2017-01-11
葛西敬之
「国士だった」 葛西氏死去で安倍元首相
産経 2022/5/27 17:29
自民党の安倍晋三元首相は27日、旧国鉄の分割民営化で中心的役割を果たしたJR東海名誉会長の葛西敬之氏の死去について「寂しい気持ちだ。素晴らしい経営者だったが、一言で言えば国士だった。体の重心の真ん中に常に国家があり、常に国家のことを考えておられる人だった」と述べた。国会内で記者団に語った。葛西氏は安倍氏と親交が深く、集団的自衛権行使容認に向けた有識者会議のメンバーなどを務めた。安倍氏は「葛西氏は『このままでは日米同盟は危険な状況になる。それを防ぐためにも、集団的自衛権の行使を可能にしなければならない』と言い続けてきた。晩年は宇宙政策について提言をまとめていただいた」と振り返った。その上で、「先見性と実行力のある人だった。改めて心からご冥福をお祈りしたい」と悼んだ。
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「安倍政権最大の後見人」JR東海・葛西敬之が安倍晋三よりも昵懇だった“意外な政治家の名前”
yahoo 12/12(月)配信
2022年は、この10年のあいだ日本を動かしてきた「二人の大物」が続けざまに死んだ年として、後世語られるかもしれない。一人は安倍晋三。もう一人が、安倍のブレインにして安倍政権の「フィクサー」と呼ばれた、JR東海名誉会長の葛西敬之だ。『国商 最後のフィクサー葛西敬之』では、硬派のジャーナリスト森功氏が、そんな葛西の知られざる素顔に迫る。JR東海は日本を代表する広告主のため、葛西については新聞テレビはもちろん、文春砲を筆頭とする週刊誌メディアもこれまで触れることができなかった。タブーの扉が、いま開く。
『国商 最後のフィクサー葛西敬之』連載第1回後編
前編記事【安倍晋三を裏で操った「最後のフィクサー」JR東海・葛西敬之の知られざる正体…安倍が「国士」と称えた男が最期に抱えていた“爆弾”】
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政界の黒幕と呼ばれてきた大物財界人
現首相の岸田文雄は葛西の訃報が流れた明くる5月28日、山梨県都留(つる)市にあるリニアの実験線を視察した。もとよりあらかじめスケジュールに入っていたのだろう。岸田は記者団を前に、未着工区間である名古屋~大阪間の環境影響評価(アセスメント)を進める、と次のように述べた。
「(リニア中央新幹線の)全線開業の前倒しを図るため、来年から着手できるよう、沿線自治体と連携しつつ指導、支援していく」
超電導リニアは、葛西の悲願であった。享年81。日本国有鉄道の民営化を成し遂げた「国鉄改革三人組」の一人と称された。国鉄民営化以降、JR東海を率いた葛西は近年、政界の黒幕と呼ばれてきた大物財界人である。
安倍のカムバックを強力に後押し
葛西は2度首相の座に就き、日本の憲政史上最長となった安倍晋三政権における最大の後見人と目されてきた。それゆえ政界とのつながりが深いようにイメージされてきたかもしれない。だが、実のところはそうでもない。
国鉄の民営化に奔走した頃は、自民党の運輸・鉄道族議員たちを動かした。半面、懇意の政治家はそう多くはない。最も篤(あつ)く結ばれてきた国会議員は、自民党と民主党を渡り歩いた与謝野馨(かおる)だ。与謝野との縁で安倍と知り合い、互いの親米、保守タカ派の思想が共鳴し合い、安倍を首相にしようと支援するようになった。
葛西は小泉純一郎が安倍に政権を譲る少し前に国家公安委員に選ばれ、教育再生会議のメンバーとしてときの内閣との結びつきを深めていく。自民党が下野したあとの民主党政権時代にも、東日本大震災に見舞われた政府の政策に関与していった。葛西は福島第一原発事故により、経営危機に陥った東京電力の経営・財務調査委員会ならびに原子力損害賠償支援機構運営委員会の委員に就任する。そこでも独特の持論を展開した。
「社会インフラである電力事業を政府の役人に任せきりではろくなことにならない」
脱原発や電力自由化の気運が高まるなか、葛西はそこに異を唱え、むしろ原発再稼働の旗を振るようになる。そうして安倍の政権カムバックを強力に後押しし、実際にそれを実現させた。
閣僚や官僚の人事も葛西の指示だった
第二次安倍政権の発足にあたり、安倍の側近として旧知の官邸官僚を送り込んだ。その一人が警察庁出身の杉田和博であり、経産省出身の今井尚哉(たかや)だった。警察庁でもっぱら警備・公安畑を歩んできた杉田は、国鉄改革時代から極左の労働組合運動と対峙してきた葛西にとって頼りになる友人といえた。
また、今井は第一次安倍政権時代に事務担当の首相秘書官を務め、政権の奪還に汗をかいてきた。葛西が信を置く経産官僚の一人でもあり、交友を重ねてきた。ときに葛西は安倍から内閣の主要閣僚や官僚人事の相談を受け、アドバイスしてきたといわれる。
葛西の悲願だった超電導リニアの実現は、安倍政権の経済政策アベノミクスにおける成長戦略の目玉に位置付けられた。リニア事業はここからまさに政治と一体化したビジネスとなる。財投という政府の資金を使うことになったJR東海は工事を急いだ。
そして葛西と政権との蜜月は、安倍のあとを引き継いで首相に就いた菅義偉にも受け継がれる。岸田政権が誕生したあとも、葛西の影がさまざまな場面でちらついてきた。
奇しくも岸田が参議院選挙に臨んだ投票日2日前の7月8日、安倍は奈良県近鉄大和(やまと)西大寺(さいだいじ)駅前で応援演説をしている最中に凶弾に見舞われ、命を落とした。葛西の死からわずかひと月半後の出来事である。この10年のあいだ、葛西と安倍の二人は日本の中心にいて、 この国を動かしてきた。それは疑いようのない事実であろう。
一国の首相が「憂国の士」と敬愛してやまない葛西は、財界のなかでも類を見ない愛国者に違いない。半面、日本という国を舞台にビジネスを展開し、政府や政策を操ろうとしてきた。政策の表舞台に立たない黒幕だけにその実像はほとんど伝えられなかった。最後のフィクサーと呼ばれる。
『国商 最後のフィクサー葛西敬之』は、葛西敬之の知られざる素顔に迫るノンフィクションである。
森 功(ジャーナリスト)
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朝日新聞デジタル記事
「山県有朋」薦めた葛西敬之さん 死の前に安倍氏に伝えたかったこと
奈良部健2022年11月11日
財界の枠におさまらない人だった。常に国家を考え、外交安保から歴史、教育まで幅広く発信した。JR東海名誉会長だった葛西敬之さんが亡くなってから、半年がたとうとしている。歴史に「もし」はないが、葛西さんがいなかったら、東海道新幹線は現在のような在りようではなかったかもしれないし、リニアもどうだったかわからない。彼が成し遂げ、残していったものとは何だったのか。
商売だけで語れない新幹線輸出 JR東海・葛西敬之氏が残した警句
菅前首相が引用した「山県有朋」 文庫解説者「出来すぎた話ですね」
数年前から病に侵されていることを近しい人に告げ、葬儀や火葬の場所、参列者を自ら決めた。「死を制御」して、自ら人生の幕を閉じる。「無駄な延命治療はしない」。死に正面から向き合い、コントロールしようとしていた。 私にも「やり残したことはあるが、年齢には勝てない」と話した。出社を続けたが、「あと1カ月で死ぬ」と語って入院。それからは、家族以外の人には会わなかった。
唯一の例外が、首相として3度目の再起を託していた安倍晋三氏だった。入院から亡くなる1カ月半の間に3度、見舞いを受けた。 なぜ安倍氏なのか。憲法改正や歴史観など、右派論客として共鳴する主張が理由だと思っていたが、意外な答えが返ってきた。「ウォーム・ハートだね。心根が本当にやさしい」 最後の面会では、手を握って…
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異端の経済人、安倍元首相の後見人…葛西敬之氏、自身の正義貫く
毎日新聞 2022/5/27 20:43
国鉄改革3人組の一人にして、史上最長政権を築いた安倍晋三元首相の後見人。27日、訃報が伝えられた葛西敬之・JR東海名誉会長は、周囲の批判をものともせず確固たる意志を貫く人だった。私が初めて葛西氏に会ったのは民主党政権時代の2011年、東京の葛西邸への夜回り取材だった。当時、葛西氏は「異端の経済人」とみなされていた。国鉄分割民営化の立役者で「JR東海の天皇」などと呼ばれる一方、多くの企業が有望市場とみなす中国を「信用ならざる国」だと公言し、財界から冷ややかな目で見られていた。葛西氏は福島第1原発事故で経営危機に陥った東京電力の再建策を協議する政府委員に内定していた。帰宅時、東電の改革方針を尋ねると「国に経営を任せてはろくなことがない」「石油を巡り先の大戦へと向かったのを忘れたのか。原発は再稼働すべきだ」と明言した。
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「葛西さんの遺影を前に、安倍さんは…」前官房副長官・杉田和博氏が盟友・葛西敬之氏の素顔を語った
「文藝春秋」編集部2022/08/10
今年5月25日に間質性肺炎で死去したJR東海名誉会長の葛西敬之氏(享年81)。
前官房副長官の杉田和博氏が「文藝春秋」のインタビューに応じ、30年来の盟友だった葛西氏の功績と知られざる人柄について明かした。
「最初の出会いは1993年のことでした。当時、私は神奈川県警本部長の職にあり、そこにJR東海の副社長だった葛西さんがお見えになりました。もちろん、それ以前から葛西さんの名前は知っていました。1987年に、中曽根政権のもとで実施された国鉄分割民営化の際、40代の若さで42万人を抱える巨大企業の前途を切り拓いた」
「そのとき印象的だったのは、葛西さんが『自分たちは、現実から目を背けることなく組合に対処してきた』とその経験を熱く語られたことでした。JR各社では、動労(国鉄動力車労働組合)、更には国労(国鉄労働組合)といった旧国鉄の労組の影響が経営面でも依然として残っていました。JR東海ではその影響を断固排除しようと葛西さんが先頭に立っていた。そのため卑劣な攻撃に晒されることもありましたが、わが身を挺して戦っていました。私自身も国鉄の頃から労働組合の問題はずっと注視してきましたし、問題意識も持っていましたので、葛西さんからの組合問題の相談に乗ったこともありました」
葛西氏は、財界人の集まりである「四季の会」の中心メンバーとして、安倍晋三元首相を一貫して支援してきたことでも知られている。杉田氏は長きにわたる2人の交流を間近で見てきた数少ない人物だ。
「JR東海名誉会長の葛西敬之さんの葬儀には、安倍晋三元首相も参列されていました。遺影を前にして弔辞に立った安倍さんはこう語りかけました。
『葛西さんに病床で「日本の将来を頼みます」と仰っていただいた。その最後の言葉を胸に、国政に全力で邁進します』
死を覚悟された葛西さんは、安倍さんに日本の将来を託された。その厚い信頼に対する安倍さんの言葉を受け、感動は増上寺の斎場に伝わりました。つい六月半ばのことです。それからわずか1カ月足らずで、その安倍さんが凶弾に倒れられた。安倍さんの葬儀で再び増上寺に向かう道すがら、あまりの運命の苛酷さに言葉を失いました。今もまったく心の整理がついてないのが正直なところです」
「葛西さんは、入院してから家族以外の面会は謝絶していたのに、唯一、安倍さんのお見舞いだけは3回も受けたのです。葛西さんと安倍さんの繋がりというと『四季の会』が有名ですが、葛西さんはそれ以前から『高瀬会』という会合にも関わっていた。もとは葛西さんと、東大で同級生だった与謝野馨さんの2人が作った会です。霞が関の官僚や民間企業の有望株を集め、天王洲の高架下にあった高瀬というお店で開催していた。それで高瀬会。いつも10人以上は来ていたと思います。元郵政大臣の野田聖子さんや元文科大臣の遠山敦子さんなども参加していた。一方で安倍さんにはその後、葛西さんが中心となってつくった『四季の会』がバックボーンとなった面があったと思います」
「葛西さんは安倍さんを政治家としてだけでなく1人の人間として支えていたように思います。第一次政権を志半ばで退陣し、安倍さんが最も辛かったときも、葛西さんは一生懸命励まして再起を促していました。だから安倍さんも非常に恩義を感じていたはずです」
「『無駄な延命治療はしない』という明確なお考えをお持ちで、友人だった医師の死に強く影響を受けていたようです。葛西さんによれば、消化器外科が専門だったその友人は、自分自身に末期の大腸ガンが見つかった時、自分の死期を明確に悟った。そこで元気なうちに社会的な整理を済ませ、入院してからは家族以外には誰とも会わず自然に任せて眠るように亡くなったということでした。葛西さんの言葉を借りれば『生を制御』して、自ら人生の幕を閉じたと。ずっとその医師のことが念頭にあったようです」「亡くなる少し前に、私は葛西さんと電話でお話ししました。元気な時に比べると声も弱々しくなり、言葉を継ぐのが苦しくなっていた。だから、いつものように国の情勢についてとか、そんな難しい話はしません。私の方から『長くならないようにしましょう』『お声が聞けただけで充分ですから』と伝えました」
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保守派の論客 安倍元首相のブレーン JR東海の葛西敬之さん死去
東京新聞 2022年5月28日
二十五日死去したJR東海の葛西敬之元会長・社長は、保守派の論客の一人だった。二十八年間にわたってJR東海の代表取締役を務めたのも政治に直言できたからだ。 国鉄民営化を進めた三塚博元運輸相・通産相(故人)らと親密であり、その関係からか自民党清和会系の政治家と近かった。その民営化の際には「国鉄改革の三人組」の一人として、労働組合と対峙(たいじ)して労務対策では辣腕(らつわん)を振るった。 日本商工会議所の三村明夫会頭は二十七日の定例会見で「東大では同期。年齢(八十一歳)でも同じ。(安倍晋三氏を囲む)四季の会にも誘われた。個人的にはそれほど親しい関係ではなかった。中国には独特の考えがあった」と振り返った。その安倍氏を囲む「四季の会」は与謝野馨氏(故人)らの呼び掛けで二〇〇〇年に有力経済人らで発足、葛西氏はその幹事役、経済の中心ブレーンとして保守派の有力政治家と連携していた。 巨大な経済市場として中国に期待する経済人とは一線を画した。多くの中国人技術者が東海道新幹線を過去に視察していたが、その技術を会得した後、リニア新幹線に着手した。日本の地位を脅かしかねない中国に対抗する意味合いもあったのだろう。 (中沢幸彦)
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葛西敬之 国鉄を改革した男はいかにして「国商」になったか
JR東海元名誉会長 息のかかった官僚を次々と官邸に送り込み政権を裏から支配し、 安倍晋三の後見人とも呼ばれた財界の大物――
friday 2022年12月15日
〈今年5月、一人の男がこの世を去った。「最後のフィクサー」と呼ばれた、東海旅客鉄道(JR東海)元名誉会長の葛西敬之である。彼の足跡、政治家との交わりなど、そのすべてを描いた渾身のノンフィクション『国商 最後のフィクサー葛西敬之』が12月14日に刊行された。同書の著者である、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする〉
この十数年、日本を動かしてきた人物は? 仮にそんなアンケート調査をすれば、憲政史上最長の政権を築いた元首相の安倍晋三が1位ではないだろうか。’06年9月26日からきっちり1年で終わった第1次政権から’12年12月26日、首相に返り咲いた。1次政権と’20年9月16日までの第2次政権を足し合わせると、首相在位は8年半におよぶ。おまけに安倍は事実上、女房役だった官房長官の菅義偉を後継指名した。安倍・菅のコンビで10年近く政権に居座り続けたことになる。安倍と菅は自民党内の勢力を押さえ込み、霞が関の高級官僚たちを人事で震え上がらせてきた。過去の首相たちも自らの権力強化に力を注いできたが、安倍ほどの力を持てなかった。巷間(こうかん)言われてきた通り、その歪な官邸一強支配が長期政権の礎になってきたのは間違いない。なぜ、安倍はこれほど長く強大な権力を維持できたのか。しかし実のところ、本当の理由は解明されていない。その答えが、東海旅客鉄道(JR東海)元名誉会長の葛西敬之(よしゆき)の存在である。安倍晋三の財界応援団「四季の会」を主宰し、政権の後ろ盾になってきた。永田町や霞が関では知らない者がないほどの大物経営者である。もっともJR東海の葛西といっても、一般には馴染みが薄いかもしれない。それは、政治家と異なり、マスコミの露出が少なかったからだろう。文字通り、葛西は安倍・菅政権における黒幕にほかならない。かつて日本にはときの政権と通じ、政策に乗ってビジネスを展開してきた黒幕が数多く存在してきた。日頃はほとんど表舞台に立たない。が、時折その姿を現し、話題を呼ぶ。田中角栄の盟友と称された「国際興業」社主の小佐野賢治や中曽根康弘のブレーンだった「伊藤忠商事」元会長の瀬島龍三たちの顔が思い浮かぶ。彼らは政権のフィクサーとして、国の政策に大きくかかわり、時代を彩った。葛西もまた歴史に残るそんな黒幕の一人であり、もはやこの先現れない最後のフィクサーだといえるかもしれない。
「安倍さんを励まし続けた」
葛西敬之は紛れもなくこの十数年来、日本を動かしてきた。安倍・菅政権の裏側にいて、数多くの政策にかかわり、それが国策となったと言って差し支えあるまい。
国鉄官僚時代は「国鉄改革三人組」の一人として、’87年4月の国鉄分割民営化を成し遂げ、その後、JR東海の社長や会長を歴任してきた。葛西は中国嫌いの反共、保守・右翼思想の論客として知られる。靖国神社の「崇敬者総代」や「日本会議」の中央委員を務めてきた。安倍はそんな葛西の保守思想を仰ぎ見て頼り、葛西もそれに応えた。
「葛西さんは第1次安倍政権をつくろうと四季の会のメンバーを動かし、安倍さんは総理になりました。ところが、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、政権を投げ出してしまった。葛西さんはそこから安倍さんを励まし続けた。『ステロイドを服用しているので辛い』と安倍さんが四季の会に出てきてこぼしていたのを思い出します」
そう語る四季の会のメンバーもいる。安倍はアサコールという特効薬のおかげで病状が回復し、葛西とともに政権カムバックに向けて走り出す。それもまた、葛西の支えがあればこそだった。
そうして’12年12月、再び首相となった安倍は、第1次政権の轍を踏まないよう肝に銘じた。第2次安倍政権で目指したのが、徹底した官邸機能の強化とマスコミ対策である。安倍は信頼できる官僚たちを首相官邸に呼び寄せ、政策立案を託した。「総理の分身」となり、アベノミクスを取り仕切った政務秘書官の今井尚哉をはじめ、「官邸の守護神」と異名をとって官房副長官と内閣人事局長を兼務した元警察官僚の杉田和博、さらに杉田の後輩の北村滋は内閣情報官や国家安全保障局長に就いた。彼らは「官邸官僚」と政官界で恐れられる。
実はそんな官邸官僚たちは、葛西が大事にしてきたブレーンでもあった。つまり葛西は安倍のみならず官邸官僚たちも従え、おかげで安倍は一強の名をほしいままにし、安定政権を築けたのである。
葛西敬之は国を舞台にビジネスを展開した。ときの首相に国策を指南する「国商」といえる。
奇しくも今年、日本を動かしてきた葛西と安倍の二人が相次いで命を落とした。そこから岸田文雄政権の迷走が始まった。
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2022年10月3日事業戦略
名経営者の知恵に学ぶ~葛西敬之編~
(記事提供元:株式会社プレジデント社 企画編集部)
JR東海の葛西敬之名誉会長は、28年間に渡り同社の代表取締役を務め、不可能とされた「国鉄分割民営化」の改革を実現した「国鉄改革三人組」の一人です。
東京から大阪間を飛び交う航空機に対抗するため、新幹線の最高速度を時速50kmtも引き上げた新型車両「300系」を導入し、また、東海道新幹線品川駅の開業、リニア中央新幹線の実現にも尽力する等、生涯を通じて先進的な取り組みで時代を切り拓いてきました。
本稿では葛西の逸話から、「自身の意思を貫き、力強く企業を導く経営者の姿」を紐解きます。
「正しいこと」を信じ、実行する
誰もが不可能だと考える課題、一見常識はずれの事業を成功に導くためには、何が必要なのでしょうか。葛西の生涯から読み解くに、それは、周囲の反発や既存の常識に囚われず、果敢に挑み続ける強固な胆力です。葛西は「處事不可有心」(ことを処するには心あるべからず『宋名臣言行録』)の考えを重んじていました。これは「物事を処置していく際には、損得や名誉等をあれこれ考える気持ちがあってはならない」「何かを成し遂げるにはそれが正しいかどうかだけを考えよ」という意味です。この言葉からも見えるように、葛西が強い意志で大きな判断を下すことができたのは、常に「何が正しいか」を自身の判断基準にしていたからでした。
1940年、兵庫県明石市に葛西は生まれました。
幼少の頃より、中学校の国語・漢文の教師だった父から与謝蕪村や松尾芭蕉の俳句、論語の暗唱をさせられていたといいます。家族の食卓では、文学だけでなく歴史や外交、時事問題にまで話題が広がり、討論会が繰り広げられたそう。のちに葛西は、「物事の判断基準や、臆せずに自分の意見を言う姿勢は、こうした家庭環境で培われた」と振り返っています。葛西が国鉄(日本国有鉄道)に入ろうと決めたのは、大学生時代でした。落とした学生証を荻窪駅に受け取りに行った際、駅の助役から「東大の法学部なら、国鉄での出世がすごく早いよ」と勧められたことがきっかけだったといいます。出世が早ければ将来は面白い仕事ができるに違いない。そう考え、「他にやりたいことが見つかれば転職すればいいや」程度の気持ちで、国鉄への入社を決めたといいます。
ところが、入社して間もなく「ここは自分が一生過ごす場所ではない」との思いに駆られました。国鉄は、葛西が入社した翌年から赤字に転落していったのです。余裕がない状態でも組織内の危機感は薄く、職場の規律は大きく乱れていました。葛西は静岡や仙台の鉄道管理局勤務となりましたが、そこも職務態度の悪い労働組合の組合員がのさばっていて、現場の管理者たちが苦しい立場に追いやられていたといいます。真面目に働く現場の人たちを守り、国鉄を生き返らせるには何をすればいいのだろうか。「何が正しいか」を判断基準にして葛西は考えました。そして、「労組となれ合う本社の方針に抗うしかない。正しいことをやるためには妥協せずに筋を通すまでだ」と思い至ります。この考えが、やがて「国鉄の再生には分割民営化しかない」という確信を胸に抱くことにつながるのです。国鉄が「一生過ごす場所ではない」と考えていた葛西でしたが、一方で、目の前にある正しいことをやり切るという姿勢に、彼の人間性が表れているのでしょう。
国鉄の経営悪化における原因の一つが「労使関係の腐敗による組織秩序の崩壊」であることは間違いありませんでした。その他にも「過剰な人員と人件費」「輸送手段の航空機や自動車へのシフト」「政府により押し付けられた赤字ローカル線」「先送りされた運賃改定」等の説があげられており、それらが複雑に絡み合いながら、国鉄を疲弊させていったといわれています。
葛西は仙台局総務部長のときに、現場にはびこる悪慣行(職場での飲酒やヤミ超勤、違法ストライキ等)をやめさせるために、信賞必罰を徹底するようになりました。
これに対して過激な組合員が扇動し、現場の管理者を取り囲んで反発・威嚇することもあったそうです。葛西はのちに「仙台鉄道管理局での勤務は、私の鉄道人生のターニングポイントになった。組織の方針や価値観に囚われずに実態を見極め、自分が正しいと思うことをやる。この姿勢を貫くことで、私は自立した」と語っています。
徹底した合理主義、そして民営化へ
1981年4月、葛西は主幹の肩書とともに、4年ぶりに東京の国鉄本社に戻ってきました。配属されたのは「経営計画室」。当時、国鉄の経営計画室は、重要な仕事のない閑職でした。葛西の力を弱めたい組合が裏工作を行い、お金と権限のない部署に追いやったのです。しかし、「国鉄を再生させるには、過去を切り離すしかない」との思いを強くしていた葛西の中では、「やるべきこと=分割民営化」が明確化していました。巨大組織である国鉄の分割民営化は困難を極めると予想されましたが、閑職であるはずの経営計画室に「第二次臨時行政調査会(第二臨調)担当総裁室調査役」という兼務が付き、思いがけず事態は好転していくことになります。
葛西は、1965年に約46万人いた職員を、民営化の前年である1986年には私鉄並みの約27万人に減らす等、徹底した合理化を敢行しました。また、民営化のためには地域分割も不可欠であると考えたため、東京の国電(大都市周辺で運転された、日本国有鉄道の近距離専用電車線)や東海道新幹線の利益で地方路線の赤字を埋めるための仕組みである「全国一律の運賃」にもメスを入れます。葛西は「分割民営化」を、それまでの国鉄の腐敗・疲弊しきった体質から脱却するため、絶対的に必要な荒療治と考え、プロジェクトを推進していきました。
そして、1987年4月、ついに国鉄の分割民営化を実現します。
本州3社(東日本、東海、西日本)と島3社(北海道、九州、四国)に加え、貨物の1社を発足させたのです。これが、現在のJRとなりました。当時を振り返り、葛西は「正しいと思うことを曲げずにいれば、道は開ける」「最終答申は、私たちが委員会の事務局と作り上げてきた構想に沿った形になった。国鉄上層部の人事も刷新され、苦しい戦いを強いられてきた私は、突然視界が開けた」と述べています。
未来を切り拓いた「強い意志」
その後、葛西は国鉄分割民営化により発足した本州3社のうちの1社、JR東海の取締役総合企画本部長に着任。そして、さっそく東海道新幹線の「疲弊」と「陳腐化」に注目します。それが顕著に表れていたのが、同社が保有する老朽化した車体です。
東海道新幹線の車体は1964年の開業以来、23年間も酷使され、その間技術的な進化もほとんどありませんでした。ちょうど葛西は、1987年の末にフランスの誇る高速鉄道TGVに乗車する機会があり、その際、同行したエンジニアに「世界最速時速270 kmtは新幹線では難しいのか」と質問したといいます。するとエンジニアは「東海道新幹線の場合は騒音・振動対策や耐震性強化が必要なうえに、カーブもTGVよりきついが、時速220 kmtから時速270 kmtにはあげられる」と即答したそうです。葛西は、借金をしてでも東海道新幹線の改善・強化投資を行うべきだと考え、帰国早々、「新幹線速度向上プロジェクト委員会」を立ちあげることになります。こうして誕生したのが、「新幹線300系電車(のぞみ)」です。「300系」は、それまでの新幹線の速度を一層高速化した車両で、当時、時速220kmtだった新幹線の最高速度を時速50kmtも引きあげ、時速270kmtで走行できました。そして、3時間かかっていた東京~新大阪間の移動時間を2時間30分に短縮することになるのです。また、葛西が音頭を取り、食堂車の廃止も進めました。
「旅情がなくなる」等、反対の声もありましたが、葛西は「食堂車の代わりに座席を備えて、もっと多くのお客さんが乗れるようにした方がずっと良い」と考えました。その結果、新幹線が大量輸送に特化することにもつながったのです。「何かを成し遂げるにはそれが正しいかどうかだけを考えよ」葛西の考えはぶれることなく、更なる進展を遂げます。“正しいこと”は人それぞれ異なりますが、葛西は会社の業績改善、発展を見据え、判断基準にしていました。その実現に資することであれば、彼にとっては正しいことであったのです。1995年に社長に就任すると、1997年に東証一部(当時)上場、2003年には東海道新幹線品川駅の開業を実現しました。
2004年、会長に就任した葛西が、次の50年を展望し新たな目標として定めたのが、リニア中央新幹線で東京~名古屋~大阪をつなぐ大プロジェクトでした。
プロジェクトが結実した姿を葛西が見ることは叶いませんでしたが、彼の強い意志は、確実に後世へと引き継がれており、2027年の開業を目指して、この計画は今も進み続けているのです。
おわりに
「正しい」という言葉は、ときに独善的にもなり得るやっかいなワードです。もちろん、「一人よがりな暴論」を「正しい」と信じてしまっては、経営者失格でしょう。葛西は「今のような混迷期に求められるリーダーとは、現実から目を逸らさず、問題の本質を直視し、いかなる困難にも抜本的な解決策を立て、実行する人物だ」という言葉を遺しています。葛西が信じた「正しい」こととは、冷静な観察眼と、分析力、実行力に裏付けられたものです。そのことが彼の言動から伝わるからこそ、多くの人が動かされ、結果として、大きな改革の実現に至ったのではないでしょうか。
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元運輸事務次官が暴露! JR東海の天皇・葛西敬之が「中国に日本の新幹線技術を盗まれた」と激怒して川崎重工を「出禁」にしていた
yahoo 12/19(月) 7:03配信
憲政史上最長となった安倍政権は、実はたった一人のフィクサーに操られていた――そのことを詳細に書いた森功氏の最新刊『国商 最後のフィクサー葛西敬之』が話題だ同書には様々な暴露・スクープがあるが、その中でもトップクラスと言えるのが、元運輸省事務次官の黒野匡彦氏が明かすこの話だろう。なんと葛西氏は、あまりにも中国が嫌いすぎて、中国と取引をした川崎重工を「出禁」にしていたというのだ。同書から引用しよう。
『国商 最後のフィクサー葛西敬之』連載第5回前編
極秘に台湾を訪れていたフィクサー葛西
台湾は日本と同じ地震国でもある。1994年9月16日にはマグニチュード6・8の台湾海峡地震に見舞われた。元運輸省事務次官の黒野匡彦が次のような秘話を明かした。
「話のはじまりはまだ私が事務次官だった頃でした。『地震に耐えられる日本の新幹線技術がほしい』と李登輝総統から首相補佐官の岡本行夫(元外務省北米第一課長)君に要請があったそうです。すでにJRがヨーロッパと契約していて、そこへ台湾で大地震が起き、日本からの新幹線輸入の気運が高まったといいます」
橋本龍太郎政権時代である。
「橋本総理から『おい、ほんとに行くのか』と電話があってね。現職の役人が台湾へ行ったら、大変なことになると心配してくれたのでしょう。『ひょっとしたら運輸次官を辞職しなければならなくなるかもしれませんが、台湾新幹線が前に進むなら、私は行こうと考えています』と返事をすると、総理は『うーん、まあ、ちょっと俺も考えてみるよ』と唸っていました。今でも中国の手前、現職の役人が台湾でハイレベルの協議をすると厄介ですからね。結局、次官を辞めてから行くことになりました」
橋本自身、親中派の議員として知られるだけに、黒野の訪台はいったん見送られた。運輸事務次官を退任したあと黒野は岡本とともに台湾へ向かった。2000年2月のことだ。そこへ同行したのが、当時JR東海社長の葛西敬之だったのである。
「岡本君宛てに『日本のしかるべき人を連れて来てくれませんか』と李総統から要請があり、前の年の7月に次官をやめて、葛西さんと3人連れ立って向こうに行きました。岡本君が葛西さんに声をかけてセッティングしたわけです。
ただ李登輝総統にしても、自ら声をかけたことが発覚して中国政府の神経を逆なでするようなことはまずいと考えたのでしょう。『台湾政府としてこれ以上口を出せない』と言っていました。日本にいる台湾ロビーからいろいろ探りが入るかもしれないけれど、われわれが李登輝総統に会ったことはいっさい秘密にしてくれ、とも言っていました」 そうして新幹線の輸出が決まり、三菱重工業、東芝、川崎重工業、三井物産、三菱商事、丸紅、住友商事の7社が出資し、台湾新幹線株式会社が設立された。
JR東海やJR西日本、日本鉄道建設公団(現 鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が技術支援した台湾高速鉄道は、日本初の鉄道海外輸出プロジェクトとして評判になる。台湾高速鉄道は07年1月5日の開業以来現在にいたるまで、台北市の南港駅から高雄市の左営駅までの345キロを1時間30分で結んでいる。
日本は台湾だけでなく中国への新幹線の輸出も行ったが、その取引は川崎重工が中心になって行った。このとき「川崎重工が新幹線技術をブラックボックスにしないまま中国に提供してしまった」と葛西は考えているという。葛西が「川崎重工のせいで中国に技術が流出した」と激怒して、JR東海から川崎重工を「出禁」にするまでの詳細は後編記事で引き続き、お伝えする。
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基礎学力を考える 企業トップインタビュー 漢字能力検定協会
東海旅客鉄道株式会社
葛西 敬之 氏 代表取締役会長 葛西 敬之 氏
1940年生まれ。1963年東京大学法学部卒業後、同年日本国有鉄道入社。1967年米国ウィスコンシン大学に留学し、経済学修士号取得。その後、静岡鉄道管理局総務部長、仙台鉄道管理局総務部長、職員局次長、等を歴任。1987年東海旅客鉄道株式会社発足とともに、取締役総合企画本部長、代表取締役社長、等を歴任後、2004年より現職。社外では、国家公安委員会委員、年金業務・社会保険庁監視等委員会委員長、海陽学園海陽中等教育学校副理事長を務める。
1.学校教育の役割は「基礎学力」を定着させること
「漢検(日本漢字能力検定)」の年間志願者数が270万人を超えている(平成19年度現在)ということに、大変な驚きを覚えます。これだけ多くの日本人が「日本語の読み書き」の核である漢字の活用能力を測定しているということは、「基礎学力」とりわけ「日本語の読み書き能力」の重要性が再認識され、その向上に社会全体の熱が高まっていることを感じるからです。
一方で、日本の教育において国語が軽視されてきたことも指摘しておかなくてはならないでしょう。日本の国語の授業時間を世界と比較してみると、小学校4~6年で、英251時間、仏237時間に対して、日本はわずか147時間しかありません。2008年2月に発表された学習指導要領改訂案でも、149時間しかないのです。母国語の能力があらゆる思考能力の上限を決するのは自明であるにも関わらず、これほど国語教育を軽視する国は世界に類例がありません。
初中等教育の根本は、基本中の基本である「読み書き算数」という「基礎学力」を必要十分で効率的に定着させることであり、それは世界の常識です。その勉強手法とは反復練習であり、学校教育の役割の大半はここにあると考えています。
2.「基礎学力」とは「体験を通じて学び取ることが出来る能力」
高校を卒業するまでに必須の「基礎学力」とは、「大学の講義や体験から学び取ることが出来る能力」だと考えます。その観点からも、何をおいても「日本語の読み書きと算数(数学)」が最優先であることは論を待ちません。少なくとも、日本語に関しては自由自在に操れる必要があります。その次に大切なのが、世界と情報の受発信を行う手段としての「英語」であると思います。
大学(大学院)を卒業するまでに必須の専攻分野の「基礎学力」は、企業に入ってから「専門領域を実地に学び取ることが出来る能力」でありましょう。例えば、大学で機械工学を専攻したからといって、入社してすぐに鉄道車両を設計出来るわけではありませんが、大学で身につけた「基礎学力」を活かしながら、入社後の経験を通して多くのことを学ぶことにより、10年以上かかって一人前の車両技師になるということです。
あらゆる企業において、その企業価値の核となるような仕事は、概して複雑で難易度が高いものです。企業は、「基礎学力(学び取る能力)」を持った人材に長い年月をかけて体験を与え、核となる仕事を任せ得る人材として育てあげ、会社の発展に貢献させるのです。
欧米諸国や市場原理主義の考えを取り入れて、「即戦力採用」や「人材の時価評価」を積極的に行っている企業もあるようですが、そのようにして採用された人材は、組織への忠誠心や愛着心、組織に対する安心感も持ちにくいでしょう。短期間で自分の業績を極大化することばかりを考えがちなものです。そのような人材は、中長期的な視点に立って社会における課題解決を図ったり、社会インフラを築いていくといった企業において、適切に貢献できるとは思えないのです。
3.社会で問われる「裾野の広い基礎学力」
葛西 敬之 氏 大学までの学習は、基本的に正解があり、解き方が決まっていることが多いものです。常に課題と解法とひとつの正解がある世界なわけですから、「読み書き算数」を中心とした基本的な「基礎学力」があれば十分学んでいけるでしょう。
ところが、企業(社会)での学習の場合、そもそも課題や解法を与えられることはなく、もちろん正解もひとつではありません。社会における課題は、自ら考えて設定していくものなのです。また、決まった解き方もないわけですから、多数ある正解の中からひとつの正解を選び取り、その実現に向けて実行していくことになります。世の中には、絶対正解である真っ白も、絶対悪である真っ黒もなく、全てがグレーゾーンの中で、どこに落とし所を探すのかということばかりです。ですから、社会で学ぶためには、「裾野の広い基礎学力」に基づく「課題形成力」と「課題解決力」が必須となるのです。
最近の若者の一部には、目前のことを解決するために、時間もエネルギーも割かずに効率良く学ぼうとする姿勢が見受けられます。大学入試に出ないことは勉強しない、公務員試験の傾向と対策のみしか勉強しない、などがそれです。これでは、「裾野の広い基礎学力」は持ち得ず、「課題形成力」や「課題解決力」は決して身につきません。当然のことながら、社会に出てからも幹部候補やリーダーたる人材にはなり得ません。一流大学の成績優秀者にも関わらず、社会であまり活躍したり貢献できないタイプの多くは、この「裾野の広い基礎学力」を持ち合わせていない場合が多いと、経験上感じています。
「裾野の広い基礎学力」を培うためには、まず核となる濃厚な人間関係の「原体験」が必要です。親友との葛藤、身を焦がす恋愛、チーム一丸となって戦ったスポーツ、家族の危機を乗り越えたこと等の心を揺さぶられる深い体験が、その人の核を形作るのです。
その核の周囲を大きく広げていくためには、人間関係や人間の歴史を「追体験」することが不可欠です。これは、良書を読むことによって可能になります。最も多感な中学・高校時代に多くの読書を行い、その内容を理解するためにも、常用漢字の活用能力(漢検2級レベル)は早い段階で身につけておくと良いでしょう。少なくとも小学校卒業までには、大人の本は全て読める程度の語彙・漢字力を身につけさせることが理想です。PISA調査で上位のフィンランド等では、一般的に「勉強」と言えば「読書」のことを指すそうです。「暗記活動」が「勉強」と思っている日本人の感覚は、世界常識に照らすとずれているかもしれません。
多くの中高一貫校では、早期に常用漢字を習得できるように指導していると聞きますが、私が副理事長をしている海陽中等教育学校でも、中学3年生までにはそれぐらいのレベルを習得していて欲しいと思っています。良書による「追体験」は早く始めるに越したことはありません。そもそも言葉の力が弱ければ、直接経験したことを「原体験」に昇華することも、読書によって「追体験」を行うことも出来ず、結果として思考力も判断力も情緒力も持ち得ないのですから。
4.「基礎学力」とともに極めて重要な「能動性・主体性」の危機
「課題形成力」や「課題解決力」を培うために「基礎学力」と並んで極めて重要なのが、「能動性・主体性」です。ところが今、子供たちの「能動性・主体性」が危機に立たされていると感じています。
これらは、自分で自分の時間の使い方を決める、自分でしたいことを決めて行うという体験を通じて、はじめて体得される素養です。ところが、長時間学校に拘束されるにも関わらず、必ずしも十分な「基礎学力」を身につけられない子供たちは、その不足を塾で補わなければならず、自由にできる時間を奪われているように思います。また、塾や家庭で時間配分から参考書まで全てを他律的に決められ、受動的に過ごす時間が大半を占めています。このような状況の子供達に「能動性・主体性」を発揮するように求めるのは酷な話でしょう。
「能動性・主体性」を取り戻すためにも、子供たちに自由にできる時間を与えなくてはなりません。そのためには、初中等教育において「履修」すれば良いことと「習得」しなければならないことを明確に峻別し、「習得」すべき「基礎学力」即ち「読み書き算数」にパワーを傾斜配分すべきだと考えています。そうすることで、「習得」すべき「基礎学力」を効率良く身につけさせ、子供たちに自由にできる時間を与えることができるのです。履修科目全てを子供たちにあまねく習得させることは現実的ではありません。満遍なくパワーを配分しようとするあまり、教員も子供たちも余裕を失ってしまうので、結局「習得」すべき「基礎学力」を身につけることができないのではないでしょうか。
また、自ら物事に取り組んで成し遂げたという「成功体験」の機会を意図的に作ることも必要となるでしょう。自分でしたいことを考え行動するという体験、自分で目指したものを努力して達成したという体験、この二つがあれば、「能動性・主体性」は自ずと育っていくはずです。
5.いきなり楽しい「学習」など存在しない
孔子の『論語』の中に、「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という名言が残されています。「それを知っている人より好きな人、好きな人より楽しんでいる人の方が、そのことに優れている」という意味です。
これは同時に、「人はまず知った後に好きになり、好きになった後に楽しくなる」という順序も示しています。いきなり「楽しく学びたい」「楽しく学ばせたい」と考えるのは無理があるということです。この考え方に立てば、世界中で今も実践され、ひと昔前の日本の学校でも普通に行われていた「音読」「手書き」「暗唱」という基礎基本の訓練のパターンは、極めて理に叶ったものだと解ります。この方法で全ての子供たちに「基礎学力」を「習得」させることが急務であると考えます。
「安倍政権最大の後見人」JR東海・葛西敬之が安倍晋三よりも昵懇だった“意外な政治家の名前”
12/12(月) 16:33配信
2022年は、この10年のあいだ日本を動かしてきた「二人の大物」が続けざまに死んだ年として、後世語られるかもしれない。一人は安倍晋三。もう一人が、安倍のブレインにして安倍政権の「フィクサー」と呼ばれた、JR東海名誉会長の葛西敬之だ
『国商 最後のフィクサー葛西敬之』では、硬派のジャーナリスト森功氏が、そんな葛西の知られざる素顔に迫る。JR東海は日本を代表する広告主のため、葛西については新聞テレビはもちろん、文春砲を筆頭とする週刊誌メディアもこれまで触れることができなかった。タブーの扉が、いま開く。
『国商 最後のフィクサー葛西敬之』連載第1回後編
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前編記事【安倍晋三を裏で操った「最後のフィクサー」JR東海・葛西敬之の知られざる正体…安倍が「国士」と称えた男が最期に抱えていた“爆弾”】
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政界の黒幕と呼ばれてきた大物財界人
現首相の岸田文雄は葛西の訃報が流れた明くる5月28日、山梨県都留(つる)市にあるリニアの実験線を視察した。もとよりあらかじめスケジュールに入っていたのだろう。岸田は記者団を前に、未着工区間である名古屋~大阪間の環境影響評価(アセスメント)を進める、と次のように述べた。
「(リニア中央新幹線の)全線開業の前倒しを図るため、来年から着手できるよう、沿線自治体と連携しつつ指導、支援していく」
超電導リニアは、葛西の悲願であった。享年81。日本国有鉄道の民営化を成し遂げた「国鉄改革三人組」の一人と称された。国鉄民営化以降、JR東海を率いた葛西は近年、政界の黒幕と呼ばれてきた大物財界人である。
安倍のカムバックを強力に後押し
葛西は2度首相の座に就き、日本の憲政史上最長となった安倍晋三政権における最大の後見人と目されてきた。それゆえ政界とのつながりが深いようにイメージされてきたかもしれない。だが、実のところはそうでもない。
国鉄の民営化に奔走した頃は、自民党の運輸・鉄道族議員たちを動かした。半面、懇意の政治家はそう多くはない。最も篤(あつ)く結ばれてきた国会議員は、自民党と民主党を渡り歩いた与謝野馨(かおる)だ。与謝野との縁で安倍と知り合い、互いの親米、保守タカ派の思想が共鳴し合い、安倍を首相にしようと支援するようになった。
葛西は小泉純一郎が安倍に政権を譲る少し前に国家公安委員に選ばれ、教育再生会議のメンバーとしてときの内閣との結びつきを深めていく。自民党が下野したあとの民主党政権時代にも、東日本大震災に見舞われた政府の政策に関与していった。葛西は福島第一原発事故により、経営危機に陥った東京電力の経営・財務調査委員会ならびに原子力損害賠償支援機構運営委員会の委員に就任する。そこでも独特の持論を展開した。
「社会インフラである電力事業を政府の役人に任せきりではろくなことにならない」
脱原発や電力自由化の気運が高まるなか、葛西はそこに異を唱え、むしろ原発再稼働の旗を振るようになる。そうして安倍の政権カムバックを強力に後押しし、実際にそれを実現させた。
「安倍政権最大の後見人」JR東海・葛西敬之が安倍晋三よりも昵懇だった“意外な政治家の名前”
2022年は、この10年のあいだ日本を動かしてきた「二人の大物」が続けざまに死んだ年として、後世語られるかもしれない。一人は安倍晋三。もう一人が、安倍のブレインにして安倍政権の「フィクサー」と呼ばれた、JR東海名誉会長の葛西敬之だ。
『国商 最後のフィクサー葛西敬之』では、硬派のジャーナリスト森功氏が、そんな葛西の知られざる素顔に迫る。JR東海は日本を代表する広告主のため、葛西については新聞テレビはもちろん、文春砲を筆頭とする週刊誌メディアもこれまで触れることができなかった。タブーの扉が、いま開く。
政界の黒幕と呼ばれてきた大物財界人
現首相の岸田文雄は葛西の訃報が流れた明くる5月28日、山梨県都留(つる)市にあるリニアの実験線を視察した。もとよりあらかじめスケジュールに入っていたのだろう。岸田は記者団を前に、未着工区間である名古屋~大阪間の環境影響評価(アセスメント)を進める、と次のように述べた。
「(リニア中央新幹線の)全線開業の前倒しを図るため、来年から着手できるよう、沿線自治体と連携しつつ指導、支援していく」
超電導リニアは、葛西の悲願であった。享年81。日本国有鉄道の民営化を成し遂げた「国鉄改革三人組」の一人と称された。国鉄民営化以降、JR東海を率いた葛西は近年、政界の黒幕と呼ばれてきた大物財界人である。
安倍のカムバックを強力に後押し
葛西は2度首相の座に就き、日本の憲政史上最長となった安倍晋三政権における最大の後見人と目されてきた。それゆえ政界とのつながりが深いようにイメージされてきたかもしれない。だが、実のところはそうでもない。
国鉄の民営化に奔走した頃は、自民党の運輸・鉄道族議員たちを動かした。半面、懇意の政治家はそう多くはない。最も篤(あつ)く結ばれてきた国会議員は、自民党と民主党を渡り歩いた与謝野馨(かおる)だ。与謝野との縁で安倍と知り合い、互いの親米、保守タカ派の思想が共鳴し合い、安倍を首相にしようと支援するようになった。
葛西は小泉純一郎が安倍に政権を譲る少し前に国家公安委員に選ばれ、教育再生会議のメンバーとしてときの内閣との結びつきを深めていく。自民党が下野したあとの民主党政権時代にも、東日本大震災に見舞われた政府の政策に関与していった。葛西は福島第一原発事故により、経営危機に陥った東京電力の経営・財務調査委員会ならびに原子力損害賠償支援機構運営委員会の委員に就任する。そこでも独特の持論を展開した。
「社会インフラである電力事業を政府の役人に任せきりではろくなことにならない」
脱原発や電力自由化の気運が高まるなか、葛西はそこに異を唱え、むしろ原発再稼働の旗を振るようになる。そうして安倍の政権カムバックを強力に後押しし、実際にそれを実現させた。
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安倍晋三射殺で「パンドラの箱」が開き、
一気に噴出した日本政財界の闇――
その中心にいたのは、この男だった。
政界、財界、霞が関、マスメディア、鉄道業界etcすべて騒然!
日本最大級の広告主ゆえに新聞テレビはもちろん
週刊誌ですら触れられなかった「アンタッチャブルの男」にはじめて迫る
禁断の「革マル取り込み」で
魑魅魍魎の労働組合を屈服させ、
30年以上にわたりJR東海に君臨。
強大なマスメディアを手懐け
政官界の人事を自在に操り
安倍晋三最大の後見人となった。
国を憂い、国を導くその一方で、
国益をビジネスに結びつける
「国商」と呼ぶべきフィクサーだった。
昭和の終わりに……国鉄解体という
戦後最大の難事に身を捧げた改革の闘士は
平成・令和の「怪物的黒幕」へと
いかにして変貌したのか!
(目次より抜粋)
・政策は小料理屋で動く
・靖国神社総代と日本会議中央委員という役割
・国鉄改革三人組それぞれの闘い
・「革マル」松崎明との蜜月時代
・覆された新会社のトップ人事
・鉄パイプ全身殴打事件
・ばら撒かれた「不倫写真」
・頼った警察・検察とのパイプ
・品川駅開業の舞台裏
・名古屋の葛西では満足できない
・安倍総理実現を目指した「四季の会」
・メディアの左傾化を忌み嫌う理由
・傀儡をNHKトップに据えた
・「菅さまのNHK」
・安倍政権に送り込んだ「官邸官僚」たち
・池の平温泉スキー場の「秘密謀議」
・杉田官房副長官誕生の裏事情
・政治問題化したリニア建設計画
・JR東日本とJR東海の覇権争い
・安倍と葛西で決めた「3兆円財政投融資」
・品川本社に財務省のエースが日参
・「最後の夢」リニア計画に垂れ込める暗雲
・JR東海の態度に地元住民が激怒
・「リニア研究会」という名の利権
・安倍晋三への遺言
・大間違いだった分割民営化
・国士か政商か
・覚悟の死
「権力者には宿命的な不安と恐怖が生まれる。
夢のためには権力を手放してはならない……」
(本書「おわりに」より)
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なぜ安倍元首相は「山県有朋」を机上に残したのか
読書の秋が深まってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。銃撃事件で死去した安倍晋三元首相の机の上に、政治学者の岡義武著「山県有朋」が残されていました。菅義偉前首相が国葬の追悼の辞で明らかにしたのを聞き、驚きました。たまたま私は、この本(岩波文庫版)を直前に読み終えたばかりだったからです。なぜ安倍氏は机上に置いたままにしたのでしょうか。【論説室・野口武則】
6月17日付の安倍氏のフェイスブック(FB)を見ると、2日前に葬儀が行われたJR東海の葛西敬之名誉会長を追悼する言葉として、伊藤博文が暗殺された際に山県が詠んだ歌が引用されている。本の該当部分に線を引き、折り目を付けたのは、目印にしたためだろう。
通常国会が6月15日に閉会し、参院選が事実上始まっていた。安倍氏は候補者応援で全国を飛び回り、衆院議員会館に戻る機会がほとんどないまま7月8日に銃撃された。
2015年1月12日付のFBには、この本を「読了」したと写真付きで投稿している。読んだのは、緑表紙の岩波新書版(初版1958年)だったことが分かる。薦めたのは葛西氏だった。
「山県有朋」は葛西氏の追悼で引用された後、単に置き忘れただけなのか。それとも――。
文章を引用する際、どのような文脈か前後を読んで確認するのが自然だ。かつて読んだ本を再び手に取った際、第2次政権を退いた安倍氏の心に留まるものがなかっただろうか。そして後日読み直そうと、しまわないでおいた可能性はないか。
長州(今の山口県)出身の山県は明治時代に首相を2度務めた後、1922(大正11)年に死去するまで元老として政権に影響を与え続けた。伊藤の死後に並ぶ者がない実力者となったが、伊藤をしのんだ歌が登場するのは、新書版の本文195ページの約半分を過ぎた108ページ目である。それ以後の絶対権力者として振る舞う山県のすごみが読みどころだ。
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菅前首相の弔辞“使い回し疑惑”報道で大騒ぎ!SNSでは「山縣有朋」がトレンドワード入り
《感動した》《心のこもった言葉に涙があふれた》
安倍晋三元首相の国葬で友人代表として読んだ弔辞がテレビのワイドショーなどで絶賛された菅義偉前首相(73)。ところが、その感動的な弔辞の「使い回し」疑惑が浮上し、ネット上で大騒ぎとなっている。
疑惑を報じたのは主に政治、社会のテーマを扱うニュースサイト「LITERA(リテラ)」。10月1日、【菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった!】と題し、菅氏が弔辞で取り上げた山縣有朋の歌<かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ>に注目。
記事を要約すると、菅氏はこの歌を安倍氏の議員会館の部屋の机にあった「読みかけの本」から引用したように弔辞を読んでいたが、実際は、読みかけではなかった上、安倍氏も今年5月に亡くなった葛西敬之・JR東海名誉会長をしのぶ歌として自身のフェイスブックに投稿していた、という内容だ。
・「山県有朋」薦めた葛西敬之さん 死の前に安倍氏に伝えたかったこと
朝日新聞 奈良部健2022年11月11日
財界の枠におさまらない人だった。常に国家を考え、外交安保から歴史、教育まで幅広く発信した。JR東海名誉会長だった葛西敬之さんが亡くなってから、半年がたとうとしている。歴史に「もし」はないが、葛西さんがいなかったら、東海道新幹線は現在のような在りようではなかったかもしれないし、リニアもどうだったかわからない。彼が成し遂げ、残していったものとは何だったのか。
菅前首相が引用した「山県有朋」 文庫解説者「出来すぎた話ですね」
数年前から病に侵されていることを近しい人に告げ、葬儀や火葬の場所、参列者を自ら決めた。「死を制御」して、自ら人生の幕を閉じる。「無駄な延命治療はしない」。死に正面から向き合い、コントロールしようとしていた。
私にも「やり残したことはあるが、年齢には勝てない」と話した。出社を続けたが、「あと1カ月で死ぬ」と語って入院。それからは、家族以外の人には会わなかった。
唯一の例外が、首相として3度目の再起を託していた安倍晋三氏だった。入院から亡くなる1カ月半の間に3度、見舞いを受けた。なぜ安倍氏なのか。憲法改正や歴史観など、右派論客として共鳴する主張が理由だと思っていたが、意外な答えが返ってきた。「ウォーム・ハートだね。心根が本当にやさしい」 最後の面会では、手を握って…
・商売だけで語れない新幹線輸出 JR東海・葛西敬之氏が残した警句
朝日新聞 聞き手・吉岡桂子2022年9月29日 11時00分
今年5月に亡くなったJR東海元会長の葛西敬之氏。東海道新幹線を運行する会社のトップとして、生前は中国への新幹線の輸出に反対の立場でした。国交正常化45年を迎えた2017年秋のインタビューに対して、中国が1990年代に「リニアの共同開発を持ちかけてきた」ことを明かし、外交・安保戦略と一体となったインフラ輸出の重要性を主張していました。 新幹線の輸出でこだわったものとは――。 ――新幹線を中国に売り込む「オールジャパン」から、JR東海は距離を置きました。JR東日本と対照的でした。
新幹線はロケットなど宇宙開…
葛西敬之 JR東海名誉会長 2014.12.12
JR東海名誉会長 葛西氏「対中ビジネス 長期の視点で」
【櫻LIVE】第168回 - 葛西敬之・JR東海代表取締役名誉会長 × 櫻井よしこ(プレビュー版)2016/01/09
第29回「正論大賞」贈呈式 葛西氏「日米同盟の強化が平和の鍵」2014/02/21
JR東海 葛西名誉会長お別れ会
JR東海名誉会長の葛西敬之さんが死去 リニア開通に向け尽力
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