夫婦1カ月の生活費は3万円

土光の日常生活はまさに「倹約」そのものだった。

朝は4時か5時に起床し、30分間法華経を唱え、散歩と木刀振りで体を動かす。その後、新聞に目を通して6時半には家を出る。夜は酒席を避け、7時30分には帰宅し、11時には就寝した。

食事は質素そのもので、ゴハンは茶碗一杯、好物はメザシという庶民派。一汁一菜が基本で、野菜は自給自足していたため、なんと夫婦の1カ月の生活費はわずか3万円だったともいわれた。

焼き魚
写真=iStock.com/Thai Liang Lim
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『日経ビジネス』1974年6月10日号の「日米トップの所得比較」によると東芝会長(当時)だった土光の年収は昭和47(1972)年度が5612万円、同48(1973)年度が6162万円である。2年後の同じ特集では昭和49(1974)年度が6361万円、昭和50(1975)年度が4939万円とされている。

今でも年収5000万前後もらっている人などほとんどいないだろうが、時代は昭和50年前後だ。昭和47年のサラリーマンの平均年収は約115万円にすぎない。郵便はがきは10円で大卒の平均初任給が4万8600円、国立大学の年間授業料が3万6000円の時代である。そんな中、5000万円である。今でいえば2億円は軽く超えているだろう。それでも3部屋しかない暖房もない家に住み、銀座に飲みにも行かずに、メザシを食べる。「メザシの土光」と呼ばれるわけだ。

服は新調せず、床屋にも行かず、移動は電車

ちなみに先の特集によると、昭和50年度の経済人のトップは大正製薬の上原正吉会長が10億7233万円、東急電鉄の五島昇社長が9億4256万円で続き、3位に松下電工会長の松下幸之助が8億3045万円で入っている。

土光はファッションセンスも独特だった。作業用のズボンはベルトの代わりに使い古したネクタイで締め、自宅の草むしりは業者を使わず、つぎはぎだらけの帽子をかぶり、上半身裸になって自ら行った。

服も新調せず、床屋にも行かず、息子に頼んで髪を切ってもらっていた。移動はハイヤーを使わずにバスと電車を乗り継ぎ、この生活を91歳で亡くなる数年前まで貫いた。

経団連会長時代には「経費削減」を掲げて来客用のエレベーターを一基だけ動かし、自身は80歳近い年齢にもかかわらず階段を使った。周囲の人々はさぞかし大変だったことだろう。

土光の倹約術はプライベートだけでなく、会社経営の場でも遺憾なく発揮された。

東芝の社長になった際には、トイレ付きの社長室を撤廃した。出張の際はお付きを伴わず一人で出かけ、社用車もなくし、バスと電車通勤で通した。

役員の個室も4人部屋に変えてしまった。いくら「モーレツ」が賛美された時代とはいえ、3倍働いて役員になっても4人部屋で10倍働かなくてはいけないなんて、少し同情してしまう。