樋口尚文の千夜千本 第229夜「新幹線大爆破」(樋口真嗣監督):レビュー篇
半世紀のかたき討ちは娯楽の串刺しで遂げられた
1975年7月公開の原作『新幹線大爆破』(東映/佐藤純彌監督)は、『仁義なき戦い』以降大人気シリーズとして好評を博した「実録やくざ路線」も失速しだした季節に、東映が新路線を打ち出そうと試みた大いなる意欲作であった。折しも洋画では『タワーリング・インフェルノ』『エアポート’75』『大地震』のような「パニック映画」がヒットしており、そんな機運にのって東映も破格の予算を組んだ大作としてヒットを狙った。製作前から企画自体は東映の館主たちに絶賛されていたといい、脚本のあまりの面白さにそれまで「任侠路線」以降のストイックなヒーローをもって任じていた高倉健も、意外な犯人役を引き受けた。そのような次第で、当時この作品は東映の製作チームからキャストまで一丸となって、企画のマンネリを打破しようという気概に満ちていたのであった。
そんな半世紀前、こういった噂を耳にしつつ公開のほぼ初日に劇場に赴いた私は唖然とした。このたび開館から60余年を経てついに閉館する、東映本社お膝元の直営館・丸の内東映がガラガラに空いていたのだ。おそらく多くの観客がつめかけることを予想して冷房も効かせまくっていたので、添え物の『ずうとるびの前進!前進!大前進!!』というアイドル短篇映画が前座で上映されている時点で、私はすでに凍えそうになったのを覚えている。そして観客が誰もいないので場内の温度が上がらない中、冷房で震える私は『新幹線大爆破』の想像をはるかに超えた面白さのつるべ打ちに気持ちがたぎる感じであった。どうやらこの日には樋口真嗣監督や犬童一心監督といった当時の私と同じ映画少年たちが、全く同じ体験をしたようなのである。
そんな『新幹線大爆破』だが、フランスのゴーモンの配給で、なんとパリでは大ヒットを果たし外貨を稼ぎまくった。しかしこれはなんと配給サイドがフランス語に吹き替えたうえに、犯人たちの横顔を描く日本的なメロドラマ部分を一切カットし、一部音楽も差し替え、オリジナルより45分ほども短くした「吹き替え短縮版」で『SUPER EXPRESS109』と改題された珍品であった(危機を乗り越えた新幹線の指令所職員が「バンザイ」を叫ぶような日本的な描写もカットされていた)。私は断固オリジナル版が好きであるが、このばっさりとアクション中心の編集を施して様変わりした『SUPER EXPRESS109』も興味深い編集作業の実例として観られるべきだと思う。
気をよくした東映は〈凱旋興行〉と銘打って翌76年春に都内数館でこの『SUPER EXPRESS109』を上映し、私もここに駆けつけたが、なんとこの時もまた丸の内東映はガラガラの空きようであった。この時はすでに『新幹線大爆破』は「キネマ旬報」誌での批評家選出ベスト・テンにも食い込み、読者選出ベスト・テンでは一位に選ばれるなど、漸く真価が注目され出していたが、やはり当時の興行では報われない作品であった。
これが長く時代劇から任侠路線、実録路線のやくざ映画によって築かれてきた東映の看板の色と違う作品だったからなのか、『タワーリング・インフェルノ』の影響大と思われるイラスト中心の宣伝が安っぽく思われたのか、その原因は定かではないが、とにかくこの傑作『新幹線大爆破』は興行不振に終わった(以後の『太陽を盗んだ男』や『ブレードランナー』など面白過ぎる作品が本興行では空振りに終わり、数年後の名画座では熱狂的に人を集めた、という事例は確かにいくつもあったが)。
前置きが長くなったが、このたびNetflixによって完成され、晴れて配信されることになったリブート版『新幹線大爆破』は、この半世紀前のガラ空きの劇場で「こんなとてつもなく面白い作品になぜお客が来ないのか」と義憤を感じた映画少年による、半世紀がかりのかたき討ちなのである。樋口真嗣監督はこれまでにも『日本沈没』『隠し砦の三悪人』『ゴジラ』といったビッグタイトルのリブートを任せられて来たが、本作のやや性格の違うところは、この義憤に突き動かされている点だろう。
したがって本作では、原作ではついに協力を取り付けられなかった国鉄(今回はJR東日本)の協力を仰ぐことに成功してリアルさを増し、原作ではまだ技術的限界で実現かなわなかった特撮部分のサスペンスの迫真性を最新のVFXで補完し、まずは敬虔な気持で原作をトレースするような導入部が設けられている。ここをもって、樋口監督の原作愛は十二分に伝わってくることだろう。
そして中盤以降は、アクチュアルな『新幹線大爆破』として、原作ではあまり踏み込まなかった乗客側をネット時代だからこそ可能なかたちで事件に「参戦」させ、またこちらも現在の技術だからこそ画にできる終盤の新たなサスペンス、パニック描写を設けてみせ、本作ならではのアップデートを図る。樋口監督にインタビューした時のたとえが、これまたテレビシリーズ『ウルトラマン』の実相寺昭雄監督回『空の贈り物』だったので爆笑したが、こうしたアイディアと技術によるアップデートが「作戦」というかたちで繰り出され、それが本作の軸となっている。
そしてこの連続する「作戦」と、人物たちの横顔をめぐる挿話が、交互に串刺しになっていて、さながらそこは見せ場とドラマのBBQのような痛快まるかじりの展開である。そしてやがてそこには意外なる原作へのリンケージ(これ以上は書くまい)がたくらまれ、ここまで敬意とともに原作を踏まえながらの大胆なリブートというのもちょっと珍しいのではないかと思う。
そして全体として、プロフェッショナルな「作戦」をもって事件解決に専心するJR東日本側の「鉄道人」としての矜持と責任感が、『シン・ゴジラ』の政府・民間の対策チームを彷彿とさせ、その「職業人」としての「仕事」の映画という構えになっており、そこが観終えた後のとても爽やかな感じに結びついている。