いています。


ただ、実際に、一部区間とはいえ準急列車として行き先表示板を掲出してまで走っていたという事実を知っていただきたいと思います。

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