「娘と話せている安心感」宝塚線脱線事故で犠牲の娘へ 母が書く日記
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兵庫県丹波市の上田直子さん(86)はJR宝塚線脱線事故で亡くなった娘へのメッセージを毎日ノートに書き続け、25冊を超えた。 【写真】運転士は焦った「まけてくれへんか」 電車脱線で遺族が抱いた疑問 娘の平野智子さん(当時39)は結婚して3人の息子を育てていた。兵庫県三田市の自宅から大阪へ買い物に行く途中、事故に遭った。 生前、智子さんは毎日朝と夕の2回、上田さんに電話をかけていた。朝は、子どもを学校に送り出してから「お母さん、やっと落ち着いたわ」。コーヒーが好きで「今からコーヒーを飲むわね」とよく話していた。 事故後、電話のベルが鳴らなくなった。娘がもういないことを突きつけられるようで「ものすごくつらかった」と上田さんは話す。ふと、自身が入院した際、小学生だった娘が寂しがらないように交換日記をしたことを思い出した。事故から1年の日に初めてつづった。「智ちゃん、はや電車に乗って買い物に行く途中、あの世へと買い物へ行ってしまって1年」 季節の変化や自身の体調。娘と生前電話で話したような事柄を毎日書く。娘と話せているような安心感を覚える。娘の心残りであったであろう、孫たちの近況もノートで娘に伝える。長男に子どもが生まれたこと。三男が試験に合格したこと。娘の誕生日には「一緒に祝う事が出来ないくらい辛(つら)い事はないよ」と書いた。事故から20年を経た今日も、娘と話すため、上田さんはペンを手にする。(瀬戸口和秀)
朝日新聞社
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