健康とはビオトープのようなもの

自己決定理論というものがある。わたしが解説するのはめんどうなので、適当なwebサイトから引こう。

自己決定理論とは、自己決定の度合いが動機づけや成果に影響するという理論で、アメリカの心理学者エドワード・デシ氏とリチャード・ライアン氏によって提唱されました。 動機づけとは、目標などの要因によって行動を起こす過程・機能を指す心理学の用語で、「内発的動機づけ」や「外発的動機づけ」などがあります。2022/04/01



https://library.musubu.in

自己決定理論とは?重要な3欲求や内発的動機づけまでの段階を解説

この自己決定理論の前提となるぶぶんとして、「3つの基本欲求」という概念がある。それぞれの名前と性質は、以下の通り。

1.有能さへの欲求

自分の優れた能力を実感したいという欲求。また、学習や成果を遂げて自分の能力を証明したいという欲求。例えばテストでよい成績を挙げたり、水泳の大会で優勝したい、というような思い。副次的に浴びる他者からの賞賛・承認も欲求の充足にあたる(だっけ?)。

2.関係性への欲求

他者との親密な関係を築いたり、共感やケアを得たり与えたりして、所属感や情緒的な繋がりを実感したいという欲求。例えば友人グループと柔和な飲み会をしたり、悩み事を相談に乗ってもらったり、あたたかな家族と触れ合うこと。

3.自律性への欲求

人生を主体的に生きているという感覚、それにともなう自己決定権の尊重、自立心とそれからなる行為の成立への欲求。例えば親に習わされたピアノで、自分なりの学習スタイルや演奏スタイルを築いたり、自分の意思で練習すること。親の反対を押し切って画家を志す学生などは、この自律性の欲求を充足させようと努力してる段階と言える。なお、誰かに指示されたりベンチマークを与えられて行為することと、自律性への欲求の充足はトレードオフではない。行為に内在する無数の選択肢を、自分で選びとってコントロールしているという感覚を指す。

わたしのおぼろげな記憶と解釈がちょっと入ってるけど、そんなには間違っていないはず。

ちょっと身の上話になるけれど聞いてくださいね。わたしは昨年の2月に親を亡くして、そのことが数ヶ月前から予期できていたから、昨年は元日から大晦日まで一年の計を守り抜いた。

それは「なるべく辛い思いをしないようにする、ストレス因子を避けるようにする、狂わないようにする、安定的な生活を送る」という感じだった。

おおむね奏功したけれど、ライブイベントが続いたことのインパクトと疲れは大きかった。まず看取りがあって、葬送があって、相続があって、手続きがあって、引っ越しがあって、リフォームがあって、ようやく骨休めできると思ったら、年が明けてしまった。かなり疲れたし、かなりストレスだった。避けようがなかった。

そんな折で、3回ほど友人を家に招く機会があった。まずハードコアな状況で肩の力を抜けたのがうれしかったし、生家は美しい家なのでそれを褒めてもらえたのもまたうれしかった。

家でたのしくホームパーティをしたあと、しばらくはいい気分が続いた。中程度の抑うつが一時的に収まり、趣味やライフワークなどにも打ち込めるようになった。「友情は魔法」という言葉があるけれど、そうである。

結果的に、わたしはいろんな思いがあったけれどポジティブな総括で年を越せた。もっとも多少狂ってしまって人間関係をぶち切ったり健康的な習慣を辞めてしまったりしたけれど、避けられなかった側面もあるしトータルではよかった。

この話で何が言いたいかというと、わたしは関係性への欲求がしばらく満たされていなかった。わたしは家族・親戚とのつながりが希薄だし、はっきり言って存在を肯定できない。なので友人のほかは利害関係がある他人しか繋がりがないのだけれど、なにしろ疲れすぎて友人関係もおざなりになっていた。

ホームパーティや宅飲みで一時的に関係性への欲求が満たされ、たいへん救われた。いまは趣味に打ち込むことやコミュニティを形成すること、習慣や自分の役目(このnoteもそう)を守り抜くことに関心が持てている。

これは健康である。そして、健康とは自分が住むビオトープのようなものだ。

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生物住居環境



ビオトープというのは人工の小さな生態系のまとまりで、多くは植物や魚類、藻や虫などが暮らしている。

生態系のまとまりということは、一連のサイクルが形成されるということだ。魚が虫や水草、藻を食べて、そのフンで微生物が繁殖して、その栄養で藻や水草が繁茂し、更に魚や虫が繁殖する。

健康も、そのような箱庭的な生活から「いいサイクル」を導出するものかもしれない。

わたしの場合……

まずわたしは文章をライフワークとしていたので、関係性の充足から得た「元手」からコンスタントな書き物を(ふたたび)頑張ってみることにした。これは自律的なおこないであり、能力や役割の発揮であり、自分と人とを繋ぎ止めるシグナルでもある。

「元手」が大きくなると、サイクルの原型が出来てくる。ブログやnoteを毎日書けて、「よし、やれるぞ」と思い、人にも注目されて、習慣で自分があるていどコントロールできているように思える。

ちょっとした有能感、自立心、繋がりがモチベーションになり、ほかの表現や創作、勉強をしたくなる。すると他人から注目されて繋がり合い、更にモチベーションが湧き、習慣を継続できる。主体的な人生を歩むサイクルが成立する。

これらのことは、数年前の自分ができていたことだった。ただ去年は否応なしにいろいろなことが乱れてしまったし、そのせいでサイクルが完全に脱輪してしまった。

それが不調の直接な原因だった。ビオトープが壊れてしまった。親の死やライフイベントは間接的な要因に過ぎず、暗い部屋で一人悶々として暴飲暴食や低俗な娯楽を重ねていることが問題だった。

わたしがいま揺り戻しのプロセスに入れたようなのは、ひとえにわざわざ家まで来てくれる友人がいたからである。ビオトープは最初の資源がないと作れないのだ。

これは健康やウェルビーイングの話だけではなく、学習や努力のプロセス全般に言えることだと思う。全てを失ってしまうと「元出」を無理やり作るしかないけれど、裏を返せばチャンスを掴んだら指数関数的に幸福が膨らんでいく。ずっと続くといいなあ。


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健康とはビオトープのようなもの|蔵田朋樹
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