とある酒場で痛切な願いが告げられてから4日後の事である。
三日三晩
女神は泣いた。
その後ヘディンの事務仕事を手伝い、【
琥珀が決意を胸に訪れたのは『豊穣の女主人』であった。彼の身を案ずる給仕達を他所に、琥珀は『娘』の前に立ってこう告げた。
『あの日作ろうとしたモノをもう一度作って欲しい』
『娘』は歓喜した。
今度こそ胃袋を掴んじゃうゾ☆と意気込んで見せたが、その決意は空振りに終わるし、更なる悲劇への助走であった。これは断じて序章ではない、第二章である。
名誉挽回あるいは起死回生の一品は、四日前とは違い見映えも普通、匂いも普通。何処まで行っても普通のポトフだった。さぁ召し上がれ、と語尾にハートが付いてそうな笑顔に、彼女の同僚も周りの客もほっこりした。
しかし厳しい表情の
静寂に満ちたフロアに、静かに響いたのは琥珀の言葉。
『味見しました?』
これに抗議の声を上げたのは、彼女の同僚であるクソ雑魚妖精であった。彼女が琥珀の胸倉を掴むより速く、その口に致命の一匙が叩き込まれる。
女神アストレアの眷族が一人【疾風】、撃沈。
正義の調べが一つ潰えた……と言うのは大仰に過ぎたが、声なく床に倒れ伏したその様は、正しく絨毯。とある世界であれば『疾風でさえ────!!』の文字と共に次週の予告が入るぐらい鮮やかな瞬殺劇。
『四日で名状しがたい汁物から推定:ポトフにまで仕上げた努力と、それにかけたであろう情熱。賞賛されて然るべき……そう思います。思いますが、しかしその成果がコレ、
琥珀は真剣だった、そして辛辣だった。酔客の一人が声を上げるが、振り向いた琥珀の一瞥に、顔面蒼白となった。そこにいたのはオザキ・琥珀でなく、卯ノ花剣八だった。とは言え、男がそれを知る由もない。
琥珀は無言でポトフの皿を片手にゆっくりと歩み寄る。近くにいた客が一斉に後退った。件の客も逃げたかったが、蛇に睨まれた蛙のごとく。琥珀は一足一刀の間合いで止まり、口を開いた。
「ご飯ですよ。食べたら死ぬんです。死なない様に死ぬほど説教するなんて、みんなやってる事でしょう」
『娘』は泣いた。
この後推定:ポトフは
そして翌日。
【ステイタス】の更新に訪れた琥珀に、二つ目の【魔法】と新たな【スキル】が発現した。以下にその効果を記す。
【コドクノミナイ】
・
・毒属性。
・超短文詠唱。
・詠唱式【静謐よ】。
【
・
・状態異常無視。
因みに耐久と魔力がそれぞれDとFまで伸びており、偉業を成し遂げれば【ランクアップ】可能な域まで成長していた。この時点で前回の【ランクアップ】から8日目である。琥珀は眉をひそめたが、特に何も言わずに部屋を出た。彼が神室から退出した後、フレイヤは『席を外して』と己が付き人に告げた。そして主だけが部屋に残る事になる。
フレイヤは長椅子から立ち上がると部屋の隅に向かい、そこで膝を抱えて背中を丸めた。そのまま一日を過ごしたと言う。
ヘルンはキレた。
数日後。
琥珀が二度のダンジョンアタックを経て【ステイタス】更新の為、フレイヤの神室に訪れた。前回の【ランクアップ】から半月後の事である。
「ちょっと相談したい事がありまして」
「……何かしら?」
前回の更新から微妙に煤けた様子のフレイヤが問えば、琥珀がこう続けた。
「ダンジョンアタックを四日に一度にしようと思うんです。ダンジョンアタック・へディンさんの補助・『洗礼』の回復支援・『豊穣の女主人』って感じのローテーションにしようかと」
「詳しく」
無意識に眷族の鼻先まで顔を近づけたフレイヤは、ゆっくりと身を離して小さく咳払い。
「……それで?」
「ミアさん……酒場の店主さんなんですが、従業員の子に料理を教えてやって欲しいと頼まれまして。曰く店の切り盛りに時間を回したいから、言い出しっぺのお前が手伝えと」
「貴方料理出来るの?」
「誰もが美味いと認める物は無理ですけど、誰でも食べられる物なら作れますよ?」
フレイヤは泣きそうになったが、グッと堪えた。
「好きになさい……それにしても」
「それにしても?」
咎める様な口調でフレイヤが琥珀に問う。
「その……貴方が料理を教える娘はそんなに下手なの?」
「無駄に器用ですね」
容赦のない言葉がボディブローの様に突き刺さる。
「一ヶ月……は無理かな、半年か一年か。或いはそれ以上かかるのか分かりませんが、上達すると思いますよ。ちょっとそそっかしい子ですけど、ひた向きな所は好感が持てます」
そう言って小さく笑う琥珀を無言で見詰め、フレイヤは素っ気なく『そう』とだけ言い、彼に退室を促した。
神室に美の女神だけが残り5分程経つと、彼女はふらふらとベッドへと向かい、顔からダイブすると枕を抱いて両脚をバタバタさせた。
女神の喜びは頂点に達した。
「さてと。これで飯マズが一柱減るといいんだけど」
飴と鞭の使い分けって大事だよね。
琥珀は小さくそう言うと、朝食に向かうのだった。