まず私(父親)というのは「特別ではない他の大人たちと同様な平凡なありふれている人間」です。
ここでの他の大人たちというのは「自分の同じ繰り返しである日常生活」にいらだちを感じています。
棒というのは「平凡でありふれている。使いやすい。まっすぐ(正直)」という性質です。
上半身を乗り出したのはほんの気分上のことで「意図的」ではないいんです。
墜落の原因は「私の行為にあるわけではなく、なぜ落ちたのか不思議だ」ということで私自信も驚きながら墜落しています。
そして2人の学生と先生は「死者を裁く者」なんです。
要するに父親は死んで棒になりました。
右の学生は棒(生前の私)を「何か一定の目的のために人に使われていた。誠実で単純だ。」と言っています。
一方左の学生は「無能で単に利用されている道具にすぎない。」と言っています。
先生の答えは「棒の存在理由が他のものに使用されることにある」という点において「どちらの主張にも変わりはない」と言っています。
あと、「量的な意味よりもむしろ質的な意味で棒がありふれている」というのは
棒がたくさん存在しているということではなく、棒からは新しい発見はありえないということです!
研究の結論は棒を置き去りにするということでした。
それは「裁くほどの価値がないという評価」をつけたのです。
ちなみに作者が伝えたかったのは
「現代社会がもつ矛盾や不条理、人間疎外の状況を見据えておくことが大切である」ということです。
難しいですよね;;
でもこれが答えで間違いありません(*^^*)