真面目ぶるのは有害だよ。
福岡在住の女性Y様から「最近くも膜下出血で倒れて運転ができなくなったので、車を自由に使ってもらっていいですよ」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。Y様は奇跡の女性で、絶体絶命の危篤状態だったにも関わらず「あたしは絶対大丈夫」と信じ抜き、奇跡の生還を果たした。なんなら、病気のおかげで今までの生き方が刷新されて、現在は最高に幸せな日々を過ごしているのだと、嘘偽りのない満面の笑顔で言った。
原因不明の病気で半身不随になり、二年間寝た切りの日々を過ごした女性K様にお会いした。K様は奇跡の女性で、病気の原因は我慢にあると見抜き、瞑想で治した。幼少期から母親との関係が悪かったK様は、自分の素を出すことができなかった。常に緊張して、体は強張り、真面目に真面目に生きてきた結果、病気で倒れた。瞑想をしていたら、真面目の元を掴んだ。心の奥底に「あたしじゃだめだ」という思いが根深くあることを見抜き、それを手放したら病気も完治したと言った。
Y様とK様に共通して感じたものは、こどものピュアさだった。「こどもっぽい」という侮蔑の意味ではなく、こどものピュアさこそ最強である。こどものピュアさを持つ人と一緒にいると、こちらも安心してこどものままでいることができる。損得勘定抜きに、ただ、楽しいからという理由で何かをしたり、何もしないでも一緒にいられる。こういう時はこうした方がいいかなとか、こういう時はこう言った方がいいかなとか、通俗的な定型から自由である。だから、フリースタイルで人生を楽しむことができる。採点する人はいない。
K様と泊まった温泉宿のスタッフが研修中で、事細かに設備の説明をした。気持ちはありがたいのだが、単調で、退屈で、真面目は害だと思った。スタッフ的には「俺は真面目に働いている」と思っているのだろうが、なにも頭に入ってこない。聞けば聞くほど疲れてくる。温泉宿まで来て、どうして疲れなきゃならないんだと思った。真面目な人といると疲れる。真面目になるほど疲れる。真面目は善で、こどもは純だ。こどもの純は、真面目の善に潰される。最初は全員純だった。それなのに「ちゃんとしなくちゃ」に押し潰されて、善い子にはなるが、純な子ではなくなる。善い子は、支配者側にとっては都合がいいのだろうが、一緒にいると疲れる。善い子といると、疲れる。
真面目な人ほど癒し系を目指す。癒し系なんてそんなつまらないものを目指すな。元気系。元気になれば勝手に癒される。癒しを与えることは目的ではない。通過点だ。楽しむことが俺たちのゴールだ。人生とは、お互いの真面目さを競うゲームではない。こどものピュアさを競い合う最強王決定戦。誰一人敗北者を生まない、全員勝者の遊びなのだ。真面目は害。こどものピュアさは支配できない。九州温泉巡りの旅をする予定だったが、同行者の都合でキャンセルになった。余裕のある私は、そんなことでは怒らない。小倉で暇になった。車はある。九州で一緒に遊べる人は遊ぼう。
坂爪さん、こんにちは!
あの日坂爪さんに会えて、本当によかったです。会って、あの1時間、会話を交わして、一緒にいてくれて、本当にありがとうございました。
私は坂爪さんにとんでもないものを与えてくださいました。一生忘れられない時間になりました。
この先ものすんごく長くなるのですが、お伝えしたかったので書きました。よければ読んでください!
坂爪さんと別れた後、恥ずかしくて自分が情けなくて、打ちひしがれていました。元々坂爪さんと会った後、弟に坂爪さんとのことについて報告する予定になっていて、一人になりたかったのですが断る気力もないまま会いました。弟は一番私が心を許せる相手で、坂爪さんにお会いするために連絡するときに、背中を押してくれた人物でした。
ご飯屋さんに向かっている最中、「弟に話すよりも、一人で帰って咀嚼した方がいいのではないか。その方が坂爪さんが言っていたことを正しく噛み砕ける」と頭がぐるぐる働いていました。でも、心では、これがまさに守りに入っている状態なのだと、確実にわかっていました。坂爪さんといるときの、何を話していいのかわからない感覚と同じだったからです。私は私の醜態を晒すのが怖かっただけでした。
弟は「話しても話さなくてもいいよ」と言ってくれました。
でも、この恥ずかしさをぶち破らないといけないことが直感でわかっていました。「思った逆をやる」という坂爪さんの思い出して、覚悟を決めて正面の弟の顔を見たら、これから話すことをすごく楽しみにしている顔をしていて、そこに溢れる慈悲のようなものを感じたんです。「私の恥ずかしさは置いておいて、聞きたそうにしている目の前の愛する弟のために、これを話さなくてどうする」と思いました。私はままならない言葉ですべて話しました。弟はすごく興味深そうに聞いてくれました。
これが坂爪さんの仰っていた、「意識を自分を守ることに使うのではなく、外に向ける」ということだったのかなと後で思いました。自分を守ることをやめ、意識を外にフォーカスして与えようとすると、既に自分に与えられていた愛に気づくことができたんです。守っていては気づかないままでした。
それから家に帰って朝まで、弟と対話しました。そのとき私は確実に頭ではなく、心で話していました。相手に嫌われるか好かれるか、正しいか間違いかなどの雑念は入る余地がなく、すべてを曝け出していました。
心で話すと文字通り、心がある位置から声が出ている感覚がするんですね。その感覚を掴んでから、「心で動く、心で話す」ことをできるだけ実践しています。心を使うと自分の人格が今までとまったく違うように思えます。相手の反応がすごく柔らかく感じます。全体的にあったかくてリラックスして、泣きそうになるくらい幸せを感じます。坂爪さんがおっしゃったように、私はずっと頭で生きていたから寂しかったのだと思います。
これらの気づきは、すべて坂爪さんのおかげです。坂爪さんに2回目の体当たりはできなかったけれど、2回目の体当たりに尻込みするくらい自分を守りまくっている現状に痛いほど気づきました。そして、相手にどう見られているか、相手が自分に何を与えてくれるかしか考えていない私、常に頭で生きている私、「恥ずかしい人間だと思われたくない」という自分の中の強固な恐れ、縛りのようなものを、坂爪さんは洗いざらい私の目の前に出現させてくれて、そして対峙させてくれました。
坂爪さんにお会いしたあの1時間で、私が一方的に貰いすぎて、与えられすぎているように感じます。すごくもどかしいです。私がもっと心のままに、恐れではなく愛に生きられるようになって、坂爪さんにも何か与えられるようになったら、是非リベンジさせてください!
そのためにもこれから毎日、目の前のものに体当たりしていきたいです!すごく怖いし、恥ずかしい思いをするのは嫌です!でももう坂爪さんと話したときのあの自分を守っている感覚、頭が永遠に高速回転して終わらない感覚を私はがっしりと掴んでしまったので、守ろうとしたときにはすぐ自分にバレてしまいます!
それ以上に、この感覚を忘れて麻痺しながら生きたくないです。忘れないように、一日一日、ひとつひとつ味わって噛み締めて、そして心と体でぶつかって生きていきたいです。
坂爪さんのおかげで、人生においての莫大な気づきを得ることができました。本当に、本当にありがとうございました!!また会いましょう!
おおまかな予定
4月23日(水)福岡県北九州市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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