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食い尽くし夫は白痴じゃない

Twitterでは「食い尽くし夫」という概念がにわかに注目されており、有り体に言えばヘイトタンクになっている。

「食い尽くし夫」のイメージは以下の通りである。

・作った料理をがっつりつまみ食いしたり、あらかじめ更に取り分けておいたものを全部食べてしまう(しばしば、子供のぶんまで)。

・「食い尽くし」をしたことに対して良心の呵責があまりなく、真摯に謝ったり態度を変えることがない。

・話し合いで解決できない。

・そのほかにもさまざまな問題があり、プライバシーや家族間の距離感、デリカシーの観点で亀裂が生じることがある。

……だいたいこんな感じだ。

わたしは、「食い尽くし夫」が実際にいることはほんとうのことだと受け止めている。なにしろ、これはインターネットがインフラになる前から存在していた問題なのだ。

たとえば、わたしが小学生のころに訪問した介護施設では、「お茶請けの共有」がされていなかった。お茶請けと、お茶自体はあるのに、あたかも刑務所の配給のようにお茶請けが一つずつ配られていった。

これは、介護を受けている戦前世代が、奪い合い、粗末な食べ物、危険な食べ物、危険な場所、闇市、犯罪……などといった、生命の危機に晒されて情緒が形成されたからだ。要するに、幼いころから命懸けの人生だったから、命を繋ぎ止める食べ物には絶対的な飢餓感がある。

戦前世代が権威を持っていたころは、「平和で美味しい食べ物が溢れていて、なにひとつ生きるのに不自由のない貴方がたは幸せだ」、という言葉が我々世代にマントラのように唱えられていた。

わたしは両親が教育者であり、また反戦や平和、人格形成といったものを考えることもライフワークだった。したがって矢鱈と戦前世代がわたしどもの人生に関知してきたし、矢鱈とそのような情操教育を受けてきた。

「なにひとつ生きるのに不自由のない貴方がたは幸せだ」

それは何ひとつ疑えることのない、実感を帯びた言葉で、わたしどもが持ちえない視点に限っては、紛うことなき真理だったのだと思う。

この話で何が言いたいかというと、ひとは餓鬼に成り果てるのではなく、餓鬼が心に取り憑いてしまうということだ。お茶請けが配給制だったのも「取り合い」になるからだと推測できるし、戦前世代は食べ方が綺麗ではなかったけれど、それは食べ物に対してありえないほどのオブセッションを持っている人も、また少なくなかったからだと思う。

じゃあ、飽食の時代で餓鬼に取り憑かれたひと……「食い尽くし夫」は自己責任から生えたものなの?わたしは、とてもそんなふうには思えない。

436 番組の途中ですが 2020/06/14(日) 17:58:30.09 ID:ZDQYnWsG0 >>89 我が家では金の話がタブーだった お菓子はリビングの箱に入れられて誰でもいつでも食べられた 子供部屋には仕切りが無くて「所有」の概念が曖昧だった 結果として異様に金に汚く、常識外れにドケチで一瞬でも隙を見せたら何でも大量に無限に食う俺みたいな怪物が生まれた 一週間分の菓子でも一ヶ月分の飯でも何でも食う、食える時に食えるだけ食う 家庭内で一番立場が弱い俺はそういう生き方しか出来なかった
 「今日俺がここにある菓子を食わなければ明日もまたお菓子がここにある」という安心感を人生で一度も感じたことがない 常に奪われる不安感を抱えて生きている、自分のものが奪われるということに異様な嫌忌感がある 「今日俺がここにある菓子を食わなければ明日もまたお菓子がここにある」という安心感を与えてやってくれ 徐々にで良いから何も奪われないんだと教えてやってくれ 人を信じられる人間にしてやってくれ

ハライチの岩井勇気が、芸人になったあともしばらく実家暮らしをしていたという。実家の快適さのひとつに、「パンボックス」というシステムが導入されていることを挙げていた。それは岩井が朝起きた時に最初に開ける箱で、開けると朝食用のパンが入っている。岩井は毎日それを食べて、朝食を自分でこさえたり、また栄養面で欠けたり準備できずに食べられなかったこともないだろう。確実に。

2ちゃんねるの書き込みとハライチ岩井のエピソードを相対させて何が言いたいかというと、家の中を「安全」「信頼」と捉えられなかった人間は、生涯にわたって満たされなかったモティーフに対して常に飢餓感を覚えるということだ。

「マシュマロテスト」はご存じだろうか?おそらくもっとも有名な心理実験のひとつで、ざっくり言うと子どもに目先のお菓子(必ずしもマシュマロではない)を我慢させて、我慢できた場合にはもっとよい報酬を与える、という実験です。

実験の結果は実感に即していて、貧困に満ちていたり低い教育水準、ADHDを抱える子どもはお菓子を我慢できない傾向が見られた。ここまでは有名で、手垢のついた話です。

しかしながら、実感として掘り下げていくと仮説を立てることも可能だった。日常が危険に満ちていたり知性に劣ったり悪意に満ちた大人に囲まれた子供は、常日頃から大人に騙されたり虐待を受けていた可能性が高い。そのために、引用した2ちゃんねらーのように、「今ここ」の欲求を満たす動機が十分にある(と、考えられる)。

実際に、マシュマロテストの亜型としてとられたアプローチは、仮説を援助することになった。

亜型の実験はこうだ。一度、子供たちを部屋で遊ばせて待たせる。そのタイミングで「待ってたらもっと楽しい遊具が来るよ」、みたいなことを言う。子供たちは待つが、実験者は「ごめん、ミスで用意できなかったんだ」と言って何も与えず、子供たちを落胆させる。すると、次に開始された「マシュマロテスト」では比較的有意に「今ここ」の報酬を選好する子供が増えた。それは大卒ホワイトカラーの子供でも、同じ傾向が見られたという(不誠実な引用です)。

わたしが五月雨式にケースを引いて仄めかしたいことは何かというと、「信頼」だとか「安心感」「安全性」という期待は、破瓜してしまえば絶対に造り直されないということです。

……わたしは、「食い尽くし夫」にも、まず間違いなく心の餓鬼が一生涯住み着いていると、確信している。食い尽くしは悪い。悪いことは悪い。その話とは別として、どうしようもないことは、どうしようもない。絶対に変えられないかもしれない、心に落ちた影を照らすことはできない。それは当人にとっても尋常ではなくつらいことです。そのことを、理解せずに憎む人もまたつらいし、憎まれる人もまたふたたび辛いです。一旦そのことを呑み込まずに、社会悪としてバッシングすることが一応の在り方?

どうもそうらしい。


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食い尽くし夫は白痴じゃない|蔵田朋樹
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