いすみ鉄道で国鉄形ディーゼルカーが走った本当の理由
千葉県房総半島のいすみ鉄道(現在脱線事故で運休中)で観光列車として運転されていたキハ52国鉄形ディーゼルカー(気動車)が引退の時を迎えます。
いすみ鉄道ではこのゴールデンウィークに引退イベントを行うということで話題になっていますが、このキハ52形は昭和40年(1965年)製で、筆者がいすみ鉄道の代表取締役社長だった時代(2009~2018年)に導入して運転してきたものです。
当時はローカル鉄道は「近代化により安全性が増す」と考えられていて、全国のローカル路線で古い車両が新車に置き換わっている時代でしたから、昭和40年製車両というあえて古いものを導入するということで大きな話題になりました。
このキハ52は新潟県のJR西日本大糸線(糸魚川-南小谷)で2010年夏まで運転されていたもので、JR西日本で廃車後、その年の12月にいすみ鉄道に到着し、翌2011年4月から観光急行列車として運転が開始されました。
キハ52の導入経緯
筆者は鉄道大好きな鉄道会社の社長だと鉄道ファンの皆様方から思われているようですが、世間的には「社長がマニアだからこういう車両を導入したのだろう。」とよく言われていました。
確かに、鉄道ファン向けの車両を導入してファンの皆様にいらしていただこうという経営戦略的には、「どうしたら集客できるか」という点で、顧客心理を理解できなければ、ただ古いものを走らせれば集客できるというものではありません。
そこにはきちんとした戦略、戦法が必要になるのは当然で、ましてマニアックな商品になればなるほど、ファンの皆様方がどういう商品を好まれるかということを知らなければうまく行くはずはありません。
その点では筆者も鉄道が好きな人間ですから、ファンの皆様方がどういうものならいらしていただけるかという戦略は立てて臨みました。
導入に向けての整備中の出来事
2010年12月にいすみ鉄道に到着したキハ52は早速、昭和40年当時の国鉄色に復元されました。
いすみ鉄道の始発駅は外房線の大原駅ですが、外房線には1972年(昭和47年)まで、このようなディーゼルカーが走っていましたので、キハ52を導入するにあたっての時代設定を1970~1975年ごろの千葉の国鉄という設定にしました。
こうして昭和40年代の国鉄色に戻したキハ52でしたが、塗装変更のお披露目撮影会を開催すると、まだ正式な運行開始前だというのにたくさんの鉄道ファンの皆様方から大歓迎を受けました。
しかしながら、前述のとおり、こういう車両はただ単に走らせれば人が来るというものではありません。
当時の時代背景を考慮しながら細部まで入念に仕上げなければ客寄せパンダにもなりません。筆者がこだわったのはその細部で、車両に付ける行先表示板はもちろんですが、車体各部の表記についても経験豊富な職人さんの手でこうして忠実に再現していきました。
こうしてキハ52は整備が着々と進んでいきました。
当初、3月末の菜の花の時期には運転開始をしようという目標を立てていました。
ところが、ここに大きな事件が発生しました。
2011年3月11日の東日本大震災です。
千葉県の房総半島も震度5以上の大きな揺れに見舞われました。
それまで、キハ52は整備のために上の写真のようにジャッキで吊りあげられていました。
そして、大震災のわずか3日前に整備が終わった台車を車体にはめ込んで、ジャッキから降ろされていたのです。
もし、地震の時にジャッキで持ち上げられていた状態だったら、もしかしたら車体はそのまま横倒しとなっていたかもしれませんし、そうなればいすみ鉄道で国鉄形車両が走ることもなかったかもしれません。そう考えると今でも冷や汗が出る思いがします。
こうしてキハ52は当初の予定からは少し遅れたものの、2011年のゴールデンウィークから観光急行列車として運転を開始し、大きな話題になりました。
経営状況も向上し、いすみ鉄道は新しい時代を迎えることになりました。
なぜ、キハ52を導入したのか
このようにして鉄道ファンの心をつかんで集客に大きく貢献することになった国鉄形のキハ52ですが、その導入を決めた理由は、実はマニアックなものではありません。
その本当の理由は車両が足りなくなったことです。
筆者はいすみ鉄道の経営立て直しのための公募社長として2009年6月に就任しました。そしてすぐさま打ち出した集客のための施策は「ムーミン列車」でした。
おかげさまでこのムーミン列車は大好評になりまして、たくさんの観光客にご乗車いただくことになりました。
すると、大きな問題が発生しました。
それは車両の検査です。
いすみ鉄道はそれまでは地元の高校生の通学を主とした任務としていました。
通学輸送は夏休みなど学校が休みの時期が閑散期です。
いすみ鉄道では夏休みなどの長期休暇を利用して順番に車両を運用から外し、毎年計画的に車両の検査を行っていました。
ところが、観光列車となると反対に夏休みが稼ぎ時となります。
そういう時に車両を運用から外して検査を行うということは、みすみす稼ぐチャンスを逃してしまうことになりますし、たくさんいらっしゃる観光客を運びきれなくなります。
つまり、地域鉄道という一面に加え、観光鉄道というもう1つの役割が始まったことで車両が足りなくなったのです。
でも、鉄道車両は発注してから納車されるまでに短くても2年。設計からだと3年以上の期間がかかります。そして新造車両ともなれば当時の金額でも1両1億~2億円でした。
時間と言い金額と言い、とてもじゃないけどいすみ鉄道が耐えられるものではありません。
そこで筆者が考えたのが中古車両です。
自動車もそうですが、中古であれば即納であり価格も安いですから、すぐに走らせることができて、なおかつ経営的なリスクもありません。ちょうどJR西日本の大糸線で用途廃止となっていたキハ52という出物に目を付けたのです。
「あなたはマニアですか? それとも社長ですか?」
2010年8月、大糸線を走るキハ52が廃車になると聞いて、筆者は早速伝手を頼ってJR西日本に連絡をしました。
車両を譲ってほしいという申し入れをしたのです。
すると電話の向こうで担当の方に言われました。
「鳥塚さん、あなたはマニアとしておっしゃってますか? それとも社長としておっしゃっていますか?」
つまり、個人で譲渡を希望するのか、それとも会社として譲渡を希望するのかということです。
「もちろん、社長として、会社として申しております。」
筆者がそう答えると電話の向こうの担当の方は、
「わかりました。では、そのお話お受けさせていただきましょう。」
と言われました。
その担当の方とはその後筆者が社長を務めたえちごトキめき鉄道でも国鉄形車両の譲渡でお世話になりましたし、大井川鐵道の社長の今でもお付き合いさせていただいておりますが、
「あの時私がもし会社としてではなくて、個人として車両の譲渡を希望していたらどうなっていましたか?」
とお聞きすると、
「お断りしていました。そういうお話はたくさんいただくのですが、個人の方に対してはすべてお断りさせていただいております。」
と言っておられましたので、あぁ、鉄道会社の社長で良かったなあと思ったものです。
その後の発展
キハ52の導入で新たな顧客層を開拓したいすみ鉄道でしたが、乗客が増えるとさらに車両が足りなくなります。
筆者はその後2013年に追加車両として同じ国鉄形で昭和39年製造のキハ28形を同じくJR西日本から譲渡していただき、キハ52と連結して2両編成で走らせました。
おかげさまでこのキハ28形も大人気となり、車内で地元の食材を楽しめるレストラン車両としても活躍したのはご記憶の方もいらっしゃると思います。
このレストラン列車では地元の特産品であるイセエビ、アワビ、サザエなどを使ったコース料理を提供し、地域の産品を地域で消費するいわゆる6次産業化の先駆けとして大きな話題を呼びましたが、このレストラン列車も実は閑散期に2両編成の列車を有効活用するための一つの試みとして運行したものです。
国鉄形3形式が揃ういすみ鉄道
その後、筆者はJR東日本から久留里線で活躍していたキハ30形を譲渡していただき、いすみ鉄道では3両の国鉄形車両が動態保存されましたが、これは国鉄時代に中距離列車用のキハ52形(一般形)、長距離列車用のキハ28形(急行形)、短距離列車用のキハ30形(通勤形)という国鉄を代表する3種類の気動車で、昭和の千葉県の鉄道を再現するものとなっています。
こうしてムーミン列車や昭和の国鉄で観光鉄道として賑わったいすみ鉄道ですが、残念ながら現在脱線事故のため長期運休を余儀なくされています。
そんな中、長年活躍してきたキハ52が車両の検査満了時期を迎えたため、今回引退することになりました。列車が運転できない状況下で、検査切れの時期が迫ってきたのです。
そこでいすみ鉄道では職員有志により、引退のためのイベントが開催されることになりました。
「ありがとうキハ52‐125営業運転終了記念イベント」
と称するこのイベントは4月27日、5月10日、11日の3日間、大多喜駅構内で開催されます。
「なぜ、事故で運休期間中なのにイベントをやるのですか?」
筆者は関係者に確認したところ、社内でもいろいろと議論があったようです。
ただ、車両の検査期限が迫ってきていますから、その期日を過ぎたら自動的に引退となってしまいます。
このまま何もしないでひっそりと引退して行くのが良いのか、それともきちんとした形でこのキハ52にもう一度スポットを当てて花道を作ってあげるのが良いのか。
そう考えた時に、いすみ鉄道職員の皆様方は「やはりきちんと花道を作ってあげよう」と後者を選択したとのことです。
大多喜駅構内の線路の整備も終了し、国交省からも構内走行の許可を取るという手続きを踏んだうえで、応援していただいたファンの皆様方に最後の姿をご覧いただき、走行体験をしていただくことで、1965年の登場から60年にわたって活躍してきたこのキハ52の花道とする。
これが、今回のイベントの主旨と聞いて、キハ52を導入した当人である筆者はとてもありがたいことだと感謝の気持ちでいっぱいです。
世の中にはいろいろな考えの方がいます。
事故で運休中なのにイベントをやるとはけしからんという皆様もいらっしゃると思います。
ただ、いすみ鉄道の社員の皆様方にはこのように車両を大事に思う方々が居て、14年にわたって地域に貢献してきたこのキハ52に対する敬意の表れが今回のイベント開催であることを考えると、ファンの皆様方にはぜひ温かく見守っていただきたいと切に願います。
旧国鉄時代から地域の顔として親しまれてきた昭和の国鉄形車両ですが、今回のイベント名にあるようにあくまでも「営業運転終了」という名目となっています。
通勤型のキハ30、急行形のキハ28は現在国吉駅構内で保存会の皆様方の手によってきちんと整備され動態保存されています。
キハ52もそうですが、あくまでも現経営体制下では多額な費用をかけて車検を取るという判断をしないというだけだと筆者は考えています。
社員や保存会の皆様方がキハ52を含めた貴重な車両群の価値を理解し、今後もきちんと整備をしていただければ、いつの日か「お金をかけてでも集客できる」という事業計画が立てられれば、このキハ52も他の2両も復活することは十分に考えられます。
そういう点で、今回のイベントはぜひ成功していただきたいという思いです。
重大事故を起こして全線運休中の会社に対するご批判やお考えはいろいろあるとは思いますが、そこに働く社員の皆様方に罪はありません。
その社員の皆様方の鉄道愛、車両愛が作り出す今回の「ありがとうキハ52125営業運転終了記念イベント」に、ぜひご理解をいただきたいと筆者は考えます。
▼詳細はいすみ鉄道ホームページにてご確認ください。
キハ52 125号車 営業運転終了ならびに引退記念イベント開催のお知らせ | いすみ鉄道公式ウェブサイト
※本文中使用しました写真はすべて筆者撮影、所蔵のものです。