笠岡ラーメン 独自に進化した鶏尽くしの一杯

小沢邦男
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 鶏だけでダシを取ったしょうゆ味のスープに、ストレートの中細麺。一見は懐かしさを覚える中華そばだが、豚チャーシューではなくしょうゆで煮た鶏が丼を彩る。岡山県笠岡市の「笠岡ラーメン」。お隣の広島県尾道市ほどではないが、笠岡は通には知られた麺どころ。鶏尽くしの一杯を求めて愛麺家が足を運ぶ。

 JR笠岡駅近くの「中華そば専門店 坂本」。1958年創業で、現存する笠岡ラーメンの店では最古という。年季の入ったテーブルと椅子の14席。壁に張られた手書きのメニューは「並」と「大盛」だけ。店主の坂本英喜さん(69)は手早く麺をゆで、注文から1分ほどで提供する。

 笠岡ラーメンは、地元で「カシワ」と呼ばれる、卵を産み終えた老鶏を使う。坂本さんは毎朝5時から3時間、もも肉を濃い口と薄口のしょうゆで炊いて煮鶏とタレを仕込む。味が染みた皮は鶏ガラを煮込む大きな釜に加え、スープを仕上げる。「カシワとしょうゆと水だけ。化学調味料は使わない」。シンプルゆえに手が抜けない。

 澄んだスープは見た目以上に深みがあり、固ゆでの麺とともにスルスルとのどを通過する。トッピングは刻んだ煮鶏と斜め切りの青ネギ、メンマの3点。最初の一口はやや固く感じる鶏は、かむほどに甘辛のうまみが広がってクセになる。

 戦前から笠岡は養鶏が、隣の浅口市鴨方町や里庄町は製麺が盛ん。大衆食堂では鶏ガラスープの中華そば、家庭ではカシワで作る煮鶏が食卓に並んだ。独自の麺文化が生まれたのには、こうした背景がある。

 笠岡でしか食べられないラーメンがある――。笠岡商工会議所の高橋宏文専務理事(57)によると、2000年ごろ、口コミでそんな情報が広がった。「地元の『中華そば』が、いつしか『笠岡ラーメン』と呼ばれるようになった」という。町おこしの目玉にしようと高橋さんらは03年、店主らと商議所に「ラーメン委員会」を設置。県内外のイベントで出店を繰り返すほか、特許庁の「地域団体商標」登録など、全国発信とブランド化への挑戦を続ける。

 新横浜ラーメン博物館への出店、カップ麺化、全国ネットのテレビ番組での紹介……。店主の高齢化や人口減といった課題を地域は抱えるが、笠岡ラーメンは着実に広まりつつある。

 坂本さんは54歳で脱サラして先代の父に学び、店を継いだ。「3代続けて通ってくれる地元の人も、遠くから来てくれる人も愛してくれる味。100%のエネルギーを費やせる限り、残し続けたい」

 高橋さんもこの20年ですっかりラーメン通に。「ラーメンは『笠岡の文化』と気付き、町おこしを楽しむことができた。これからも大切に楽しみ続けていれば、自然と未来に残せる」

 郷土のソウルフードを守る。店主や市民の愛情が、鶏尽くしの一杯を育んでいる。

     ◇

 人口約4万5千人の笠岡市にはラーメン店が30軒あまりあり、うち半数ほどで笠岡ラーメンを出す。笠岡商工会議所の高橋宏文専務理事によると、笠岡ラーメンにはしょうゆベース以外にも、港町らしく魚介類を加えたものや、塩味やとんこつ味などと多彩だ。地元の道の駅や県内のスーパーでは、麺とスープをセットにした家庭用の商品も数多い。

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この記事を書いた人
小沢邦男
岡山総局
専門・関心分野
被災地再生