法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

無視する以前に「日本人が、アフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」とはトーマス・ロックリー氏は書いてないよ

トーマス・ロックリー氏が黒人侍の弥助を「旗手」と評したことを、民主主義をたいせつにするかぎり否定することはできない - 法華狼の日記

半世紀前から日本の書籍でも弥助を侍と位置づけているものは多数ある。
弥助が黒人の「侍」だったという話を今さら否定することはできない - 法華狼の日記
 そうした国内外で先行する研究をまとめて、いくつか独自の見解を慎重に留保しながら追加したのがロックリー氏であって、逆ではない。


 当該書籍が極端に低評価されたのは、第一章の前半が想像に満ちた小説形式で書かれていて、その描写だけが切りとられて批判されたことも一因かもしれない。

 上記エントリに対して、はてなブックマークで反論のつもりらしいコメントがついていた。同時にあらゆる論点に言及しないと無視したことになるらしい。
[B! history] トーマス・ロックリー氏が黒人侍の弥助を「旗手」と評したことを、民主主義をたいせつにするかぎり否定することはできない - 法華狼の日記

gangan-56592 この記事も「日本人が、アフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」との記述を無視している辺り、やっぱりロックリー氏の擁護は、話題を限定しないと難しいのかな、と思った。

sagoshix 弥助が黒人の侍だった説は江戸時代の創作の可能性が高いのに、そこは無視するんだ

 まず、id:sagoshix氏のコメントはさすがに論外だ。リンクしたエントリで先に日本の複数の歴史学者が弥助を侍と位置づけていることにも言及している。


 次に、id:gangan-56592氏のコメントだが、はてなスターを複数集めて注目コメントに入っているが、批判として成立しているとはいいがたい。
 仮に「日本人が、アフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という記述があったとして、その記述に先行研究が存在していれば、ロックリー氏についての私の説明は誤りではなくなる。
 くわえて「日本人が、アフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章だが、これはおそらく書籍で「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」*1と書かれた部分だろう。

 読んでのとおり、日本人全体に一般化はせず、地元の名士と限定している。あくまで移動させられた先で弥助の存在が興味を喚起して、後の弥助を従者にした織田信長と同じように黒人奴隷を使う流行があったという説であり、黒人を奴隷化する制度が当時の日本で生まれたという話ではない。しかも該当の文章は第一章の前半、つまり小説パートに書かれており、ここではロックリー氏は史実と断言していないことが明らかだ。
 そしてもちろんこの記述にも先行研究がある。すでに一年前の論争で、日本の学者もふくめて先行研究があることは明らかにされている。


話題のルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子氏の『大航海時代の日本人奴隷』をしっかり読んでみた。末尾に、キリシタン時代に日本にいた黒人の状況が書いてあり、「(九州あたりで交易を行う)大名たちはこぞってその所有(黒人を従者にすること)を望んだと思われる」とある。これについても、ネットではいろいろと言われているようだが、あくまでもこの部分はこの書にとっておまけ部分で、詳細な推測根拠などは省かれているように思う。確かに日本側史料だけでは「こぞって」の部分はやや不明確ではあるが、当時の中国や朝鮮半島におけるポルトガル商人がもたらした黒人奴隷や黒人兵の状況など、日本よりもはるかに史料や研究が多いように思われるので、それらの史料からの推定部分も多く、全体としては当たっているように思う。また『日葡辞書』(1603)にすでに「黒坊」という日本語が立項され、それがカフル人や黒人である、とのポルトガル語の記述があることを見ても、弥助以外数人というようなオーダーではない数の黒人が日本にやってきていたことは十分に推測できる。アジア全体を通してみた黒人奴隷あるいはその現地化の研究が今後ぜひ必要だ。

 当時の当該地域の権力者が黒人を従者にしていたような資料がのこっており、それが弥助の影響によるものなのかといった推測の確実さはともかく、流行そのものはロックリー氏固有の創作ではないことは確実だ。
 少し検索するだけでも一年前の論争で明らかになったことを把握できる。そうした蓄積を無視しているのは私ではなくgangan-56592氏であり、そのような他態度こそがロックリー氏への批判に妥当性が欠ける要因だ。

*1:16頁。