デマは価値観の形をしている
デマというのは、最近はもっぱら陰謀論と呼ばれるようになった。陰謀論というのは昔ッからあるものであり、一段階抽象化すると全ての虐殺や独裁制の根源である。
わたしどもが危険な言論に巻き込まれる因子は、最近だとほぼ全てがSNSやネットニュースになった。フェイクニュースをはじめとして、SNSはヅラヅラと「デマ」が広がっている。
そもそも、SNSやYouTube、その他のプラットフォームの広告じたいがデマそのものだ。広告って要するにプロパガンダであり洗脳だから、ウソのことを書いている。バレずに50万が借りられるだとか、Amazonギフト券をもらいながら脂肪吸引できるだとか、「痩せ薬」を個人輸入できるだとか。
陰謀論らしい陰謀論や、プロモーションによるデマは引っかからない人のほうが多い。よっぽど思考力に欠けていたり、なんらかの病気ではないとさすがに解読できる……と思いたい。
しかし、「本当のデマ」はわたしども全てが引っ掛かっている。なぜ「本当」と言ったかというと、それらデマが反証されないデマだからだ。
「本当のデマ」とは要するに、価値観のことだ。「飲み会は全部断ればいい」「鬱の時は肉を食べるといい」「〇〇が起きたらメンタルが死んでる合図」「価値観が違う人との言うことは一切気に留めなくていい」「心にギャルを飼えばいい」「〇〇な人、だいたいは発達障害だと思う」「運動音痴だった人の予後が〜」……Twitterに書かれてることばっかりだと思ったでしょ?全ての道はTwitterに通ずるので、それが日本における世の中のすべてです。
これらのほとんどは、明示的になっていないこともあるので、「それあなたの感想ですよね?」で返したとしても無意味だ。「そうだよ」、で終わってしまうことだろう。
「かなりバカ」な人は、荒唐無稽な広告、反ワクやエホバなどの陰謀論にハマってしまう。こっちのほうが度し難いかもしれないけれど、他人に危害を伝染させることは思ったよりもないかもしれない。「かなりバカ以外の何か」な人には、あからさまにヤバそうな人として映るからだ。
「そこそこバカ」「ちょっとバカ」な人に、価値観の形をしたデマはおあつらえ向きなのだ。彼らは半端な論理的思考能力を持っているがために、田中みな実とか砂鉄みたいな人を「自分の頭で考え」て、「鵜呑みに」はせず、推論を行う。ただしそれは先に出した決断や結論に飛びつくための推論であるから、自己批判によって自分で自分を説得するのは無理だ。
そして、価値観の形をしたデマは反証や批判を受け入れない。あくまで「我思う」という自分の世界での出来事とした消化されるために、「それは違う」と言っても意味がないのだ。それは違くてもいいから・むしろ好都合だからだ。
人間は価値観の肉をまとうごとに、自分が賢くなったと思う生き物である。たとえそれが限りなく浅い推論で出来ているとしても、ナルシシズムの根源になり、浅い思考を他人に伝染させる。
……その浅い思考って受け売りでできているものだから、「そこそこバカ」な人にとっては、華がある思考でもある。元自衛官の人生訓は実際にメンタルが弱ってる人にはピンとくるのだろうし、発達障害者を憎んでいる人には無根拠のヘイトスピーチが無謬に思えるのだろうし、バカな人が広めただけでバコリと信じてしまう。
要するに、陰謀論やインスタの広告みたいにあからさまな病原体よりも、価値観の形をしたデマのほうが悪質なのだ。しかもそれらを媒介する人は、パッと見てあからさまなバカじゃないひとなぶんタチが悪い。だれでもバカな一面は持っているものだけれど、SNSは雪だるま式にバカになる構造があるので、考えを変えたがらない人は穏当さや柔軟性からリジェクトされる。
し、本音を言うと陰謀論者より「数的に一般的でない一般的なネットユーザーのほうが有害な愚か者だと思っている。
要するに、Amazonプライムを見ながらYahoo!ニュースを一瞥して、「なんか嫌なニュース多いな〜」とか思って、SNSのアカウントを作ったはいいが全く発信を行わない人にしか救いはなくて、多かれ少なかれ、わたしどもは負けているのだ。
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