君の命が壊れないように誰かが祈っている?
無糖のグミをよく食べるんだけれど、その後に甘いコーラとかを飲むと相対的に甘さを感じられなくなる。
考えてみれば不思議な話で、偽りの甘さを実感しているあとに本物の甘さを享受すると本物が知覚できなくなる。メタルジグに食いついていた魚が、ワームに関心を示さなくなるのと同じだ。
こういうことってよくありませんか?
たとえば自称ADHD芸とか、HSPとかカサンドラ症候群みたいな偽りの精神疾患を自称するのもそう。あれもわたし/あなたは〇〇だから〜と口実にして、周りの人は「ああ、〇〇な人って、こういうのか」、というスキーマが形作られていく。結果、ホンモノの精神疾患の人の辛さや共感が、ほんらいはあるはずだったものなのに鈍麻する。要するに、偽物であるメタルジグの方が派手だから、ワームという本物が「真実」であることを、知覚できなくなってしまうのだ。
他人が勝手にオオカミ少年の下地を作っておいて、ガチ困りしてる人がなおざりにされるケースってよくある。格ゲーでキャラネガをする人が悪目立ちするから、「そもそもキャラネガをすることが悪」という土壌が造られてしまい、バランスに対する議論に非論理性が帯びるのとか、まぁそう。
話が少し逸れるけれど、社会って困ったらセーフティネットに連絡しよう……みたいなことを一応言ってくる。「いのちの電話」あるいは警察とか児童養護施設もそうだけれど、とりあえず・体裁としてはそのようなものがありそのようなところが然るべき機関だと。そういうことを言ってくる。
ゴミっていうか論外っていうか、要するに白痴が運営してる制度だから、議論の対象にはならない。
なんというか、ニンテンドーダイレクトで流れてるゲームを全肯定するひとっているじゃないですか?「おお」「△△が新しくてええなー」「なんとかも知らなかったけど面白そうや」とか、毒にも薬にもならないけど薬を作るために虚無をこしらえているがために著しく不快なやつ。
あれって、要するに何かが存在してることを願ってるから・それが満たされてるから信心として肯定ポーズをお布施してるんだと思うんです。だってみんな無名雑魚のつまんなそうなソフトなんて買わないし。任天堂信者ですら売れてないソフトは買わないもん。
この話で何が言いたかったのか?要するに「命のでんわ」みたいなくだらないゴミが一応保たれているのと同じで、「それが存在することで得をする人は、それが存在していること以上のことは要らないのだから盲信する以外の選択をしない」、ということです。
とりあえずニンダイの穴埋めとしてソフトが羅列されていれば、ニンダイというパレードが豪華になるから盲信する。日本の安全神話という幻想にすがりつくために、いのちの電話とか薬剤師のダブルチェックみたいなゴミを信仰する。
ここでメタルジグの話に戻します。こういうウソ・信仰によって存在が立脚されているものって、「本当に壊れそうなもの」の真実味を帳消しにするためにあるんです。
たとえばジェネリックになると薬疹が出やすくなるとんでもない薬があるんですけれど、そのことって論文や医学的コンセンサス・医師は説明してくれても、厚労省や薬剤師は説明しないんです。だけども、「ダブルチェックしているから安心」とかいう何の根拠にもならないような信仰に縋り付いて、メディカルケアがそこそこやばくなってる現状の「真実味」を薄れさせる。この国のお家芸というか、こういうことを繰り返してるから滅ぶのだと思います。
精神疾患や議論や意見の場もそうです。自称の精神疾患やわかりやすいバカをストローマンとしてこしらえて、「こういうニセモノがモデルケースなんだから、真剣に配慮/議論する必要ないでしょ?」と欺き、結局事なかれ主義で確かにあった苦しみを滅ぼしていく。
君の命が壊れないように誰かが祈っている?……わたしは経験上、たしかにそのようなことが言える。ただ、その人もその人で、またメタルジグによって力を引き抜かれたわ無力な存在なんですよね。悲しいけれど。


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