ちょうどレヴィたちが食堂で夕食を食べている時、医務室にてメメルはオッドベルに合っていた。
いつものように大学の医学研究論文を読み込んでいた時、医務室の扉がコンコンと叩かれたので、扉を開けるとそこにはオッドベルが立っていた。
「随分と久しぶりですね」
「そうか?数日ぶりな気がするが」
「いや、その数日が長かったんですよ」
この数日間、メメルはずっとレヴィを見張っていた。
レヴィにかけられた呪いは本人が思っているよりも深刻だ。
故に、そんな呪いをかけられてなお生きている、というのは前例のない出来事であった。流石は剣星の魔女、だ。
だが、いかに剣星の魔女であってもこの呪いをかけられてピンピンしていられるわけではない。
水が満たされたコップのように、何かの拍子で死亡する可能性があるのだ。
だから、メメルはその呪いが本人に及ぼす影響を詳しく知る必要があった。
なにせ、レヴィはこの国の英雄なのだ。決して死なせてはならない。
細心の注意を払い、メメルはレヴィを観察し続けた。
時にちょっかいをかけられたり、いたずらをされることもあった。
レヴィが外を出歩いていて、魔術を使っていたことを知ったときは、腰が抜けそうな思いだった。
だが、それでもこの数日間は楽しかった。
と同時に、レヴィと過ごしたこの数日はとても長かった。
「さあ、中に入ってください」
メメルはオッドベルを医務室の一角に案内し、椅子に座らせる。
「ところで、今日はなんの用で?」
「今日はだな、実はいいものを持ってきたんだ」
「いいもの?」
「それはだな……これ」
そう言って何か詠唱のような物を唱えると、空に穴が開き何かがオッドベルの手に落ちた。恐らく、空間魔術か何かの類なのだろう。
「じゃじゃーん、コーヒー豆だ」
「こーひー?」
オッドベルの手に握られていたのは袋に詰められた黒い豆。
メメルが初めて見るそれを、オッドベルは嬉しそうに渡してきた。
「これはだな、レヴィ殿が好んで飲んでいる飲み物だ。大変苦いが、俺もいくらか飲んでいるうちに気に入ってな、家に常備し始めたんだ。で、そういえばレヴィ殿は今基地にいるのだからコーヒー豆など手に入らないだろう、と思ったのでこうして持ってきた訳だ」
「なるほど……レヴィ様はこのような豆を齧るのがお好きなのですか……」
「いや、これは齧る物じゃない。豆を砕き、湯で煎るのだ」
「つまりは、紅茶のようなものですか?」
「ああ、丁度紅茶のようなものだ。ついでだから飲むか?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そうしてメメルは医務室に備え付けられているポットに水を注ぎ、火をつけ沸かした。しばらくするとポットから湯気が立ったので、オッドベルが砕いてくれたコーヒー豆をフィルターにかけ、湯を注いだ。
黒い液体がマグカップに注がれ、芳醇な香りが部屋に満ちる。
いい香りだ。メメルはその匂いを気に入っていた。
そして、注がれた黒い液体をゆっくりと啜る。
「これは……苦いですね」
「ああ、苦いだろ?」
「ですが、なかなかに気に入りました」
「ほう、メメル軍医はこの苦みがいける口か」
「はい、割と好きですね。甘い菓子などと飲むとより美味しいと思います」
「なるほど……甘い菓子か」
そんな会話をしばらくする両者。
しばらくするとコーヒーの話題に飽きたのか、オッドベルはもう一つ物を空から取り出した。
「それは?」
「刀だ」
取り出されたそれは、反り返った美しい一振り。
この国では直刀が主流であるため、なかなか見ない特徴的な剣だ。
「はえー、珍しい形の武器ですね。これは、レヴィ殿の物でしょうか?」
「その通りだ。レヴィ殿はこの武器を扱っていてな、振るわれるこの剣があまりにも印象的過ぎて彼女は”剣星の魔女”などと呼ばれているのだ」
「なるほど、確かに印象的ですね」
そして、取り出したそれを、メメルは受け取った。
「では、コーヒー豆と合わせてこちらもレヴィ様に渡しておきますね」
「ああ、感謝する。見たところレヴィ殿は居ないようだからな。ところで、彼女はどこにいるんだ?」
「ああ、それはですね……窓の外を見ていただければわかると思います」
オッドベルはメメルに促され、窓の外を見た。
そこでは、白髪の少女が屈強な兵士たちを鍛えているではないか。
何とも奇妙な光景に、オッドベルは疑問を呈した。
「彼女は何を考えているんだ?」
「さあ?病室の暮らしに飽きたのでしょう。何か暇を潰せるものを探した結果アレにたどり着いたわけです」
「……」
黙り込むオッドベル。
大柄で、しかしながら優しそうなこのお方は、あまり表情から本当の感情が読み取れない。
やはり
しばらく黙り込んでいたオッドベルは、口を開いた。
「なあ、メメル軍医。あなたは彼女のことをどう思う?」
それは意外な言葉だった。
どう思う……か。
とても難しい質問だ。
「……不思議な人です」
「不思議な人?」
「ええ、はい。その、こういうのはなんですが……私が聞くところには剣星の魔女は凄まじい威圧感の持ち主であられたそうです」
「ああ、確かに全盛期の彼女は凄まじかったな」
「ですが、今はその影もありません。むしろとても温和で、親しみのあるお方です」
「そうか」
「……その、彼女は本当に剣星の魔女その人なのでしょうか」
「さあな、俺にもそれは分からん」
それはオッドベルも同じ気持であった。
今のレヴィは、あまりにも柔らかく、可愛らしい。
彼女が、かの剣星の魔女であるなど信じられないのだ。
だが、しかし、
「彼女は確かに剣星の魔女だ。それは俺が保証する」
「そうですか」
オッドベルが見た彼女は、確かにかつての親友その人だったのだから。
▽▲▽▲
いやー、マジで大変だった。
なんかルドウィッチとかいう男になんかよくわからん言葉で喋りかけられるし、なんか手の甲にキスされたし。
私はずっと魔術と剣術一本だったから貴族の作法とかよくわかんないけど、ああいうのが貴族の作法とかなのかな?いかにも貴族っぽいし。
いやー、貴族の世界って不思議だな。私にはさっぱりだ。
とまあ、そんな不思議なルドウィッチ君に喋りかけられた私だったけど、その後嬉しい事があった。
夕食が終わって医務室に戻ったら、メメルちゃんがさっきまでオッドベルがここに居たというではないか。
どうやら、オッドベルは仕事が忙しいらしくて既に帰っちゃったらしい。話したかったんだけどな、残念。
とまあ、残念がる私であったが、そんな私にメメルちゃんはオッドベル様のお土産です、と袋を渡してきた。
袋の中にはなんとコーヒー豆と……刀が。
いや、最高だな!
流石はオッドベル。分かっているじゃないか。
これだよこれこれ。これが欲しかったんだ。
最近コーヒー飲めてなかったから恋しかったんだよね。
久々に飲めそうで嬉しい。
あと、もう一個はかつて私が愛用していた刀ではないか。
《切雲》という刀なんだけど、私が最後にあの
もう会えないかと思ってたけど、まさかこんなところで再会できるとは。
いやー、人生何があるかわかんないね。
とまあ、そんな訳で二つもいいものをもらった私は当然上機嫌になるわけで。
ベッドの上に身を投げ出して横になった私は、いつものように窓から月を見ていた。気分がいいときは月を見るに限る。
この世界は娯楽が殆どないから、こういう風景を見るのも楽しみの内の一つなんだよね。
さて、コーヒーを飲みながら月でも見て黄昏ようか、と思っていると、ふと気づく。
いつもの訓練場で何かが動いているではないか。
目をよく凝らし、そちらの方を見てみる。
そこに居たのはなんとあのルドウィッチ君。
彼は訓練場で、鍛錬をしていた。
はえー、もう今日の分は終わったのに感心だな。
と、その時もう一つのことに気づく。
それはルドウィッチ君が練習しているもの。
彼は私が持っている刀に似たものを握っており、それを高速で振っている。
あれは……確か……《
この技は割と汎用性があるから好んで使ってたけど、人に見せたのは大戦の最前線と、あの別荘だけ。
大戦は5年前で、今のルドウィッチ君は18歳くらいに見えるから……まだ戦場にはいない筈。じゃあ、あの別荘で見たのかな?
うわー、照れるんだけど。
自分が開発した技を他の人が練習してるって、なんだか恥ずかしい。
……でもまだ、完成系ってわけじゃないっぽい。
動きはいいし、完璧に動きはトレースできている。
でも、ラスト一ピースだけ足りてないんだよね。
あの時は途中から私の剣を見ていたのかな?
うーん、気持ち悪い。
後で教えに行こっかな。
明日行くのは……めんどくさいし。
なによりも忘れそう。
後でこっそり教えに行こっかな。
▽▲▽▲
まだ届かない。
かつて彼が見た技にはいまだに届かない。
あの、桜が炎の如く舞うあの技は、なぜか未だに再現できなかった。
動きは完璧にトレースしているはず。
使用している強化系の魔術も全く同じはず。
だというのに、何かが違う。
何が違うのか、明確に言語化することが出来ない。
なにか、重要な何かを見落としているのだろうか。
ルドウィッチはいつものように鍛錬を終え、自身の寮へ帰っていた。
基地では兵のそれぞれに個別の部屋が割り当てられる。
下等兵ならば一つの部屋に押し込まれていただろうが、この基地に居るのは選び抜かれた上等兵のみ。彼らには個別の部屋が割り当てられているのだ。
彼は部屋の鍵をポケットから探り出し、ドアノブに差し込んだ。
ガチャリ、と扉を開け自分の部屋に入っていく。
その部屋は簡素な作りだった。
割り当てられた部屋、とは言っても割と小さく、1DKの狭い部屋だ。
そんな部屋をつかつかと歩いていき、ベッドのそばの壁にかけられた剣置きに、刀をかける。
これは、あの剣星の魔女が使用していたとされる刀、という武器に似せるように鍛冶職人に依頼して作らせたオーダーメイドの特注品。
ルドウィッチは大事にその刀を置いた。
そして、鍛錬により流した汗を流すためにシャワーに入り、服を着替え、いざ寝ようとベッドに横になろうとした。
だが、その時、コンコン、と優しく扉が叩かれる音がする。
こんな深夜に誰なのだろう。
ルドウィッチは不思議に思い、扉を開ける。
「あ、こんばんわ」
そこに居たのはあの白髪の少女。
ルドウィッチは顔をしかめた。
なにせ、この少女は聖火を扱う人間だ。
ルドウィッチは聖火が大嫌い。だから、この少女のことも嫌いなのだ。
そして、そんな少女が部屋に訪れてきた。
一体なんのようなんだ、と訝しんだ。
と、そんなルドウィッチの様子に少女は察したのか、袋のような何かを見せてきた。
「お茶、持ってきたよ」
お茶?
袋の中に見えるのは黒い豆。なんだこれ、とルドウィッチは思う。
というかなんでこんな夜にお茶なんだ、とも心の中でツッコミを入れる。
「あ、夜だから飲んじゃダメじゃん」
「はあ?」
「カフェイン摂取したら寝られなくなるよね」
今更気づいたのか、俯き悲しそうな顔をするレヴィ。
ルドウィッチはそんな彼女がどこか哀れに見えてしまった。
大嫌いではあるが、まあ、部屋に入れてやってもいいだろう。
不思議とルドウィッチはそう思った。
「教官殿、入ってください」
「おじゃまー」
そういってずかずかとルドウィッチの部屋に入ってくるレヴィ。
部屋に入って先ず、壁にかけられた刀に気づいたのか、面白そうに言った。
「あ、刀だ。いい趣味してんじゃん」
「そりゃどうも」
そんな素気のない会話をしつつ、レヴィにソファに腰掛けるように促すルドウィッチ。
レヴィ、はポン、と軽いその体をソファに乗せ、脚を組んだ。
さて、そんなレヴィの様子を見つつ、ルドウィッチはレヴィがどうしてここに来たのか気づいた。
「今更、気づいたんですか?」
夕食のとき、ルドウィッチがレヴィに吐きかけた酷い言葉。
そんな言葉の意味を今更レヴィは気づき、怒りに来たのだろう。
彼はてっきりそう思っていた。
だが、レヴィの表情は、きょとん、としている。
「気づく?なんのこと?ああ、あれ?夜中鍛錬してること?」
「はあ?」
まるで、見当違いだった。
だが、気づいていないというならそれはそれはで好都合だ。
「ああ、いいです。なんでもありません」
「……?」
「で、本日はどのようなご用件で?」
「まあまあ、ちょっと待ってて……」
そういうとレヴィは、何の許可もなくキッチンの方へ歩いて行った。
今日はもう鍛錬で疲れていたので、ルドウィッチには勝手にキッチンに入るな、という気力はなかった。
そして、ゴリゴリと何かを潰す音がしたかと思うと、ケトルに水を注ぐ音がする。
何をしているだろうか……と疑問に思うルドウィッチであったが、しばらく待っていると湯気の立つマグカップを二つ持って帰ってきた。
「結局淹れるんですか。寝れなくなりますよ」
「ちょっとくらいダイジョブでしょ」
「いや、大丈夫じゃないから言ってるんですけど」
そんなルドウィッチのツッコミは気にしない、とばかりに運んできたコーヒーを飲むレヴィ。
「こーひー、こーひー、おいしーなー♪」
レヴィはなにやら変な歌を口ずさんだ。
そしてプラプラと脚をぶらつかせ、何とも上機嫌なように見える。
「はぁ、で、何の要件で?」
そんなレヴィに、ルドウィッチは尋ねた。
「えっとね、あれ、あれを教えに来たの」
「あれ?」
「ほら、さっき練習してた──」
と、その時だった。
ゴンゴン、と乱雑に扉のノックが叩かれる。
「誰?」
すっ、とソファから立ち上がったレヴィは叩かれた扉の方へ駆けていく。僕が出ます、とルドウィッチが言う前にレヴィは行ってしまった。
こんな夜に二人も客人?
今日は人がたくさん来るな。
……いや、待て。
誰だ、今扉を叩いているのは。
一日に二人も客人が来るなんておかしい。
何かの暴漢かもしれない。
まぁ、こんな基地のど真ん中に堂々とやってくる暴漢なんている筈がないか。
いるとしたら、せいぜい……。
と、その時だった。
扉を開けたレヴィの体が吹っ飛んだ。
何かがひしゃげる、不快な音。
これは、きっとレヴィの内臓が潰された音だろう。
そして、凄まじい勢いのままレヴィは吹っ飛ばされ、部屋の壁を突き破り外に放り出され、床にたたきつけられた。衝撃により、レヴィは動かなくなってしまった。
「ッ!!!」
扉の前に居たのは、フードを被った男。
男は腰に剣を帯刀しているまま。
恐らく、先ほどレヴィが吹き飛ばされたのはこの男に蹴り飛ばされたからだろう。
ピリピリとした殺意。
明確に、この男は自分たちを殺す意図がある。
ルドウィッチはすぐさま壁に立てかけられた刀を取り、抜いた。
「寒天……極星……」
なにやらブツブツと男は呟いている。
詠唱か。
ならば、今が隙。
ルドウィッチは床を蹴り、玄関に立つ男に斬りかかった。
だが、次の瞬間、ルドウィッチの周囲に今にも爆発しそうな数多の青黒い球体が浮かんだ。
詠唱を短略された……不味いッ!!!
この球体の色……見覚えがある。
ならば、触れたら不味い。
浸蝕されて死ぬ。
すべて叩き落とさなければならないだろう。
今こそ、アレを使うとき。
いまだ完成には程遠いが、それでも今が一番の使い時。
「桜炎の東──」
刀を振り、球を切り落そうとした。
だが、それは男のボディーブローにより中断される。
初速が足りなかったかッ!!!
メキメキと腹にこぶしがめり込み、ルドウィッチはレヴィ同様吹っ飛ばされた。
外まで吹っ飛ばされ、床にたたきつけられる。
ルドウィッチは立ち上がろうとした。
だが、体が悲鳴を上げて動かない。
先ほどのボディーブローがあまりにも強烈過ぎたのだ。
突き破られた壁から男はこちらを見下ろしており、目が合う。
あ、死んだ。
ルドウィッチは確かにそう思った。
今までの人生が走馬灯のように走り出す。
出来損ないの兄に負けた事。
絶望の中、剣星の魔女に出会った事。
できればあの技だけは完成させたかった。
少しでも尊敬するあの人に近づきたかった。
もっと……もっと自分に才能が有れば、
後悔ばかりが胸を締め付ける。
だが、そんなルドウィッチであるが、すぐさま正気に戻った。
それは、男が放つものとは別のドス黒い殺気によってだった。
暗い、暗い、殺気。
凄まじいプレッシャーを感じる。
蛇が首に巻き付いているようだ。
今まで生きてきた中でここまで恐ろしい感覚は、ない。
本能がこれには勝てぬと言っている、今すぐひれ伏せと言っている。
先ほど、床にたたきつけられ動かなくなったレヴィの体がピクリ、と動いた。
そして、ゆっくりと体が起き上がる。
操り人形が糸に引かれるように、何かに引かれながらぎこちなく立ち上がってゆく。
表情は冷たく、先ほどまで見せていた雰囲気とはかけ離れている。
「敵に告ぐ、直ちに武器を捨てて投降せよ」
恐ろしいほど冷たい声。
何の感情も孕んでおらず、機械のようだ。
全身の神経が逆なでされるような感覚。
まるで別人じゃないか。
なにか、目覚めさせてはならない物を目覚めさせたのではないか。
ルドウィッチは末恐ろしかった。
「投降しないなら……殺す」
変わらず無表情のまま、言い放った。
虚空に手をかかげると、紫電が撒き散らされ美しい一振りの刀が出現した。
ここに、剣星の魔女と
話数が多くなって管理が大変になったので圧縮しました。