第3回「なぜ妻が犠牲に」の答えは 電車脱線の背景に連鎖した組織要因

千種辰弥 瀬戸口和秀

【連載】命と教訓 JR宝塚線脱線事故20年

  JR史上、最悪の惨事となったJR宝塚線脱線事故から25日で20年になる。妻を奪った事故の原因を追究し続けた男性は「命の代償として、教訓を社会に根付かせてほしい」と願う。遺族やJR西関係者への取材、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の報告書などに基づき、事故はなぜ起きたのか、教訓は生かされているのかを追った。

 JR宝塚線(福知山線)脱線事故から4年半余り。遺族とJR西日本が共同で事故原因を検証する異例の会議が始まった。事故で妻と妹を亡くした浅野弥三一が求めたのは、「なぜ家族が死ななければならなかったのか」という問いを、とことんまで突き詰めることだった。

 事故の直接的な原因は、運転士がブレーキをかけ遅れ、制限速度を超過してカーブに進入したことだと国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の調査で分かっている。しかし浅野は、ブレーキの遅れという個人のミスの背景に、JR西の組織的な問題があると考えていた。

 共同検証は2014年まで足かけ6年、二つの会議を重ね、計27回開かれた。遺族がJR西側の説明に納得せず席を立つほど、激しい議論が交わされたこともあった。

弱い経営基盤 重ねたスピードアップ策

 みえてきた事故の背景要因は複雑に絡み合う。国鉄の分割民営化で1987年に誕生したJR西は経営基盤が弱く、「私鉄王国」といわれた関西で客を増やすため、電車の「スピードアップ」策を重ねた。

 事故が起きた宝塚線では、1991年に最高速度を時速100キロから120キロに引き上げ、基準となる運転時間や駅の停車時間を次々に短縮。事故を起こしたのと同時刻に宝塚駅を出発する電車は、事故前の約2カ月間で半数以上が定刻を守れないほど、厳しいダイヤになっていた。

 最高速度を上げた結果、運転士は事故が起きたカーブの手前で最高速度120キロから70キロまで大きく減速する必要があった。事故後、運転士に実施したアンケートでは、回答者の約半数が速度を出しすぎると脱線の危険性を感じ、カーブへの自動列車停止装置(ATS-P)の設置が必要と考えていた。しかし、事故時は未設置だった。

 安全運行はもっぱら運転士の技量に依存したが、当時はミスをすれば、懲罰的とされる「日勤教育」を課し、逆にミスを誘発しかねない状態だった。

 事故を起こした運転士は当日、余裕のないダイヤのもと、伊丹駅でホームを行きすぎ、運行を遅れさせ、遅れを取り戻そうと速度をあげた。同時に日勤教育を恐れ、駅で行きすぎた距離の虚偽報告を車掌に依頼。車掌から指令員への報告内容に気をとられ、ブレーキが遅れたとみられている。

 共同検証の報告書は、短縮したダイヤが安全かどうか評価する仕組みがなかったうえ、ATS-Pを設置する事故防止策が伴っていなかったとした。また、処分によってミスを防ぐという誤った管理方法が、虚偽報告が行われる土壌を生んだと指摘。事故につながったJR西の組織的な問題を浮かび上がらせた。

 事故を受け、国は急カーブへのATS設置を義務化。JR西は余裕のないダイヤを全社的に見直し、ダイヤ改正に伴うリスクを考慮したうえで、必要な安全対策を同時に実施するように変更。故意などでないミスは原則処分せず、報告を促して再発防止につなげる運用に改めた。

 それでも、同社は2017年、異音があった「のぞみ」を走らせ、台車に破断寸前の亀裂が見つかる問題を起こす。JR西以外でもトラブルは後を絶たない。東北新幹線の大宮―上野間では昨年1月23日、架線を引っ張る重り設備が破断。東北、上越、北陸新幹線の一部区間が終日運休し、約12万人に影響した。05年に同様の事故が起きて再発防止マニュアルはあったが、点検範囲を誤っていた。東海道新幹線では昨年7月、夜に線路を整備する保守用車両が衝突・脱線する事故が発生した。ブレーキ装置の点検方法を誤り、一部車両のブレーキがほぼ利かない状態だった。

 「妻の命の代償として、せめて事故の教訓を社会に『遺産』として根付かせたい」。その思いで浅野は20年、闘ってきた。共同検証の報告書が出た時は「『なぜこんな事故が』という遺族の思いを癒やす一助になる。鉄道の安全への道筋がついた」と思った。

 しかし、最近はその道筋が見えにくくなったと感じている。浅野は、83歳になった。「妻を思えば、現在の鉄道の状況でよいか、自分の中でけりがつかない。もうしばらく、鉄道の安全を見続けたい」

 =敬称略

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この記事を書いた人
千種辰弥
大阪社会部|災害担当
専門・関心分野
災害・気象、地球温暖化、マイノリティー