「ではボールスさん、手筈通りに」
「再三言っとくがなアルノ、俺は報酬分しか働かねーぞ。身の危険を感じたら即退散だからな! それで良いな! な!?」
「何度するんですその確認……リューさんも、渡したメモの材料を街の店で集め終えたら指定した場所で合流しましょう。既に話を通してありますので、到着したら俺の名前とそのメモを出してくれればわかってくれます」
「了解しました」
酒場の会計を済ませ、足早に蒼い背中が酒場から去っていく様をリューは見送る。
……残されたリューとボールスの両者には当然、会話の余地など生まれ筈もなく。
この場から去った蒼い剣士の背中を追う様にリューも席から立ち上がったその時――。
「なぁ、アンタ。あいつといつからの付き合いだ?」
「……」
いざ動かんと立ち上がった所で、リューは大男に呼び止められた。
そして先程のアルノと目の前の男の会話に思う所がないわけじゃなかった彼女は、無言の圧を以て「なにか」と問い返す。
その静かながらも力強い眼光に、びくっと大男の肩が震えた。
「そ、そう睨むなよ……あー、言い方が悪かったか? 別に邪推しようってわけじゃねぇよ。俺が聞きたいのはアレだ、お前もアイツと一緒に戦ったクチかってことだ」
「……だとしたら、なんだと言うのです」
深く被った深緑の外套越しに振り向くことなく素っ気ない声が応えた。
あの蒼い背中を速く追いかけたくて、心なしかリューの語気はささくれ立っている。
リューとて、初対面の冒険者に対して此処まで
言葉が強くなるのはひとえに、冒険者時代から事前情報としてこの男のことを少なからず知っているからに他ならない。
ボールス・エルダー。
あらくれ者ばかりが集うこの街の顔役にして、この階層に常駐していると言って良い唯一の第二級冒険者。
『
弱者に利益と自尊心より強く出て、強者には命惜しさにへりくだれる。
無論、それを悪だとは思わないが……リューからしてみれば、彼の気質を利用しているように見えたことだろう。
実際に眼前で繰り広げられたアルノとの会話で、その印象はより強く彼女の中で焼き付いた。
だから、次に出てくる言葉もきっと報酬をせびるような碌なものじゃないだろうと歩みを酒場の出口に進めようとして――。
「悪いことは言わねぇ、やめとけ」
――その、まるで此方を案じるような物言いに、思わず足が止まった。
「……どういう意味です」
「言葉通りの意味だよ。アイツにその気がなくても、アレと一緒に戦うってんなら、お前は
「……ッ!」
まるで疫病神であるかのような物言い。
先程まで気安いやり取りをしていて、目の前で信用も信頼もしているという言葉を受け取りながら、そんなことを口にしたという事実。
ふつり、とリューの中で激情が煮え立つ。
だがそれとは別に。
冷静に状況を見据える頭が――アルノが声を掛けた冒険者口にしていた内容を思い出す。
「……あなたに、彼の何がわかる」
「おう、お人好しで、誰か見捨てるくらいならてめぇを秤にかけられる大馬鹿野郎、ってとこか?」
にべもなく切り捨てようとリューが放った言葉へ返ってくる、荒っぽくも的確なアルノ・レンリという男の人物像。
否、それ以上に。
その会話の中に、彼を一切貶める内容が含まれていないことに、リューはついにボールスへ向き直ってしまう。
「……そこまで彼のことを理解しておきながら、何故そんなことを口にするのです」
「ああ、アイツはよく
「――貴様」
呵々と笑う眼帯の男の表情に、リューの表情と声が凍てつく。
思わず腰に携えた木刀に手が伸びる。
それ以上罵倒を重ねるようならば、相応の覚悟はして貰うと。
「――ま、しきりに目の前で笑ってやった後ソイツぶん殴ってやったが」
だが、そんな殺意にも近い憤りは。
口にした言葉と表情とは対照的に、一切笑っていない眼の前に鎮火する。
「……先程から何が言いたいのです。そこまでしておきながら何故――」
「ありゃあな、死人だ」
確信をもって放たれるその言葉に、リューははてなを浮かべた。
言葉の通りの意味ではないだろう。
アルノ・レンリは生きている。どんな魔法を用いようとも、死者の蘇生などが出来ようものなら、それはどれほどの幸運が引き寄せた奇跡なのかは想像に難くない。
ましてや目の前の男が幽霊などという眉唾なものを本気で信じているとはとても思えない。
「レンリさんが、死人?」
「マトモなのを取り繕ってやがるがな、タガが外れちまってる。てめぇの外に生きる理由があっても、てめぇの中に生きる理由がねぇ――どれだけ傷つこうが止まれずに、誰かを『死』へと引っ張っていく死人の出来上がりだ」
……それは、そうだろう。
リューにはわかる。
ただただ、彼の言葉を聞いたからというだけではない。
己を焦がす執念を。
己すらどうでもよくなる恨みを。
命を懸けて守り抜いた矜持を、誇りを、居場所を、その全てを放棄してまで大切にしたかった人を奪われる痛みを。
彼がああなるのを、痛いほど理解出来てしまうから。
「断言してやる。今後もアイツに関わるってんなら、お前はアイツのイカれっぷり目にして――だからこそ、アレから距離を取るようになるだろうよ」
だからこそ、リューはそれと同じように理解する。
目の前の男が、どうして己にそんなことを口にするのかを。
その言葉が、どういった感情から来るものなのかを、今身に染みているところなのだから。
「あなたもそのうちの一人だと? 払い除けることも出来た筈なのに彼の提案を受け入れ、行動に移そうとしているあなたが?」
「おう、悪ぃが俺は誰かの為にーだとか、そんな行儀の良い死に方なんて御免でな。そういうのは、アイツとか『ロキ・ファミリア』の連中にでも任せきゃ良い」
「……あなたの様な男は長生きするでしょう。まず間違いなく」
「おう。だけどこういう俺みたいな生き汚いのが好きなんだってよ、アイツは」
「……」
「変わってるよなぁ」
その言葉は、本当に呆れているようで。
「俺はアイツのやりたいことなんて知らねぇし、興味もねぇけどよ……恩があるやつに自分の屍を跨がせるような真似はさせたくねぇって思う程度の義理は果たさなきゃ、道理が通らねぇだろ」
同時に――隠しようもない充足感と喜びに満ちたものだった。
「……先程までのあなたへの態度を謝罪をしたい」
「……あ?」
「私は先の会話に込められたレンリさんから向けられるあなたへの信頼を汲み取れなかった。私の落ち度です」
「……はん、おめーら似たモノ同士だったってコトかよ。別に気にしちゃいねぇよ」
「じゃあなー。俺もアイツに任された仕事があるからな。お互いに死体になって出会わないように気張ろうや」
「……」
「ここも問題ない、と」
リヴィラの街の外れに当たる、階層の大部分を占める森の中。
深々と茂り足の踏み場が限られるその場所は、人の身を隠すのには打ってつけだった。
だが、そこに人影らしきものは見当たらない。
『
時折見かける動く影は全て他の階層より降りて来たり昇って来たりしてくるモンスター程度で、リューとアルノが探し求める白い怪人の姿は未だに見受けられない。
「ではリューさん、次に行きましょう」
大木の幹に刃で印をつけ、アルノからの視線を受け取るリュー。
最終確認。本当に居ないのか、という言葉の無い問いかけ。
それに応えるように、手に持った木筒から伸びた白い紐を引っ張った。
直後、ぽんっと軽い音を立てながら宙へと上がり、緑の煙となって立ち昇った。
「先程早急に何かを作っていましたが……これは?」
「火炎石の欠片とその他のドロップアイテムで作った簡単な信号弾です。匂いも酷く『耐異常』が無ければ有害なうえ、効果もただ煙を出すだけのものですが……煙に着色できるのが利点です」
リューが現在手に持つ木筒は、
その話を聞いて、訝しむようにリューは羊皮紙と向き合っているアルノを見やった。
「……これも事前に?」
「いえ、材料自体は緊急時に備えて街に点在する店や空き部屋に保管させていただきました。製法はアスフィさんから」
「量産したというのですか、あの短時間で」
「出来なければウチのファミリアでは仕事になりませんので」
……事前に聞いてはいたが、その用意周到さに感心を通りこして心配になる。
ダンジョンにおいて、そういった魔法でもない限り遠隔における連絡手段は皆無に等しい。
だからこそ時間を決め、探索ルートを絞り、工程を効率化することで情報収集におけるタイムロスを少なくすることで対応していた。
だがこうして連絡手段を構築すれば、その効率は段違いなものとなる。
問題となるのは製作者の労力だが……此処最近は忙しくて寝れてないと宣う眼前の蒼い剣士の姿にリューは頭痛を覚えた。
「緑が異常なし。赤が異常あり、でしたね」
「こういう合図はわかりやすければわかりやすい程よいですからね。この街だと特に……あ、また上がりました」
遠くに似たような軽い射出音が響き渡り、太陽の代わりとなる水晶が照らす疑似的な空に緑の煙が軌跡を描いて風に乗る。
それから間もなく、各所でボールスより派遣されたであろう冒険者の別動隊から上がる簡易信号弾が示すものは、どこも異常がないという結果であった。
「……本当にこの階層に? 階層を下るのも検討した方が良いのでは」
「敵が標的を変え動き続ける可能性があるのも事実ですが、それはこの階層の安全が確保できてからにしましょう……次はあちらです」
瞬間、大樹を駆けあがり蒼い影が木々より差し込む光を遮って飛んでいく。
リューもそれを追う様に木の幹を蹴った。
次の調査箇所であろう場所へと飛ぶように森の奥へ奥を目指す。
木から木へ移動し、柔らかな枝はその着地の勢いに折れることなく小さく揺れる。
本来であれば足場にもなり得ず地面に転落していくであろうソレも、両者はその身体制御により児戯のように軽やかに移動した。
そしてその場所に辿り着き――目を見開いた。
「――此処、は」
空からぽっかりと開けた木々の中央にあったのは、墓場。
細い木立と水晶によって囲まれたその場所には土が盛り付けられ、墓標の代わりとなる武器や装備の類が突き立てられている。
そしてその中心にそびえ立つ――星に向かって伸びる比翼を持った剣の紋章。
破れ、霞み、まるで失われた彼女の過去とかつての『正義』の威光を示すように、その旗は突き立てられている。
この場所を、リューはよく知っている。
何せ此処は、かつて迷宮都市オラリオにおいて『正義』を謳った眷属たちの終着。
『
「どうして、此処を?」
思考も纏まらぬ間に問いかけた言葉は、そんなありきたりの疑問。
だがその問いかけは当然だ。
なにせ、此処が今回の騒動に一体なんの関係があるのか。
事件より以前に存在していたこの場所には今回の件とは何の関与もないと、他ならぬリューがそれを知っている。
視線の先には蒼い外套を揺らす剣士の姿。
その手にはいつ拾ったのか、献花として集めたのであろう数本の白い花束が握られていた。
「……誰の墓かはわかりません。墓石もないし、碑文はおろか名前すら刻まれてない」
でも、と彼は続けた。
手に持った花束を一つ一つ、突き立てられた装備や武器に供えていく。
「
彼にとっては知らない場所、知らない顔を持つであろう、どこでもない誰か。
それでも。
墓石の代わりに突き刺さる武器の一つ一つを、慈しみを以てその琥珀色の瞳が見つめている。
「死んでもなお、こうして残るものがある――それが絶望的だったあの戦いで、俺を奮い立たせてくれたんです」
身内でもないのに失礼かもしれませんが、とアルノは締めくくり、目を瞑って周辺への感知体勢に入る。
だから気づけない。
きっと彼が此処に彼女を連れてきたことはただの偶然だろう。
だからこそ、やはり気づくことはない。
背後に立つリューの表情の変化に、その内側に。
何も成せず、全てを失った。
死んでしまった仲間に報いることも出来ず、無意味にしてしまった。
そう断じてこれまで生きて来た彼女にとって、その言葉がどれだけのモノになるのか。
目の前の復讐者は、気づくことが出来ない。
「……ありがとう」
「……何故リューさんが?」
琥珀色の瞳を目一杯開くアルノ。
その姿に、リューはマスクに覆われた表情が柔らかいものになるのを感じ取る。
本気で驚いた様子の今の彼の表情は本当に年相応なもの。
たった数日。されど数日。
基本的に堅物めいた仏頂面を浮かべてる彼の姿が、本当に珍しかったから。
そんな姿に、内側から暖かなものがこみ上げてくるのを感じ取る。
「ここはかつて私と志を共にした仲間……その終点、拠り所です」
「……ということは、リューさんの」
「はい」
「大好きだったんですね、この人達が」
「……はい」
膝を着き、感知の姿勢を崩さないアルノの隣へリューは同じように腰を落とす。
這う指先から冷たい武器に、温かな慈しみが沁みるように伝う。
墓標に据えられた装備、武器に触れればいつでも思い出せた。
輝かしく、もう届くことはない。手を伸ばしてはならない。
理想に生きた
「……レンリさんは」
「……?」
「何の為に、戦うのですか」
だからこそ彼女は酒場で言われたその一言を思い出す。
アルノ・レンリは誰かを死に誘う死人であると。
戦う理由を無くし、正義を捨て、復讐を完遂した自分と。
戦う理由はあれど、正義は無いと断言し、復讐が果たされない彼。
救われた自分と、救われなかった彼。
その違いは、なんだったのだろうか、と。
「……この前言った通りです。俺の
「その果てに自分が死ぬことになっても、ですか」
「……ボールスさんに、何か言われましたか」
「……」
沈黙は是である、と受け取ったのか蒼い剣士は頭痛を抑えるように重く息を吐いた。
「気持ちは嬉しいです。すごく嬉しい。ありがとう、リューさん」
「…………」
その言葉に、リューは向けられた視線を受け止めきれず、伏し目がちに俯いてしまう。
一転して、どことなく温かに弾んだ声に取り繕った様相は見られなくて。
助けられるかもしれない、という傲慢を。
何も残せない。何も残せなかった自分でも力になれるのだと、錯覚してしまう。
「でも――それは俺には不要なものです」
しかし、だからこそと言うべきなのか。
彼女の言葉は、届かない。
「リューさんは俺を尊敬できる人間だと言ってくれた……ならこの寄り道も全部、無駄じゃないんだと思えます。俺はそれだけで十分です」
「……救われたいと、そうは思わないのですか」
「誰かの命を奪うということは、そういうことでしょう」
そしてそのうえで出てきたその答えは。
リューの言葉を何よりも肯定するものであった。
「あなたは、優しい人だ……アーニャのことも、殺された憲兵も、この街の人間も見捨てようとしなかった……なのに貴方がそれでは、あなたは報われない」
「それこそ的外れな評価です。以前話した通りですよ、リューさん。考えるまでもありません」
その表情が、薄く歪む。
笑みという表情を取り繕っただけの、色のない貌。
歪んでいなければいけないものが歪んでないというのであれば。
それも等しく、『歪み』と言えるだろう。
「俺は――たった一人の人間を殺したくて生き残った幸運を踏みにじる、ただの亡霊でいい」
「――ッ! ちが――」
違う、と。
そう答えようとした、その時だった。
「――――」
纏う空気が変わった。
先のような温かなモノではない。
鍛錬の際より鋭く、より鮮烈に。
闘気で満ちる大気と共鳴するように、風が唸った。
「……! あれは」
その光景に目を疑う。
この18階層のいくつもの地点において、
「レンリさん!」
「えぇ――ようやく真打登場のようです」
瞬間――階層を揺るがす咆哮に、ダンジョンが震えた。